『神道集』の神々

第十二 祇園大明神事

祇園大明神を世の人は天王宮と呼んでいる、即ち牛頭天王である。 牛頭天王は武答天神王等の部類の神で、天刑星・武答天神・牛頭天王として崇めている。 当世は疫病神が病気を流行らせるので、人々は牛頭天王を深く信仰している。
祇園大明神は男体は薬師如来、女体は十一面観音である。

南海の龍王に五人の娘がいた。 第一は大自在天夫人、第二は陰大女(波利釆女)、第三は須弥山王夫人、第四は琰羅王夫人、第五は文殊菩薩の教えにより南方無垢世界で悟りを開いた八歳の龍女である。
天王はこれを聞き、南海国に趣いた。 日が暮れたので、宿を借りるために巨端将来という長者の所に行くと、巨端将来は散々に悪口罵詈して天王を追出した。 七谷と七峯を越えたところに小さな家が有った。 主の名は蘇民将来といった。 蘇民将来は宿を貸して天王を饗応し、翌朝に桑船を仕立てて天王を南海国に送った。
龍王は喜んで天王を陰大女の聟とした。 天王は龍女を妻として龍宮で八年を送り、八人の王子をもうけた。 第一は相光天王、第二は魔王天王、第三は倶魔良天王、第四は徳達天王、第五は良侍天王、第六は達尼漢天王、第七は侍信相天王、第八は宅相神天王という。
九年目の春、天王は本国に帰る途中、蘇民将来の家に寄り、昔のような饗応を受けた。 天王は蘇民将来に「巨端将来には宿を借りようとした時に追い出された恨みを忘れる事ができない。多くの眷属神を放って滅ぼそうと思う」と云った。 蘇民将来は「私の一人娘があの家で召使いとなっています。名を端厳女、または蓮華女といいます」と云った。 天王は「柳の枝を切って札を作り蘇民将来之子孫と書いて、あなたの娘の肩に着けなさい」と云った。
蘇民将来は札を秘かに端厳女に送った。 娘は父の教えに従って札を肩に着けた。 その後、天王の王子と眷属八万四千六百五十四神が巨端将来の邸に乱入し、一日一夜の内に百余人を滅ぼした。 その中で蘇民将来の娘だけが難を逃れる事ができた。
天王は蘇民将来と端厳女を連れて中天竺の法界自在国に帰った。 蘇民将来が自分の国に戻る時、天王は「蘇民将来之子孫を名乗る者がいたら、その家に悪神たちを入れない事を誓おう」と云った。 蘇民将来の娘の端厳女は、今は栗佐梨という名である。

牛頭天王は三面十二臂である。 頂上に牛頭が有り、右手には鉾を執り、左手で施無畏の印を結ぶ。 東王父・西王母・波利釆女・八王子など多くの従神が取り囲んでいる。
普賢経・牛頭天王経・波利釆女経・八王子経などは竹林精舎で説かれた。 会衆は大比丘衆八万人・菩薩衆三万人である。
仏は文殊菩薩に告げた。 「この会衆の中に一人の菩薩がいる。 名は牛頭天王菩薩または武答天神菩薩・薬宝賢菩薩と云う。 この菩薩は薬師如来の変現である。 左面は日光菩薩、右面は月光菩薩、頂上の牛頭は妙法蓮華経である。 両腕は十二神将または十二大願の意である。 左足は東方浄瑠璃世界、右足は西方極楽世界である。 東王父神は普賢菩薩、西王母神は虚空蔵菩薩、波利采女は十一面観音である。 蘇民将来及び粟佐利女は、本地薬王・薬上の二菩薩である。 蛇毒気神及び海龍王は、本地弥勒・龍樹の二菩薩である」

問、八王子の本地は如何なるものか。
答、本地については異説がある。 ある説では、八王子は大聖文殊である。 別の説では、八王子は八部菩薩である。 義浄訳『秘密心点如意蔵王呪経』にもそう説かれている。 『武答天神王経』には八王子の真言として普賢・文殊・観音・勢至・日光・月光・地蔵・龍樹・唵阿彼耶云々とある。
問、八王子の名は。
答、説によって相違がある。 『武答天神経』によると以下の通りである。
第一王子は星接、別名は太歳神、または相光天王、本地は普賢菩薩である。
第二王子は唵恋、別名は大将軍、または魔王天王、本地は文殊師利菩薩である。
第三王子は勝宝宿、別名は歳刑神、または徳達神天王、本地は観世音菩薩である。
第四王子は半集、別名は歳破神、または達尼漢天王、本地は勢至菩薩である。
第五王子は解脱、別名は歳殺神、または良侍天王、本地は日光菩薩である。
第六王子は強勝、別名は黄幡神、または侍神相天王、本地は月光菩薩である。
第七王子は源宿、別名は豹尾神、または宅相神天王、本地は地蔵菩薩である。
第八王子は結毘、別名は大陰神、または倶摩良天王、本地は龍樹菩薩である。

