2014.4.28
何を言ったか? vs どう聞こえたか? 何の形か? vs どう見えるか?

 ふたつ前のエッセイ "好きの理由 嫌いの理由 " で、いわゆるデザイナーとエンジニアの差異に触れたのだが、その続続編である。
モノの形について、デザイナー(美術系)はどう見えるのか? が問題で、エンジニア(理系)は形態そのものを問題にしているようである、と述べたのだが...

 似たような関係について、言語でも経験した事を思い出した。
10年前のエッセイ "五つの母音 " で、米国のレストランでデザートにアップルパイを頼んだのに何も出てこなかった失敗談を紹介したのだが、私のアップルの発音が悪く、ウェイターにはアイムフル(満腹です)と聞こえたようであった。

 日本語の会話では多少聞こえが悪くとも、無意識に会話の前後の脈絡から適切な言葉を類推するような脳内の処理過程があるようである。
しかしながら私はこれが苦手で、いつも相方から ”ちゃんと聞く気が無いんでしょ” と厳しい指摘を頂戴する。
一方、先の米国のレストランのウェイターは、どう聞こえたか? が全てで、何を言ったか? はまるで類推する気は無いようである。
日本語は表意文字、英語は表音文字と言われているのは、このことなのだろう。日本語は脳内の音声処理の過程で意味の比重が大きく、逆に英語は音声=音響の比重が 大きいように思う。
 こう気が付くと視覚や聴覚の区別無く、右脳(感性)と左脳(論理)の双対関係には個人差や言語に由来する差異があるように思った次第である。
気になるのは脳内の音声処理過程の順序である。音響的な処理(感性)が瞬間的に働き、次に意味の処理(論理)が来るのではないだろうか?
また、感性の処理に論理の処理がバイアスを掛けてしまい(横槍を入れる)、感性が鈍ることがないのだろうか?
自分でも昔から外国語の歌を唱う(聴く)時と日本語の歌を唱う(聴く)ときに、何かがどこかで違うような気がしているのだが、例えば、ビブラートが違うとか。
また、日本の紋様に見られるカーブと西洋の紋様に見られるカーブはどこかが違うような気がするのだが。
皆さんは如何でしょうか?

図1 日本の家紋 結び雁金
図2 西洋の家紋 鷲

関連エッセイ:
デザイナーのジレンマ エンジニアのジレンマ
好きの理由 嫌いの理由
年頭所感:双対ということ
五つの母音

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