『神道集』の神々

第四十一 上野国第三宮伊香保大明神事

伊香保大明神は赤城大明神の妹で、高野辺大将の三番目の姫君である。 高野辺中納言の奥方の弟の高光中将と結婚して、一人の姫君をもうけた。
高光中将は上野国の国司を他に譲ったあと、前の目代(国司代理)であった有馬の伊香保大夫のもとで暮らしていた。 伊香保姫は父や姉君の亡魂に奉幣するために淵名神社へ参詣した。 その帰り道、現在の国司である大伴大将が渡しで河狩りをしているところを通り過ぎた。
大伴大将は輿の簾の隙き間から姫を一目見て忘れられなくなり、国司の威勢で姫を奪おうとした。 伊香保大夫は九人の息子と三人の婿を大将として防戦したが、国司は四方から火をかけて攻めたてた。
伊香保太夫は、主人の伊香保姫とその姫君、女房と娘の石童御前・有御前を連れて、児持山に入った。 高光中将はひどく負傷しており、伊香保太郎宗安と共に猛火に飛びこんで姿が見えなくなった。
伊香保太夫は上京して帝に奏聞した。 帝は伊香保姫に国司の職を持たせ、高光中将の娘を上京させるよう云った。
伊香保太夫は目代となり、九人の息子を九ヶ所社に祀った。 三人の婿も三所明神として顕れた。 また、伊香保山の東麓の岩滝沢の北岸に寺を建てて、高光中将の遺骨を納めた。 高光の姫君は上京して更衣となり、皇子が生まれたので国母として仰がれた。

月日は流れ、伊香保太夫とその女房は亡くなった。 石童御前と有御前は伊香保姫と暮らしていた。 高光中将の甥の恵美僧正が別当になって寺はますます栄え、岩滝沢に因んで寺号を水沢寺とした。
伊香保姫は夫の形見の千手観音を寺の本尊に祀り、二人の御前と共に、亡き人々の現在の様子を知りたいと祈った。 夢とも幻ともなく、高光中将・伊香保大夫夫妻とその一族が御堂に入って来て、千手観音に礼拝した。
伊香保大夫の女房は 「あなた方の千手経読誦の功徳により、伊香保山の神や伊香保沼(榛名湖)の龍神・吠尸羅摩女に大切にされ、我らは悟りを開くことができました。今は高光中将を主君とし、その眷属として崇められています」と云った。
夢から覚めた伊香保姫は「沼に身を投げて、龍宮城の力で高光中将の所に行こうと思います」と云って伊香保沼に身を投げた。 石童御前と有御前もその後を追った。 恵美僧正は三人の遺骨を本堂の仏壇に下に収めて菩提を弔った。

その後、恵美僧正の夢の中に伊香保姫が現れ、この寺の鎮守と成ろうと告げた。
夜が明けて枕もとを見ると、一冊の日記が有り、以下のように記されていた。
伊香保姫は伊香保大明神として顕れた。
伊香保太夫は早尾大明神として顕れた。
太夫の女房は宿禰大明神として顕れた。
御妹の有御前は父の屋敷を守護するため、岩滝沢から北に有御前として鎮座している。
御姉の石童御前は岩滝沢から南に鎮座し、石常明神という。
中将殿の姫君は帝が崩御された後に国に下り、若伊香保大明神として顕れた。
夢枕の日記に従い、伊香保大明神を水沢寺の鎮守として崇敬した。

人皇四十九代光仁天皇の御代、上野国司の柏階大将知隆は伊香保山で七日間の巻狩を行って山と沼を荒らした。 沼の深さを測ろうとすると、夜の内に小山が出現したので、国司は上奏のために里に下った。 その後、沼は小山の西に移動し、元の沼地は野原になった。 国司は里に下る途中、一頭の鹿を水沢寺の本堂に追い込んで射殺した。 寺の僧たちは殺された鹿を奪い取って埋葬し、国司たちを追い出した。 怒った国司は寺に火をつけて焼き払った。 別当恵美僧正は上京して委細を帝に奏聞した。 帝は国司を佐渡島に流すよう検非違使に命じた。
伊香保大明神は山の神たちを呼び集めて石楼を造った。 国司が蹴鞠をしていると、伊香保山から黒雲が立ち上り、一陣の旋風が吹き下ろした。 国司と目代は旋風にさらわれて石楼に閉じ込められ、今も焦熱地獄の苦しみを受けている。 山の神たちが石楼を造った山が石楼山である。 この山の北麓の北谷沢には冷水が流れていたが、石楼山が出来てから熱湯が流れるようになり、これを見た人は涌嶺と呼んだ。

