2018.8.5
楽曲エッセイ:For Free/Joni Mitchell ノイズと音楽の対

 1970年にリリースされたジョニ・ミッチェルの3作目、"Ladies Of The Canyon*1" の中の1曲である。
初めて聞いたのは1973年、Byrdsの再結成アルバム "Byrds*2" でのカバーであった。メンバーの
デイビッド・クロスビーがジョニ・ミッチェルを発掘、プロデュースした縁でこの曲をとりあげたようだが、このカバーもByrdsのボーカルハーモニーとコード進行の雰囲気が気に入っていた。
 ジョニの原曲を聴いたのは80年代に買ったアナログレコード盤でのことである。
ジョニ・ミッチェルと言えば ”女性” シンガーソングライターと呼ぶと引っ掛かりそうな、評することが難しいアーティストと思う。ネット上には多くの評伝がアップされていると思うが、仲間に入れてもらえるかどうか?

 まず、訳詞してみる。

For Free

夕べはレートの高いホテルで眠り
今日は宝石店で買い物
埃っぽい街に風が渦を巻くと
子供達が学校から掃き出される
騒々しい交差点の角に立ち
横断歩道の信号が青になるのを待っていると
通りの向こうの彼、いい感じにクラリネットを吹いている
そう、タダなの

私と言えば、未来と、
それにベルベットのようなカーテンコールの為にプレイしているのかも
リムジンが迎えに来るし、二人の ”紳士” がホールまでエスコートしてくれる
私を気に入ってくれて、お金を払う価値があると思ってくれる人の為にプレイしているのかしら
彼は立ち食いカフェの ”ワンマンバンド”
すごくいい感じなのに、タダなの

誰も立ち止まって彼のプレイに耳を傾けない
でも、甘くて刺激的なの
彼はテレビでお馴染みじゃないから皆、パスしてゆくのね
私は近寄って行って、”歌でハモっていいかしら?” と尋ねてみようかと思ったの
彼のリフを追いかけているうちに信号が青に変った
すごくいい感じなのに、タダなの

written by Joni Mitchell
from "Ladies Of The Canyon"


 恐らくジョニのツアー先での経験が題材になっているのだと思うのだが、この曲は様々な二つの概念が対になっているように思う。
ジョニ自身も曲中のクラリネット吹きのように、路上ライブ時代があったのではと思わせる、過去と未来の対。
タダか有料かという音楽の対価についての対。
有名か無名かという対。
 私が気になったのは、ノイズか音楽かという対。
街角のクラリネット吹きの演奏は人によってはノイズにもなるし、甘くて刺激的な音楽にもなるという事情。
街角のノイズに埋もれてしまうか、浮き上がってくるかは人間の意識や演奏の巧拙の差もあるかもしれないし、楽器の音響特性もあるかもしれない。
武満徹が著書の中で尺八の音にまつわるノイズと音楽の対に触れていることを思い出した。武満が宴席で鍋料理を前にして尺八を奏した名人に、”鍋のグツグツ煮える音が気になりました” と感想を述べたら名人は、”その音が私の音楽です” と返した場面である。
ジョニが騒々しい交差点の角=noisy を使ったのも、musicの対だったのでは?と思えた次第である。

 ところで、freeについてはタダという意味の他に、囚われてはいないという意味もありそうだ。
それから週刊誌風に記せば、二人の”紳士” は当時、公認の三角関係と言われた、デイビッド・クロスビーとグラハム・ナッシュかもしれない。

*1
*2

関連エッセイ:
人物エッセイ その4 David Crosby考
楽曲エッセイ:Amelia/Joni Mitchell 砂漠のモーテルで見た夢とは?

エッセイ目次に戻る