『神道集』の神々

第八 高座天王事

高座天王は近江国の鎮守で、比叡山守護の大霊験である。 この神は昔から比叡山に住していたが、伝教大師が比叡山で一乗円宗(天台宗)をお弘めになった時、山王権現として顕現した。
山王の二文字を大師が不審に思い祈られたところ、夢の中で教えがあった。 竪の三点に横の一点を加えるのは三諦即是の法門である。 横の三点に竪の一点を加えるのは三徳秘蔵の法門である。

二十一社の内、上七社は以下の通りである。
一宮は大宮法宿権現、本地は大恩教主釈迦牟尼如来である。
二宮は地主権現、今の高座天王である。本地は薬師如来である。
三宮は聖真子権現、阿弥陀如来である。
四宮は大八王子、本地は千手観音である。
五宮は客人宮、本地は十一面観音である。
六宮は十禅師権現、本地は地蔵菩薩である。
七宮は第三王子、本地は普賢菩薩である。
この他に、下八王子・王子宮・大行事・早尾等、本地は虚空蔵菩薩・文殊菩薩・多聞天王・不動明王等である。

山王権現

日吉大社(滋賀県大津市坂本五丁目)
西本宮の祭神は大己貴神、東本宮の祭神は大山咋神。
式内社(近江国滋賀郡 日吉神社名神大)。 二十二社(下八社)。 近江国二宮。 旧・官幣大社。
創建年代は不明。
史料上の初見は『新抄格勅符抄』大同元年[806]牒の「比睿神 二戸 近江」。

比叡山延暦寺(大津市坂本本町)が建立されると、唐の天台山国清寺の地主山王元弼真君に倣って叡山の地主神を"山王"と称した。 また、延暦十三年[794]に平安遷都が為されると、その鬼門を守る王城鎮護の神としても広く崇敬された。
日吉社の中核となるのは、三輪神を勧請した大宮(西本宮)と地主神である二宮(東本宮)の両所であるが、後に聖真子を加えて山王三聖と称した。 大宮は延暦寺の根本中堂(総本堂)を中心とする東塔、二宮は転法輪堂(釈迦院)を中心とする西塔、聖真子は横川中堂(根本観音堂)を中心とする横川の守護神である。
この山王三聖に八王子・客人・十禅師・三宮を加えて上七社と称する。 それ以外の主要な摂末社を中七社・下七社と称し、上七社と併せて山王二十一社と総称する。

大宮・法宿権現

西本宮。
祭神は大己貴尊。
大和国の大神神社(奈良県桜井市三輪)を勧請した社で、大比叡権現、大比叡明神とも称する。

『日吉社禰宜口伝抄』によると、天智天皇七年[668]三月三日に鴨賀島八世孫宇志麻呂が大和国三輪の大己貴尊を比叡山の山口に祀り大比叡宮とした。

『扶桑明月集』(『二十二社註式』に引用)[LINK]によると、欽明天皇元年[540]に大和国城上郡に大三輪神が天降り、天智天皇元年[662]に三輪の大物主神を大比叡明神として勧請した。

祝部行丸『日吉社神道秘密記』[LINK]によると、大己貴尊は白鳳二年[673]三月に大津の八柳浜に臨幸され、琵琶湖で漁をしていた田中恒世の船に乗って唐崎の浦に渡った。 尊神は琴御館宇志丸宿禰(祝部氏の祖)の屋敷に影向し、「我は仏法・王法の守護神である。此処に鎮坐すべき勝地を求与すべし」と告げた。 宇志丸は「湖上には常に五色の波が立ち、"一切衆生悉有仏性、如来常住無有変易"と響いてるようです」と答えた。 尊神は船に乗り、その波をご覧になった。 館に帰った尊神は、宇志丸に御詠歌を伝えた。 宇志丸は「北西の山(比叡山)に勝地が有るので、そちらにご神幸ください。跡を追って神殿を建ててお祀りします」と申し上げた。 尊神は唐崎から比叡辻に到着し、石占井で勝地の場所を占い、大宮川を遡って波止土濃に着いた。 そこで携えていた杖を地に差すと、桂の木(大宮の御神木)に成り、青葉が萌え出した。 谷川には五色の波が流れ、唐崎で聞いた経文と同じ音が響いたので、此の地に垂迹した。 宇志丸は波止土濃に宝殿を建立して尊像を彫刻し、御遷宮を行った。

『太平記』[LINK]によると、人寿二万歳の時に迦葉仏が出世し、その授記を得た釈尊は兜率天に住していた。 遺教流布の地を求めて南瞻部州の上を飛行していると、大海の上に"一切衆生悉有仏性、如来常住無有変易"と波の音がした。 「此の波の流れ止まらんする所、一つの国と成りて、吾が教法弘通する霊地たるべし」と考え、波の流れに随い十万里の蒼海を行くと、波は海中に浮ぶ一葉の葦に留まり、その葦の葉は一つの島となった。 これが比叡山の麓、大宮権現が垂迹した波止土濃である。
大宮権現は久遠実成の古仏で、天照大神の応作である。 専ら円宗の教法を護り、久しく比叡山に宿す故に、法宿大菩薩と称する。