恵美僧正は水沢寺を山奥に再建しようと考え、黒沢の南の差出山の弥陀峰の大平に大堂を建立した。
赤城沼の唵佐羅摩女と伊香保沼の吠尸羅摩女が沼争いをした大昔から、渋河保の郷戸村には衆生済度のため療治の湯が湧き出ていた。 水沢寺が差出山に建てられた時、番匠の妻子はこの湯で衣類の洗濯をしていた。 大宝元年[辛丑]三月十八日、僧正は一人の老女が「衆生済度の湯とも知らず汚れ物の洗濯するから、この湯を少し山奥へ運びましょう」と温泉の湯を瓶に入れて弥陀峰を越えて行く夢を見た。 僧正が目を覚ますと、一夜の内に温泉が出なくなっていた。 僧正が夢に従って奥山に入ると、石楼山の北麓の北谷沢の東の大崩谷から里湯本の伊香保の湯に合流していた。

伊香保大明神には男体女体がある。 男体は伊香保の御湯守護のために湯前に鎮座し、本地は薬師如来である。
女体は里に下って三宮と云って渋河保に鎮座し、本地は十一面観音である。
宿禰・若伊香保の二所は共に本地は千手観音である。
早尾大明神の本地は聖観音である。
有御前の本地は如意輪観音である。
石垣明神の本地は馬頭観音である。

その後、恵美僧正は上洛して行基菩薩の弟子の東円に別当を譲り、水沢寺の完成後に入滅した。 大宝二年[壬寅]二月十八日、東円上人は行基を導師に招いて水沢寺で供養を行った。

伊香保大明神(男体)

伊香保神社(群馬県渋川市伊香保町伊香保)
祭神は大己貴命・少彦名命。
式内社(上野国群馬郡 伊加保神社名神大)。 上野国三宮。 旧・県社。
史料上の初見は『続日本後紀』(承和二年[835]九月辛未)の「以上野国群馬郡伊賀保社預之名神」。

『群馬県群馬郡誌』[LINK]によると、天長二年[825]四月の創祀。

尾崎喜左雄の説によると、伊香保神社は古くは阿利真公(有馬君)によって有馬の地に祀られており、後に三宮の地に遷座した。 これが伊香保神社の里宮(現在の三宮神社)となり、有馬の元社は若伊香保神社と呼ばれるようになった。 その後、伊香保温泉の湯前の守護神として分社が勧請され、現在の伊香保神社となった。 伊香保温泉にはそれ以前から薬師堂(温泉明神)が祀られていたが、伊香保神社の勧請後はその本地仏とみなされるようになったと考えられる。
(参考文献 尾崎喜左雄「伊香保神社の研究」、『上野国の信仰と文化』所収、尾崎先生著書刊行会、1970)

なお、伊香保大明神の男体に該当する人物への言及が無いが、『水沢寺之縁起』には「高光中将并びに北の方は伊香保大明神男躰女躰の両神なり」「それ高光中将殿は男躰伊香保大明神、御本地は薬師如来、別当は医王寺」とある。

伊香保大明神(女体)

三宮神社(北群馬郡吉岡町大久保)
祭神は彦火火出見尊・豊玉姫命・少彦名命。

『群馬県群馬郡誌』[LINK]によると、天平勝宝二年[750]の創祀。

本地仏の十一面観音像(秘仏)は現在も御神体として祀られている。
(参考文献 尾崎喜左雄「伊香保神社の研究」)

