2017.8.17
街のレコード屋

自由が丘編:

自由が丘 1970~1980 (Google Mapを基に編集)

1.ソハラ楽器
 東急主要駅付帯の東急プラザ系のビルの4Fにあった。中学から高校にかけてほとんどの需要をカバーしていた。
 最初に訪れたのは小学校の5年生。音楽の時間にW先生からベートーベンの運命のレコードを聞かせてもらったすぐ後、クラスメートのH君と半ば冷やかし気分で店員さんに運命を試聴させてもらった。第三楽章くらいまで粘っていたようだが、女性の店員さんは手慣れたように針を降ろしてその場をすぐ離れたので何も断らず退散した。
 CBS-ソニーレーベルから出ていたBYRDSの "Notorious Byrd Brothers*1" を手始めに何枚かをここで揃えた。高校1年の9月は秋分の日、注文していた "Mr.Tambourin Man*2" を受け取りに行った。台風が接近する雨の開店時間に行くと長靴を履いた若い女性店員がひとりで対応してくれた。他の店員は遅れているのか誰も居なかった。普段見かけない人だったのでアルバイトだったのかもしれない。今思うにマニュアル通りの対応だったようだが、最後になにか話しかけてきたのによく聞き取れなかった。恐らく、”こんな日の開店時間からよく御出で頂きまして...” と解釈したのだが、ちょっと好意を抱いてしまった。この店でその人と再び遭うことは無かった。
 Folkwaysというレーベルから出ていた(日本ではキングレコードからだったか?)"Country Gentlemen*3" のアルバムが3〜4枚並んでいた。フォーク、ブルーグラスというコーナーが存在していた、そういう時代である。
 高校3年頃だったか、ジャズコーナーだけが分離して袋小路のようなスペースを与えられ、薄暗いスポットライトで憎い演出をしていた。マッコイ・タイナーの "Song of The New World*4"、"Echoes of A Friend*5" をここで手に入れた。 同じフロアに三省堂があり、当時の重要な情報源であった。

2.サカキバラ?
 店名が不確かだが、時計・貴金属・眼鏡の一誠堂の隣にあった。1Fのレコード売り場で買ったことは無く、いつも2Fの楽器売り場でギターの弦を仕入れていた。高校卒業の年に尺八を独習しようと思い、まず鳴らせるかどうか試すつもりで入門用を買ったのがここであった。竹の根っこの部分を使った本物ではなく、今なら東急ハンズの素材売り場で売っているような竹を細工したもので、わずか2000円程度のものであった。

3.△△楽器
 欲しいレコードが1. 2.に無い時に尋ねるお店で、店名は覚えずじまいだった。ただ、1973年にBYRDSのオリジナルメンバーによるリユニオン・アルバム*6が売り出された際に、店頭に大きなポスターが貼られていた事でよく覚えている。アサイラムレーベルは日本では東芝系から出ていたようで、洋楽宣伝部がかなりプロモーションに力を注いでいたことに驚いたものである。

4.×××
 ここは通りがかりに偶然発見した輸入版専門店で、確か1980年前後に店開きしたようである。料理店の2Fにあり、4畳半程度の小さなスペースながらオーナーの趣味を活かした店で、こうした専門店は当時雨後のタケノコのように繁殖したようである。円高のおかげで輸入版が2000円以下で買えるようになってきたことも影響していたようである。英盤もあったが米盤がメインで、中でもウェストコースト系がよく揃っていたので贔屓にしていた。1980年頃はCD登場以前だが、米盤は1970年代初期の頃のレコードが再販されるケースが多かった時期で、高校の頃に買いそびれたPOCOの "From The Inside*7"、”Head over heels” などを揃えることができた。しかしながら、2〜3年後に尋ねてみた時には無くなっていた。

5.●●
 ひかり街の最初の舘屋の2Fにある。ここはレコード・コレクターズ誌の広告で所在を知ったジャズ系輸入、中古盤の店である。1回尋ねたきりで購入したことは無い。

6.ヤマハ精琴堂
 ピーコックストアの向いにあり、レコード販売よりもピアノ、エレクトーン等の音楽教室がメインであった。それでも高校卒業後、"石井眞木:雅楽とオーケストラのための遭遇II番/武満徹:カシオペア*8" なるレコードを手に入れたのはここであった。限られたスペースのレコードラックの中でこのような邦人の現代作曲家のレコードが並んでいることは奇跡に思えるが、石井眞木の楽譜はヤマハから出版されていた縁であろう。今では完全に音楽教室のみになってしまった。

7.ピーコックストア
 今にして思えば不思議なものである。1971年当時、2Fの道路に面した壁際にレコード売り場があり、こんなところでBYRDSのEP4曲入りベスト盤Vol.1を手に入れたのである。1Fの食料品フロアからエスカレータを上がると”郷ひろみデビュー”の等身大ポスターが迎えてくれた時代である。

