2016.5.5
エネルギ保存則は

 現実には成り立たない....
エネルギ保存則は高校の物理の時間に教わる。ただ、教わった記憶はあるがその意味する所はよく判らなかった。
この法則の大事なことは、”補充したり消費しなければ” という前提であり、何もしなくとも ”永久” に保存されると言うことではなく、”保存されて欲しいな” という希望と言うべきかもしれない。 エネルギ保存則はその双対として、”漏洩の法則” も成り立っているのである。 ”理想” の双対としての ”現実” である。

 エネルギ保存則は、英語では、law of the conservation of energy になるが、conservationの意味合いは、維持、保護、管理であり、すこし現実味をおびているように思える。
ただ、本当の現実問題は漏洩を完全に食い止める術は今のところ無く、長い年月を経てエネルギは確実に洩れているのである。現代のどんな高価な魔法瓶でも24時間も経てばお湯は冷めて外気温度と等しくなってしまうことがそれを証明している。

 考えて見ると、技術=テクノロジー、あるいはエンジニアリングというのはこのエネルギ漏洩則を受け入れて、どれだけ長期間漏れを少なく出来るか?という課題に思える。
ゼロにできないことを受け入れつつ、黙々と知恵を絞り出すことに向いている人はエンジニアと呼ばれるのだろう。欲や煩悩と闘いつつ、それを滅しようと修行するお坊さんにどこか似ていないだろうか?
10年持たなくとも良い、今3分、電動歯ブラシが動いてくれれば。
では、人類はあと何億年、生存できれば良いのか? これでは禅問答になってしまうので、すこし現実的に考えて見る。

 一度ゼンマイを巻いたら一ヶ月動く時計を作るにはどんな工夫が必要か?
自動巻の腕時計が登場してからおよそ半世紀だろうか? 当時、ゼンマイを巻く必要が無いということは画期的なことであった。それは指でゼンマイを巻くエネルギに替えて、歩きながら腕が交互に振れる際の運動エネルギの一部を有効に取り出すメカニズムをこしらえたのである。危機に直面している21世紀の今ならノーベル賞級ではないだろうか?
さて、自動巻腕時計自身から見ればエネルギ源は無限ではあるのだが、残念ながら自身に寿命は来るのである。
ゼンマイはバネであり、僅かな曲げ〜伸びの繰り返しでもいつかは折れるときが来る。この曲げ〜伸びの繰り返しとはエネルギの出し入れなのである。曲げればエネルギは蓄えられ、伸びれば放出される。現実界のモノはエネルギの出し入れは有限回数と考えた方が良い。
あるいは、時計の様々な小さな部品を支えている軸受けが永年の摩擦によってすり減ってくるのである。
エネルギの洩れの正体はこの摩擦なのである。極僅かであっても摩擦熱となって空気を伝わって洩れているのである。
であるから、昔の時計はゼンマイや軸受けが交換できるように考えられていたのである。そこまで考え抜くのがエンジニアの習性なのかもしれない。
しかしながら、仮に、10年使い続けた時計が最初の修理を受ける際に、”この際、新調しようかな?” という持ち主の ”心変わり” には勝てない時もあるのだろう。
お坊さんなら ”諸行無常” のたった4文字を唱えるかもしれない。
エンジニアはこの ”心変わり” をどう受け入れればよいのだろうか?


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