柔性 ESSAY
2012.1.2
年頭所感:双対ということ

 数年前に仕事でおつき合いのあるN先生から著書を頂戴したのだが、これがとても考えさせる内容である。
"機械の力学"というタイトルなのだが、理工系の学校で使うような教科書とは少し趣が異なる。しかし学生がこの本を力学の入門書としたなら、この本で勉強した人とそうでない人は物事の考え方が大きく異なり、その後の人生にも大きな差が出てくるのではないだろうか? 勿論、理工系の本なのだが、理系の法則というよりも "マーフィーの法則" のような理系の法則では絶対説明できないような、しかし誰もが頷ける世界に近づいてゆくようである。
 この著書の根底にあるのは ”双対” という考え方で、”物事は必ず2面から見ないと不完全である” と言うことが書かれている。韓国の国旗に描かれている中央の赤と青からなる太極円(太極文様)=”陽・陰がひとつになり万物を創造する” という考え方や、英語の諺、"There are two side to every story= 話には2つの側面がある=どちらの見方も正しい" に通じているように思う。この著書で面白いのは、力学の世界はニュートン力学と呼ばれて、なぜフック力学と呼ばれなかったのか?という疑問に触れている。どちらも力学の重要な法則を唱えたふたりなのだが、高校の物理の教科書にも登場する法則、

・ニュートン:力=質量 × 加速度=質量のある物は加えた力に比例した加速度が生じる
・フック  :力=バネ剛性 × 撓み=バネは加えた力に比例した撓みが生じる

はお互いに双対の関係にあって、セットで考えないと力学として不完全であると述べている。
2番目のフックの法則だが、筋力トレーニングに使う手のひらに収まるエキスパンダーを思い浮かべてみる。手で力を込めて握るとバネは縮むのだが、見方を変えるとバネを縮めるという動作はバネの両端に速度を与えたということであり、その結果、手は速度に応じて変化する力を受けるとも言える。この因果関係を書き直してみると、

・フック  :速度 = 1/バネ剛性 × 加力度 となる。

加力度とは聞き慣れない言葉だが、加速度が時間に対する速度の変化と同じように、時間に対する力の変化という意味である。ここでバネ剛性は見方を変えると1/バネ剛性=柔らかさ=柔性であるから、

・フック  :速度 = 柔性 × 加力度

となる。ここであらためて両者の法則を並べてみると、


このように、力と速度が入れ替わっているだけで、式の形は全く同じである。"機械の力学" によると力と速度はお互いに双対の関係にあると言うことだそうだ。そして物体は質量と柔性という2つの性質で決まっていると言うことらしい。そう言われてみると人間が手で物を掴むとき、感じられるのは重さと柔らかさである。これは目を閉じていても判る。また、目を閉じていると一定の速度で走っている電車内や上昇しているエレベーター内では自分が停まっているのか移動しているのか区別がつかないが、人体は動き始めやブレーキを掛けるときのように力と速度は変化していて初めて認知できる=それは人体が質量と柔性を持っているから可能なのであろう。

 工学の世界では

・力 × 速度=仕事率(Kw)

と定めている。仕事率とは仕事の早さという意味で、例えば、井戸から6リットルの水を60秒で汲み上げるのに2リットルの桶を使うと3回で済むから20秒間に1回の速さが必要である。 一方、200ccのコップを使うと2リットルの桶を使うより1/10の力で済むが、30回掛るから2秒間に1回の速さ=10倍の速さが必要である。どちらのやり方でも仕事の早さは同じだが、あなたはどちらのやり方を選ぶだろうか? 後者は200ccの水とコップは軽いと言えども、2秒に一回、素早く上げ下げするエネルギーは馬鹿にならないのである。同様に60秒間で10Kgのエキスパンダーを10回縮めるのと1Kgのエキスパンダーで100回縮めるのも同じ仕事率である。すなわち、数字づらはどちらも同じ程度に腹が減るし、同じ程度のダイエット効果なのである。ダイエットするのに、きっとニュートンは水を汲み、フックはエキスパンダーを使ったのではないだろうか? このように、お互いの法則を唱えたふたりだったが、仕事率やエネルギーという観点では全く同じ意味の事を言っていたということになろう。あえて、両法則を言い換えてみるなら、

・ニュートン:運動(質量)についての法則
・フック  :変形(柔性)についての法則

 人間社会においてもこのふたつの法則は使えるのではないだろうか? 心の質量が大きい人は廻りの意見に流されず、我が道を行ける。頭の柔らかい人はすぐ軌道修正が出来て道を誤らない。心の質量が大きく×頭が硬い人は頑固者と呼ばれ、心の質量が小さく×頭が柔らかい人は軽薄者と呼ばれる。心の質量とは理性、頭の柔らかさとは感性に喩えられないだろうか? そうすると理性=左脳、感性=右脳ということになる。やはりこれ双対ではないか?。
一方、脳の外では、水汲みで重い桶で数回で汲もうとしたらギックリ腰になるかもしれないし、それが怖いからとエキスパンダーを60秒に100回縮めていたら腱鞘炎を起こすかもしれない。”過ぎたるは及ばざるが如し” なのだろう。

 ところで、ジョン・レノンしかり、モーツアルトしかり、”天才は早死にする” というのはマーフィーの法則のひとつであろう。

・影響力 × 寿命=一定

神様がこのように考えるなら、太く×短く生きるか、細く×長く 生きるか? これまた双対ではないか?。目覚ましい影響力を残さない私たち凡人の寿命は恐らく長いのだろう。
 昨年暮れにスティーブ・ジョブズの伝記を読んだのだが、彼は太く×短く生きたようである。コンピューターの世界におけるスティーブ・ジョブズとビル・ゲイツはお互いに認めるように、夫々の理念も主張も異なったのだが、成功も失敗もあり、どちらも長くは続かないのはマーフィーの法則のとおりである。N先生の言葉を借りると双対は "諸行無常・輪廻転生" に行き着くそうだ。

 さて、私のiTunesにはおよそ3000曲が入っているのだが、長い曲、短い曲、好きな曲もそうでもない曲もある。好きな曲だけプレイリストにまとめたりしているので、すっかり聴かれなくなった曲も多々ある。偏食は不健康だが心の栄養にはそれは当てはまらないと信じてきたのだが、双対について考えるとすこし自信が無くなってきた。今年は久しぶりにアルバムを全曲通して聴いてみようと思った次第である。

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