『神道集』の神々

第二十五 春日大明神事

この御神の大社は常陸国の鎮守・鹿嶋大明神である。 仏法守護鎮護国家の為に、人皇四十八代称徳天皇の御代、神護景雲元年に三笠山に移り来た。 南都に移る時、一丈程の白鹿に乗り、二人のお供を連れた。 その二人の御供とは時風・秀行である。
春日四所明神の一宮の本地は不空羂索観音である。
二宮の本地は薬師如来である。
三宮の本地は十一面観音である。
四宮の本地は地蔵菩薩である。

そもそも鹿嶋大明神が常陸国に垂迹された由緒であるが、天神七代の国常立尊より伊弉諾・伊弉冊尊の御代が終り、地神五代の御代に荒振神たちを鎮め、大小の神祇の鎮座地が定まった。 その時に天津児屋根尊は金鷲に乗って、常陸国の中郡古内山に天下られた。 その後に国中を廻り、鹿嶋郡は吉き処であるとして御在所に定められた。
鹿嶋には思惟大明神という石が山中に在る。 即ち大明神の御思惟が有る所である。
御宝殿は西向きである。 一説によると、天王寺を向いており、仏法東漸の始めと終りを表している。
不開御殿は北向きである。
奥御前は天明大神等である。
六所明神は大龍神である。
南八龍神の本地は不動明王である。
北八龍神の本地は毘沙門天王である。
鹿嶋三所は鹿嶋大明神と沼尾・酒戸である。
沼尾の本地は薬師如来で、明神の御弟である。
酒戸の本地は地蔵菩薩で、明神の御妹である。
息洲三所の本地は釈迦如来・薬師如来・地蔵菩薩・不動明王・毘沙門天王等である。
手子后の本地は釈迦如来である。
御足洗で心の塵を濯ぎ、神宮寺で本地を拝する。

日本記によると、蒼海の底に大日如来の印文が有った。 それを伊弉諾・伊弉冊尊が天逆鉾を下して探し、顕されたのが即ち日本国である。 天照大神の御前において天津児屋根の末裔が天子の政治を補佐し、大日如来・十一面観音が帝・后となり、国を守り、人民を憐れむ。 故に本朝の神と云うのである。

春日大明神

春日大社(奈良県奈良市春日野町)
祭神は武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神。
式内社(大和国添上郡 春日祭神四座並名神大 月次新嘗)。 二十二社(上七社)。 旧・官幣大社。

『春日社記』[LINK]によると、一御殿は鹿嶋(常陸国)の武甕槌命、二御殿は香取(下総国)の斎主命、三御殿は枚岡(河内国)の天児屋根命、四御殿は太神宮(伊勢国)の姫太神である。
常陸国より影向された時の御乗物は鹿で、鞭は柿の木の枝である。 神護景雲元年[767]六月二十一日に伊賀国名張郡夏見郷(三重県名張市夏見)の一瀬河で沐浴された。 その後、同国薦生中山(名張市薦生の中山神社付近)で数ヶ月を過ごされた。 翌二年正月九日に大和国添上郡三笠山に垂跡し、同年十一月九日に社殿を造営した。

『神宮雑例集』[LINK]は、元明天皇の和銅二年[709](己酉)の平城京遷都時に創祀されたと伝える。

なお、通説では三宮(枚岡大明神)の本地を地蔵菩薩、四宮(比売神)の本地を十一面観音とする。
垂迹本地
春日四所明神一宮(鹿嶋大明神)不空羂索観音(または釈迦如来)
二宮(香取大明神)薬師如来
三宮(枚岡大明神)地蔵菩薩
四宮(比売神)十一面観音(または救世観音、大日如来)

時風・秀行

中臣時風は春日社社家・辰市家の祖、中臣秀行は同じく大東家の祖。
名張の薦生中山において、両名は神から焼栗を賜り「汝等子孫断絶無く我に仕るべき者、栗植へしに必ず生へ付くべし」と告げられた。 その焼栗を植えると生え付いた事に因んで、両名は中臣殖栗連と号した。

鹿嶋大明神

参照: 「鹿嶋大明神事」

日本記

中世の文献では、しばしば「日本紀に曰く」として神仏習合的な神話・説話が語られる。 これらを"中世日本紀"と称する。 "大日如来の印文"はその代表的なモチーフの一つで、「神道由来之事」でも言及されている。