祇園大明神

八坂神社(京都府京都市東山区祇園町北側)
中御座の祭神は素盞嗚尊。
東御座の祭神は櫛稲田姫命で、神大市比売命と佐美良比売命を配祀。
西御座の祭神は八柱御子神(八島篠見神・五十猛神・大屋比売神・抓津比売神・大年神・宇迦之御魂神・大屋毘古神・須勢理毘売命)。
また、傍御座に稲田宮主須賀之八耳神を祀る。
二十二社(下八社)。 旧・官幣大社。

『八坂郷鎮座大神記』によると、斉明天皇二年[656]に韓国の調進副使・伊利之使主が再来した時、新羅国牛頭山の須佐之雄尊を山城国愛宕郡八坂郷に祀った。 天智天皇六年[667]に社号を威神院として宮殿を造営し、牛頭山に坐す大神であるので牛頭天王と称えて祭祀した。

『社家条々記録』によると、貞観十八年[876]に南都の円如が堂宇を建立して薬師如来・千手観音等を奉安した。 その年の夏六月十四日、天神が東山の麓の祇園林に垂跡した。

『二十二社註式』[LINK]によると、牛頭天王は播磨国明石浦(兵庫県明石市)に初めて垂迹し、広峯神社(兵庫県姫路市広嶺山)に祀られ、その後に北白川東光寺(京都市左京区岡崎東天王町)に移り、元慶年間[877-885]に感神院に勧請された。 「我は天竺祇園精舎の守護神なり云々」と託宣が有ったので、祇園社と号した。

天刑星

『辟邪絵』(奈良国立博物館)には疫鬼を喰らう鬼神の姿が描かれ、詞書には「かみに天形星(天刑星)と名づくる星まします。牛頭天王およびかの部類ならび諸々の疫鬼を捕りてすにさしてこれを食とす」と記されている。

『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集(簠簋内伝)』によると、北天竺の摩訶陀国に王舎城という都城があり、その大王を商貴帝と云った。 昔は帝釈天に仕えて諸星の探題を勤め、天刑星と号していた。 信敬の志が深いので、娑婆世界に下生して、改めて牛頭天王と号した。 元は毘盧遮那如来の化身である。

なお、『晋書』天文志[LINK]は漢の京房の『風角書』を引用し、歳星所生の妖星として、天槍・天根・天荊・真若・天荊・天楼・天垣を挙げる。 天刑星の名はこの天荊に由来するという説が有る。

武答天神

『備後国風土記』逸文(『釈日本紀』に引用)[LINK]によると、武塔神は北海の神で、南海の神の娘に求婚に向かう途中、日が暮れたので宿を借りようとした。 弟(後の文献では巨旦将来)は富饒で百の屋舎を有していたが、宿を貸さなかった。 一方、兄の蘇民将来は貧窮していたが、宿を貸して饗応した。 数年後、武塔神は八柱の子を連れ帰り、蘇民将来に「我、奉りし報答せむ。汝が子孫その家にありや」と尋ねると、「己が女子とこの婦と侍り」と答えた。 武塔神は「茅の輪をもちて、腰の上に着けしめよ」と命じ、その夜に蘇民の娘以外を悉く滅ぼした。 そして、「吾は速須佐雄能神なり。後の世に疫気あらば、汝、蘇民将来の子孫と云ひて、茅の輪を以ちて腰に着けたる人は免れなむ」と詔した。
上記の説話は疫隈国社(広島県福山市新市町戸手の素盞嗚神社)の由来であるが、兼方はこれを祇園社の本縁としており、後に牛頭天王と素戔嗚尊が同一視される根拠となった。

『伊呂波字類抄』によると、天竺より北の九相国の中に吉祥園が有り、その城の王(牛頭天王)の別名を武塔天神と云う。

『祇園牛頭天王御縁起』によると、武答天王は須弥山の半腹の豊饒国の王で、その太子が牛頭天王である。

波利釆女

『簠簋内伝』では沙竭羅龍王の第三女で頗梨采女と記されている。 陰陽道において福徳を司る歳徳神と同一視され、この神の坐す方角を「恵方」と称し、万事に吉とする。
牛頭天王と素戔嗚尊が同一視されたため、波利釆女も素戔嗚尊の后である櫛稲田姫命と同一視された。

