2022.7.13
楽曲エッセイ:
In the ghetto/Elvis Presley/不遇でちっぽけな赤子が生まれる

 この曲は1969年にリリースされ、日本では秋から暮れにかけてラジオから流れていた。
アコギのアルペジオによるイントロで始まる物静かな曲である。
そして、"ghettoとはスラム街の事" とラジオの解説で聞いた覚えがある。
当時は中学2年生。歌詞は判らなかったが冬に向かう季節と妙にシンクロしている雰囲気が好きだった。
プレスリーは自分が生まれた頃にロカビリー、ロックンロール歌手として人気を博したが、その後兵役とビートルズの登場でブランクがあったものの、1969年のラスベガスのホテル・ショーでステージに復帰したとのこと。
なので、往時を知らない自分にとってフォークソングを思わせる曲に違和感は全く無かったのである。
そして、毎節の終わりに "In the ghetto" という歌詞に続いてバックコーラスがそれを復唱するのが印象的で、直感的にそれは黒人女性グループと思っていたのである。

 先日、書棚に見知らぬ本が置いてあるのに気が付いた。"エルビスの真実" というもので、彼のバックコーラス・クァルテットのメンバー、ジョー・モスケイオ氏の著書で中島典子の訳によるものだった。
どうも相方が手に入れて置いてあったようだ。
読んでみると、プレスリーは子供の頃からゴスペルに親しみ、デビュー前はゴスペルグループに憧れていたそうである。
巻末に彼がRCAレーベルからリリースしたゴスペル曲のリストには74曲がピックアップされており、"In the ghetto" はその中にあったのである。
ゴスペルなら聖書にまつわる事を歌っているのだろうと思い、急に訳して見たくなった次第である。
あらためて "ghetto" を検索してみると、古くはユダヤ人街を指していたが人種のるつぼ、アメリカでは特定の人種が集まって暮らすスラム街を指すようになったとのこと。
そして歌詞に出てくる "救いの手" がキーワードのようだ。
なるほど、これはフォークソングではなくプレスリーはゴスペルとして歌っていたことを知った次第。

 歌詞に出てくるシカゴだが、デトロイトと並んで周囲に工場が点在する工業都市で、南部から移動してきたアフロ・アメリカンの労働力によって支えられている街である。
南北戦争時の北軍の名目は奴隷解放だったが、それは北部の急速に工業都市化した街や大都会は農林業・炭坑で生計を立てる南部の貧しい白人をあてにしたものの足りず、アフロ・アメリカンも想定していたと言われている。
従って、そうした都市や大都会では自然発生的にスラム街が生まれていったのはアメリカだけではないようである。

 ところで、似たような歌詞はサイモン&ガーファンクルが1968年にリリースした4枚目のアルバム"Bookends"に収められた "Save the life of my child" を思い出す。
こちらはビルから飛び降りた少年とその母の叫びが描かれているのだが、自殺?の動機は何にせよ、どこか "In The ghetto" と通じるものを感じる。
彼らはユダヤ系の家系で同じユダヤ系の小学校に通う幼馴染であり、"ghetto" の事は良く知っていたと思われる。

"In the ghetto"

雪が舞う頃
寒く鉛色のシカゴの朝
不遇でちっぽけな赤子が生まれる
ゲットーで
母は嘆く
起きて欲しくない事があるとしたら
他にも乳を欲しがる赤子が居る事
ゲットーで

解りますか?
子供には救いの手が必要なの
さもなくば、いつの日か怒りに駆られた若者に育ってゆく
あなたや私を見てごらん
余りに無知で物事が見えない
ただ首を曲げて
反対側を向いてみるだけ?

それでも世界は回る
鼻水を垂らして腹をすかせた子供が
寒風に吹かれながら通りで遊ぶ
ゲットーで
空腹がこらえられなくなると
彼らは夜に通りをうろつき始め
盗みを覚え、喧嘩の仕方を覚える
ゲットーで

自暴自棄になったある夜
若者はハメを外す
銃を買い、クルマを盗み
走らせようとするが、遠くへは行けない

母は嘆く
怒りに駆られた若者の周りに人は寄って来る
拳銃を手に、通りでたかりを働く
ゲットーで
そうして彼女の息子が死ぬ頃
寒く鉛色のシカゴの朝
別のちっぽけな赤子が生まれる
ゲットーで

母は嘆く...
ゲットーで

written by Scott Davis

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