8.▲▲
 現在の自由が丘駅のひかり街に面した改札口を出て直ぐ右、地下に在った店である。中学3年生はイージーライダーに中毒しかけていた頃である。2年の3学期に有楽町のスバル座にクラスメイトのC君と観に行き、サウンドトラックを探しに行こうということで夏休みだったか?ここでSTEPPENWOLFの "ワイルドで行こう*9"、ROGER McGUINNの "イージーライダーのバラード" のシングル盤は見つかった。ただ、小遣いで賄える範囲を超えていたので、この様なものはこの様なお店で手に入るという事は学んだ。C君はこうしたお店に良く出入りしていたようで文化系の先導者であった。

9.東京オーディオセンター
 レコード屋ではないが、高校生の頃によく尋ねた場所である。いわゆる大人のマニア向け店舗だが、高校生でも将来のお得意様と思われたか、接客は丁寧であった。学校帰りにクラスメートと寄っては"知識"をいっぱい詰め込んで帰ったものである。その知識とは”重く、厚く、広く、高価である”というものである。


渋谷編:
渋谷 1973~1989 (Google Mapを基に編集)

1.タワーレコード
 1981年に店開きした。東急ハンズを尋ねた際に眼に鮮やかなロゴに誘われて入った記憶がある。開店間もないのかジャンルの区画分けの途中らしく、何が何処にあるのか判らない。一枚一枚めくって探すしか無い状態であった。それでも先述の1970年代初期の頃の再販モノが結構揃っていることが判り、重要な拠点となった。P.P.L.="PURE PRAIRIE LEAGUE*10" や "GOOSE CREEK SYNPHONY*11" なるカントリーロックバンドの存在を知ったのもここであった。しかしながら、もはやカントリーロックはマイケル・ジャクソンの軽いステップに一蹴された時代である。
 黄色に赤ロゴの袋は宣伝効果抜群で、これを抱えて闊歩する渋谷文化の始まりであった。1985年頃、ビニール盤のラックがCDに寝食され始めると尋ねる機会は少なくなって行った。

2.WAVE
 西武デパートB館の地下に存在。輸入盤と邦盤を揃えており、ブルーグラスロックを標榜して1969年にデビューしたDILLARDSの存在を知ったのがここであった。"Decade Waltz*12"は1979年発表だが、手に入れた1981年はこうしたジャンルも蛍の光を放っていた頃である。

3.HMV
 完全にビニール盤が店舗から姿を消した頃に登場した大型店であるが、1990年後半〜2000年頃にはかつてのビニール盤のCD復刻が進んだ時期があった。ビニール盤は持っているがプレーヤーが再生出来なくなった世代には恩恵であり、ビニール盤を買いそびれたものを探しに行ったものである。忽然と消えてしまったのはいつだったのか?

4.ヤマハ
 未だタワーレコードが無かった学生時代、欲しいレコードが銀座の山野楽器、十字屋、ヤマハに無い時には渋谷に出て道玄坂を登って行った。ここも輸入盤は結構置いているのだが収穫があったためしはない。

5.コタニ
 三省堂と共に東急プラザ4Fに在った。ダメもとで尋ねたのだが予想は外れ、しかも自分の音楽制作の重要な示唆となったレコードを見つけたのがここである。 RCAレーベルから出ていた長沢勝俊作曲、日本音楽集団演奏による ”人形風土記”と”子供のための組曲*13”であった。1975年のことである。

6.×××
 どうやってこの店の存在を知ったのか?もはや記憶が無いのだが、ビルの貸しフロアに店を構えたカントリー・フォーク系輸入盤専門店である。狭い階段を2F、3Fと登ってゆくとバーや飲み屋の看板が現れ、最上の4Fに辿り着く。日曜の午後しか商いしていないようでマスターはお気に入りのレコードを流しながらフロア奥に鎮座し、パイプを燻らせながら読書するのがルールらしい。最初はレコードのビニール袋が茶色く薫製にされているのに驚いたが、買うと新しい袋に入れ替えてくれる。マスターの知り合いらしい愛好家が冷やかしに訪れ、速い手捌きでレコードをめくり始めると、”おい!もうちょっと丁寧に扱ってくれよ” と苦言を呈していた。
 "No Strings Attached*14" なるハンマードダルシマのバンドを知ったのがここである。完全なトラディショナルばかりでなく、コンテンポラリーな曲も奏するバンドなのだが自主レーベルらしい。米国では日本のような独占的なレコード流通システムは無く、ローカルな自主レーベルが一般的で、そんなレコードが並んでいるのはマスターには本業があり、時折、自身で現地で仕入れてくるのかもしれない。1989年のことである。

7.現在のタワーレコード
 昨今はネットで注文できるのでわざわざ時間と電車賃をかけて出向くことは無くなってしまったが、年に一回くらい娘の出撃につきあう程度である。昔の街のレコード屋の品揃えよりは圧倒的に多いのだが、娘の ”狙った獲物は無かった” という気持ちは良く判る。


 振り返ってみると、一つの街に何件ものレコード屋が在った事など嘘のようである。自分にとってはレコード屋を尋ねるということが大人への階段であったようだ。音楽情報誌という教科書もあったが、店頭でジャケットを見て発見することも多々あった。
 それにしても、これらのジャケットを見るだけで次々と古い記憶が蘇って来たことに驚く次第である。あらためて音と画像の魔法を感じた次第である。

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関連エッセイ:
さすらいのレコードハンター
Henry Diltz と Gary Burdenのこと

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