宿禰大明神

甲波宿禰神社(渋川市川島)
祭神は速秋津彦命・速秋津姫命で、大物主神・倉稲魂神・罔象女神を配祀。 また、大山祇神・誉田別尊(応神天皇)を合祀。
式内論社(上野国群馬郡 甲波宿禰神社)。 上野国四宮。 旧・郷社。
史料上の初見は『続日本後紀』(承和十三年[846]八月辛巳)の「奉授上野国群馬郡無位甲波宿禰神従五位下」であるが、この甲波宿禰神が現在の甲波宿禰神社(川島、行幸田)あるいは武内神社(祖母島)の何れに該当するか定かでない。

本来は吾妻川の南岸に鎮座していたが、天明三年[1783]の浅間山噴火の際に泥流により流出。 同五年に現在地(諏訪神社の社地)に再建された。 旧社地には観音堂が現存する。

『群馬県群馬郡誌』[LINK]によると、宝亀二年[771]九月二十九日の創祀。

甲波宿禰神社(渋川市行幸田)
祭神は速秋津彦命・速秋津姫命。
『上野国神名帳』所載社(群馬東郡 従五位上 甲波明神)。 旧・村社。

尾崎喜左雄は宿禰大明神を榛名山の東麓に鎮座する当社に比定する。
(参考文献 尾崎喜左雄「古文献に見える上野国の諸神」、『上野国神名帳の研究』所収、尾崎先生著書刊行会、1974)

若伊香保大明神

若伊香保神社(渋川市有馬)
祭神は大己貴命・少彦名命で、諏訪神社(建御名方命)を合祀。
国史現在社(若伊賀保神)。 『上野国神名帳』所載社(群馬東郡 従四位上 若伊賀保大明神)。 上野国五宮。 旧・村社。
史料上の初見は『日本三代実録』(貞観五年[863]十月七日丙寅)の「上野国正六位上若伊賀保神従五位下」。

早尾大明神

早尾神社(渋川市中村)
祭神は須佐之男命。
『上野国神名帳』所載社(群馬西郡 従四位上 家尾明神)。 旧・村社。

『群馬県群馬郡誌』[LINK]によると、豊城入彦命が上毛野を創めた際に自ら当社を勧請した。

有御前

不詳。
尾崎喜左雄は大宮神社(北群馬郡榛東村長岡)に比定する。
祭神は小長谷若雀命(武烈天皇)で、宇迦之御魂神・菅原道真・大物主命を合祀。
旧・村社。
(参考文献 尾崎喜左雄「古文献に見える上野国の諸神」)

石垣明神(石常明神)

不詳。
尾崎喜左雄は 常将神社(北群馬郡榛東村山子田)に比定する。
(参考文献 尾崎喜左雄「古文献に見える上野国の諸神」)
垂迹本地
伊香保大明神男体(湯前)薬師如来
女体(三宮)十一面観音
宿禰大明神千手観音
若伊香保大明神千手観音
早尾大明神聖観音
有御前如意輪観音
石垣明神(石常明神)馬頭観音

赤城大明神

参照: 「上野国勢多郡鎮守赤城大明神事」

九ヶ所社・三所明神

不詳。
尾崎喜左雄は九ヶ所社を上野国九ヶ所大明神、三所明神を赤城山三所明神に比定する。
(参考文献 尾崎喜左雄「古文献に見える上野国の諸神」)

吠尸羅摩女

不詳。
多聞天(Vaiśravaṇa)の音写の吠尸羅摩那と何らかの関係が有ると思われる。

水沢寺

五徳山水沢寺(渋川市伊香保町水沢)
天台宗。 坂東三十三箇所の第十六番札所。
本尊は伝教大師作と伝わる十一面千手観音(水沢観音)。

『水沢寺之縁起』によると、推古天皇の御代に南都より高麗来朝の貴僧恵観僧正を招いて開山別当と為し、伊香保御前の念持仏の千手観世音菩薩を安置して高光中将の菩提処として建立した。

恵美僧正

『水沢寺之縁起』は恵観僧正とする。

『元享釈書』[LINK]によると、慧灌(恵観)は高麗国の人で、隋の吉蔵(嘉祥大師)から三論の教えを受けた。 同年夏の旱魃の際、詔により三論を講じて雨を降らせ、僧正に任ぜられた。 後に河内国に井上寺を創建し、三論宗を弘めた。