『二十二社註式』によると、祇園社の西間に本御前を祀る。 奇稲田媛の垂跡で、一名を婆利女、また一名を少将井と云う。 これは、京都市中に「少将井」と呼ばれる名井があり、波利釆女の神輿はそこの御旅所(少将井天王社)に神幸していた事に由来する。

八王子

陰陽道において方位の吉凶を司る星神で、八将神とも云う。
『吽迦陀野儀軌』に説く十一牛頭毘沙門の曼荼羅中に、良侍天・達尼漢天・侍相天・相光天・魔王天・倶摩羅王・徳達天王・宅神摂天の名が見られる。
(参考文献 三崎良周「中世神祇思想の一側面」、『密教と神祇思想』所収、創文社、1992)

牛頭天王と素戔嗚尊が同一視されたため、八王子も素戔嗚尊の八柱御子神(八島篠見神・五十猛神・大屋比売神・抓津比売神・大年神・宇迦之御魂神・大屋毘古神・須勢理毘売命)と同一視された。

蘇民将来

摂社・疫神社に祀られている。
七月三十一日には、祇園祭の最後の神事である夏越祭が行われる。 参拝者は疫神社の鳥居に設けられた大茅輪を通って邪気を祓い、茅之輪守(「蘇民将来子孫也」護符)と粟餅を社前で授与される。

巨端将来

『備後国風土記』逸文における蘇民将来の弟に該当する。

『簠簋内伝』によると、南天竺の傍の広遠国(夜叉国)の主で、巨旦大王(巨旦大鬼王)と云う。 牛頭天王に殺害された巨旦大王の精魂は金神(南閻浮提の衆生を殺戮する悪神)となり、この神の坐す方に向うと家内に七人が死す"金神七殺"として畏れられた。

東王父・西王母

西王母は崑崙山に住する女仙。 『山海経』では豹の尾と虎の歯を有する半人半獣の鬼神形だったが、後には不老不死の仙桃を授ける美しい女仙の姿で描かれるようになり、女仙たちを掌る領袖とされた。
東王父は西王母の対となり、男仙たちを掌る。

『伊呂波字類抄』によると、牛頭天王(武塔天神)は東王父・西王母の間に生まれた王子である。

蛇毒気神

『二十二社註式』によると、祇園社の東間に蛇毒気神を祀る。 娑羯羅龍王の娘で、西間の本御前に対して今御前と称する。

一方、『簠簋内伝』では八王子の中の豹尾神の別名で、本地は三宝大荒神である。 注釈書『簠簋抄』によると、七王子が生まれた時に衣那と月水が血逆の池に捨てられ、それらが集まって蛇毒気神が生まれた。 牛頭天王が七王子を連れて帰朝する途中、海上に蛇毒気神が出現し、「我もまた是の王子たり。何ぞ捨て給ふや」と云った。 天王は「我が子にあらず」と否定したが、頗梨采女が乳水を搾り出すと、七王子と同じく蛇毒気神の口にも入ったので、蛇毒気神を王子と認めて一緒に帰朝した。

「赤山大明神事」によると、牛頭天王の十種の変身の第四が蛇毒気神王である。

『本朝世紀』や『扶桑略記』には延久二年[1070]に感神院の火災で蛇毒気神の像が焼失した事が記されており、その頃には牛頭天王と共に蛇毒気神が祀られていた事が判る。
『孔雀王呪経』などに、蛇の毒を消すのに孔雀の尾が効力があるとされ、牛頭天王の疫毒に隣せる如き蛇毒の神が共に祀られるようになったと推測される。
(参考文献 三崎良周「中世神祇思想の一側面」)

海龍王

娑伽羅龍王。 娑伽羅(サーガラ)は"大海"の意。 『法華経』序品に説かれる八大龍王の一人。 同経の提婆達多品では娑竭羅龍王と表記され、その八歳になる娘が正覚を成じた事(龍女成仏)が記されている。

『簠簋内伝』では頗梨采女の父、『二十二社註式』では蛇毒気神の父である。
垂迹本地
祇園大明神(牛頭天王)薬師如来
波利采女十一面観音
八王子文殊菩薩
八王子(各別)太歳神(相光天王)普賢菩薩
大将軍(魔王天王)文殊菩薩
歳刑神(徳達神天王)観音菩薩
歳破神(達尼漢天王)勢至菩薩
歳殺神(良侍天王)日光菩薩
黄幡神(侍神相天王)月光菩薩
豹尾神(宅相神天王)地蔵菩薩
大陰神(倶摩良天王)龍樹菩薩
東王父普賢菩薩
西王母虚空蔵菩薩
蘇民将来薬王菩薩
粟佐利女薬上菩薩
蛇毒気神弥勒菩薩
海龍王龍樹菩薩