2021.12.7
柔らかい力士とは?

 かつて、二代目貴乃花が入幕した頃の取組後のインタビューに対し、”弱いから負けたんです” という応えを聞いた覚えがある。
当時はあまり気に留めていなかったのだが、最近、炎鵬の相撲を見ていて思い出した次第。
炎鵬は舞の海が平成の牛若丸と呼ばれていたのに対し、令和の牛若丸と呼ばれているそうである。
どちらも小兵、軽量の力士であるが、思い出してみると二代目貴乃花の父であった先代貴ノ花は軽量力士であった。

 先代貴ノ花は1965年初土俵、大関として1980年引退だが、筆者が高校生の頃に輪島のライバルとして活躍した時代は土俵際の粘りが持ち味で、対戦相手と土俵下にもつれ込む取り組みで湧かせていた。
細身で軽量の不利さを身体の柔らかさでカバーしていたように思う。
対戦相手が巨漢、重量級の場合は組まれてしまえば不利であるが、逆に相手は身のこなしが不利と判っていても、かわしたりタイミングをずらすというような事をせず、そこが人気だったように思う。
つまり、相手が突き押してくればそれを正面から受けていたように当時は見えた。
突き押されてのけぞってしまう姿は判官贔屓を誘うが、のけぞられた相手は逆に ”のれんに腕押し” 状態でパワを吸収されてしまい、そこに貴ノ花は勝機を見出していたのではなかったか?

 しかしながら、対戦回数が増えれば攻略法が見つかり、お互いに同じ失敗は繰り返さないものである。
相手が柔らかいと気が付けば、むやみに突き押しはしなくなり、出方を良く観察するようになって行ったと思われる。
そう考えると、柔らかい力士の勝敗は何で決まって行ったのであろうか?
立ち合いから勝敗が付くまでの攻防、すなわちどのようにパワは出入りしたのか?は観客の目には判らないが、そこには規則正しい力学が働いており、両者の間に流れるパワは勝敗が付く最後のタイミングでは僅かなものだったのではないだろうか?
力学的にエネルギは最小に向かうと言い換えられるかもしれない。
勝機はどちらにも有り、最後はパワではなく僅かに早く身体が土俵に触れた方が負ける?
二代目貴乃花は子供時代に、父の取り組みをテレビの前で正座して見ていたそうだが、”弱いから負ける” とはそういう事だったのだろうか?

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