二宮・地主権現(高座天王)

東本宮。
祭神は大山咋神。
比叡山に古くから鎮座する地主神で、小比叡権現、小比叡明神、華台菩薩とも称する。

『古事記』[LINK]には、「大山咋神、亦名は山末之大主神、此の神は近淡海国の日枝山に坐し、亦葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神ぞ」と記されている。

『日吉社禰宜口伝抄』によると、崇神天皇七年[B.C.91]に大山咋神の和魂を八王子山の下に祀り、天智天皇七年に大比叡宮が造営された後は小比叡宮と称した。

『扶桑明月集』によると、小比叡明神は天神第一の国常立尊である。

『日吉社神道秘密記』[LINK]によると、二宮は天地開闢の神である国常立尊で、天神第六代の面足尊の時代、天竺では狗留孫仏が在世の頃に比叡山に鎮座した。

『太平記』[LINK]によると、釈尊は入滅後に常住周遍法界の妙体となり、葦の葉が国と成った豊葦原中国に来た。 当時は鸕鷀草葺不合尊の御代で、人は仏法の名も知らなかった。 何処かに応化利生之門を開こうと遍歴していると、比叡山の麓の志賀の浦の辺に釣を垂れている老翁がいた。 「翁若し此の地の主たらば此の山を吾に与へよ。結界の地と成し仏法を弘めん」と頼んだが、老翁 (白髭明神)は「我は人寿六千歳の始より、此の所の主として、此の湖の七度迄蘆原と変ぜしを見たり。但し此の地結界の地と成らば、釣する所を失ふべし」と拒んだ。 釈尊が寂光土に帰ろうとすると、薬師如来が忽然と出現した。 薬師は「我人寿二万歳の始より此の国の地主也。彼の老翁は未だ我を知らず。何ぞ此の山を惜み奉るべき哉。機縁時至りて仏法東流せば、釈尊は教を伝ふる大師と成つて、此の山を開闢し給へ。我は此山の王と成つて久く後五百歳の仏法を護るべし」と誓約し、二仏は各々東西に去った。 千八百年後、釈尊は伝教大師と成って比叡山を開いた。
二宮は初めに釈尊と約定した薬師如来で、秋津州の地主である。

聖真子権現

摂社・宇佐宮。
祭神は田心姫命。

『日吉社禰宜口伝抄』によると、田心姫命は大己貴尊・大山咋神・天照大神と相殿四座で大比叡宮に祀られていた。 天武天皇三年[674]に別宮(聖真子社)を造立して田心姫命を大比叡宮から分祀し、下照姫命を相殿で祀った。

『扶桑明月集』によると、人皇十六代の応神天皇は欽明天皇三十二年[571]に豊前国宇佐郡に八幡として顕現し、天武天皇元年[672]に近江国滋賀郡に聖真子として垂迹した。

『日吉社神道秘密記』[LINK]によると、聖真子は地神第二代の正哉吾勝勝早日天忍穂耳尊で、白鳳十年[681]に影向した。

八王子

摂社・牛尾宮。
祭神は大山咋神荒魂。
東本宮の奥宮とされ、八王子山の山頂近くの磐座・金大巌の傍に鎮座する。

『日吉社禰宜口伝抄』によると、上代の日吉神社はこの八王子社であった。

『扶桑明月集』によると、天神第一の国狭槌尊が崇神天皇元年[B.C.97])に小比叡の東山の金大巌の傍に天降った。 八人の王子を引率して天降ったので"八王子"と称する。

『日吉社神道秘密記』[LINK]によると、八王子は国狭槌尊で、崇神天皇の御宇に八十万神を引率して金大巌の傍に天降った。

客人宮

摂社・白山宮。
祭神は白山姫命。
加賀国の白山権現を勧請した社である。

『日吉社禰宜口伝抄』によると、白山姫命は又の名を菊理姫命と云い、伊弉諾尊・伊弉冊尊の奇魂である。 天安二年[858]に相応和尚が柏樹の霊告を感得して客人宮を創祀した。

『耀天記』によると、無動寺の慶命が天台座主を務めた時期[1028-1038]、広秀法師が白山権現の夢告により勧請した。 座主はこれを見つけて咎め、破却を命じた。 その翌日、七月に屋根に雪が一尺ほど積るという霊異が起き、座主は門弟に命じて客人権現として崇めさせた。

『扶桑明月集』によると、客人は延暦元年[782]に八王子山の麓に天降った。 菊理比咩神(『渓嵐拾葉集』の引用では白山妙理権現)である。

『日吉社神道秘密記』[LINK]によると、客人宮は日本開闢の神である伊弉冊尊である。

十禅師権現

摂社・樹下宮。
祭神は鴨玉依姫命。
八王子山を拝する里宮で、社殿の下には霊泉の井戸が存在する。

『日吉社禰宜口伝抄』によると、鴨玉依姫命・玉依彦命・別雷命の三神は大山咋神と相殿四座で小比叡宮に祀られていた。 宝亀年間[770-780]に内供奉十禅師の延秀が香積寺で神託を受け、別宮(十禅師社)を造立して三神を小比叡宮から分祀した。 その後、延暦年間[782-806]に別殿(小禅師社)を造立して玉依彦命を十禅師社から分祀した。

