2021.6.7
二人のこころ模様

 2020年5月7日にEngineering Artのページを追加したのだが、バネが伸縮する際の力と速度の関係をX-Yグラフ上に表示するリサージュという方法で様々な模様が出現することを紹介した。
それは1個のバネについてのスタディであったが、今回は2個のバネについてのスタディである。
工学の世界では振動現象を扱う場合、バネ・マスという用語がよく使われるのだが、これは理科の実験でバネにオモリをぶら下げたような状態を思い浮かべれば良い。
但し、ここでちょっと立ち止まて考えてみると、バネは柔らかさを、オモリは重さを表すというのは判るのだが、現実に私たちが手に取ることが出来るバネ自身にも重さがある。
そういう見方をするならばバネ・マスと切り分けるのではなく、重さと柔らかさを兼ね備えた物体という見方も出来るであろう。
私たちは”物体”という言葉からは、固いというイメージを抱いていないだろうか?
豆腐やこんにゃくの様に柔らかく、ふにゃふにゃした物体は捉えどころが無く、どこか間が抜けているようなニュアンスを感じないだろうか?
学問の世界ではどうもこの柔らかさという発想は忌避されてきたような気がするのである。
 一方、落語には”豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえ”という素晴らしい表現が存在するではないか?
これを学問的に解釈=”死ねるための条件とはなにか?”を考えてみると、”豆腐よりも頭の方が相対的に柔らかければ良い”ことになる。
そういう人間にお目に掛かったことは無いのだが、夢で会ったことがあるのかもしれない。
そうした落語の世界における理論というものは立派に通用するのだが、これは理論と言うよりは物の見方と言った方が良いかもしれない。
それは私たちの頭がまだ充分に柔らかいという証左なのかもしれない。

 さて、物体を重さと柔らかさという二つの対になった性質で捉えることが出来るようになると、人間の心についても重さと柔らかさという物差しがあるような気がする次第である。
それは以前のESSAYでも紹介したが、今回のスタディは心の重さも柔らかさも事なる二人が出会ったら何が起こるか?である。
予想できると思うが、お互いに重さと柔らかさが近しい二人は気が合うような気がする。
では、かけ離れた二人が出会ったらどうなるのだろうか?きっとストレスが溜まるに違いない。
ということで、人間の心を重さと柔らかさを兼ね備えた物体に置き換え、リサージュというやり方に倣ってストレスを可視化することが出来ないか?これがもうひとつのテーマである。

 ここで基礎知識として復習しておこう。
二つの物体の間には万有引力が働くことはニュートンの言う通りである。
お互いの重さ(質量)の積に比例し、距離の二乗に反比例する法則である。
しかしながら、ニュートンの言っている質量とは点であって物体の長さは不問にしている。
長さを不問にしているのに距離を持ち出せばゼロに近づくほど万有引力は無限大になってしまう。
無限大の引力で引き寄せられた二人はどうなってしまうのか?
こうした特異点から抜け出るにはどうしたらよいか?
それはすでにフックが答えを出している。バネに掛かる力と伸びは比例する。
ニュートンは物体は点とみなし、かつ伸縮しないものとしているのだが、フックはその真逆を言っている。
ニュートンとフックは同時代の人であり、お互いに対立していたようだが、ニュートンから見ればフックは”豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえ”と言いたくなるようなような相手だったのかもしれない。

 結果
ここでは条件として、二人の心の柔らかさは同じにして重さは2倍の差を与えた。
そして以下の3つのケースを考えてみた。

1.


出会ってから何もしない。(我関せず)
Fig.1、2は互いの二人を表す
リサージュは螺旋模様に見える
2.


出会ってからお互いに気を使って自分の心の重さと柔らかさを相手に合わせようとする。
Fig.3、4は互いの二人を表す
リサージュはチリヂリ、どこかイライラしているように見えないだろうか?
3.


1.より接近する。(ソーシャル・ディスタンスを縮める)
Fig.5、6は互いの二人を表す
リサージュは1.より緊張しているように見えないだろうか?

これらの結果を見ると、リサージュはこころ模様=ストレスを表現することが出来そうな気がする次第である。

ケース1.我関せず
Fig.1

Fig.2

 

ケース2.自分を相手に合わせようとする
Fig.3

Fig.4

 

ケース3.1.より接近
Fig.5
Fig.6
 

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