『扶桑明月集』によると、十禅師は延暦二年[783]正月十六日に地主宮(東本宮)の前に天降った。天児屋根命である。

『日吉社神道秘密記』[LINK]によると、十禅師は地神第三代の天津彦彦穂瓊々杵尊で、延暦二年[783]に影向し、同四年[785]に伝教大師に拝謁して社殿が建立された。

第三王子

摂社・三宮宮。
祭神は鴨玉依姫命荒魂。
樹下宮の奥宮とされ、八王子山上の金大巌の傍に鎮座する。

『扶桑明月集』によると、延暦六年[787]に八王子山の金大巌の傍に天降った。 天照大神と素戔烏尊の誓約で生まれた三女神を祀るので"三宮"と称する。

『日吉社神道秘密記』[LINK]によると、三宮は天神第六代の惶根尊で、延暦三年[784]に紫雲に乗って東方より来臨し、伝教大師と対面したという。

下八王子

末社・八柱社。
祭神は五男三女神。

『日吉社神道秘密記』[LINK]によると、天御中主尊(明星)を祀る。

王子宮

摂社・産屋神社。
祭神は鴨別雷神。

祭神の別雷神について、『山城国風土記』逸文(『釈日本紀』に引用)[LINK]は以下のように伝える。 賀茂建角身命の娘の玉依比売が石川の瀬見の小川(鴨川)で川上から流れてきた丹塗矢を拾い、寝床の近くに置いたところ懐妊して男児を生んだ。 外祖父の賀茂建角身命は七日七夜の祝宴を開き、男児に「汝の父と思う人に此の酒を飲ませよ」と言うと、男児は屋根の甍を破って天に昇った。 この男児は賀茂別雷神社(京都府京都市北区上賀茂本山)の賀茂別雷神であり、丹塗矢は乙訓に坐す火雷神(長岡京市井ノ内の角宮神社の祭神)である。
『秦氏本系帳』(『本朝月令』に引用)[LINK]も同様の伝承を記し、別雷神の母を秦氏女子、父を松尾大明神(京都市西京区嵐山宮町の松尾大社の祭神・大山咋神)とする。

『日吉社禰宜口伝抄』によると、王子宮は別雷神降誕の産屋の権殿である。 別雷神が天に昇る時、丹塗矢(大山咋神)が鳴動して飛び去り日吉社に遷り、その後に飛び去り乙訓社に遷り、また飛び去り松尾社に遷ったとする。

大行事

摂社・大物忌社。
祭神は大年神。

『日吉社神道秘密記』[LINK]によると、天上第一の智神である猿田彦命を祀る。

早尾

摂社・早尾神社。
祭神は素盞鳴尊・猿田彦神。

『日吉社禰宜口伝抄』によると、聖真子社と同じ天武天皇三年の創祀である。

『日吉社神道秘密記』[LINK]によると、根本中堂を建立した時に影嚮した神で、熱田の地主神である源大夫殿と一体である。
垂迹本地
上七社大宮(西本宮)釈迦如来
二宮(東本宮)薬師如来
聖真子(宇佐宮)阿弥陀如来
八王子(牛尾宮)千手観音
客人(白山宮)十一面観音
十禅師(樹下宮)地蔵菩薩
三宮宮普賢菩薩
中七社大行事(大物忌神社)毘沙門天
牛御子社大威徳明王
新行事(新物忌神社)吉祥天(または持国天)
下八王子(八柱社)虚空蔵菩薩
早尾神社不動明王
王子宮(産屋神社)文殊菩薩
聖女(宇佐若宮)如意輪観音
下七社小禅師(下若宮)弥勒菩薩(または龍樹菩薩)
大宮竈殿金剛界大日如来
二宮竈殿日光菩薩・月光菩薩
山末(氏神神社)摩利支天
岩滝(巌滝社)弁才天
剣宮社不動明王
気比社聖観音
参考文献『日吉社神道秘密記』

伝教大師

日本天台宗の開祖。 神護景雲元年[767](または天平神護二年[766])八月十八日に三津首百枝の子として近江国滋賀郡古市郷に誕生(幼名は広野)。 宝亀九年[778]に出家、同十一年に最澄と号す。
延暦四年[785]に比叡山に登って山林修行を始め、同七年に薬師如来を本尊とする一乗止観院(後の延暦寺根本中堂)を建立。 同二十三年[804]に還学生として入唐し、天台教学・大乗戒・牛頭禅・密教を相承。 帰国後の大同元年[806]に天台宗を正式に開宗。
その後は大乗戒壇設立を目指したが果たせず、弘仁十三年[822]六月四日に入寂。 大乗戒壇設立はその七日後に勅許された。
貞観八年[866]に清和天皇より"伝教大師"の諡号を賜った。