2002.6.29
柔と剛の匠 大正琴の構造を考察する

 大正琴を演奏する機会があるので、知人から借用してきた。
試し弾きをしていたら相方が「大正琴の音色って調子っぱずれの美学だね」と言ったので、確かにちょっとばかりズレているけれど、それは大正琴をやっている人に失礼じゃないの?と思った次第だが、そのはずれ具合が気になり出した。
大正琴のサイトで調べると、大正元年に名古屋の森田吾郎氏がタイプライターからヒントを得て発明した楽器とある。
水平に横たわる胴に弦を張って爪弾くという点ではマウンテンダルシマと同じであるが、ギターと同様に左手で弦の途中を押さえて音程を得るのがマウンテンダルシマであり、左手指で弦を押さえる代わりにキーを押すと、てこの原理で金属製のバーが弦を押さえてくれるのが大正琴である。図1、2.参照

     

注:各部名称は本ESSAY上で付けたものであり、専門用語とは異なる場合があります。

両者には金属製のフレットがあり、フレット(左手側)とブリッジ(右手側)で区切られた弦の長さで音程が決まるところは両者は全く同じである。しかしながらその音色は全く異なる。
しばらくは大正琴をひっくり返したり、キーの部分を覗いたりしていたが、その違いは以下の差異によってもたらされることが判った。

1.弦の張りが大正琴の方が緩い。
2.底板(マウンテンダルシマやギターでは指板)から弦までの高さが大正琴の方が高い。

ギターの経験のある方なら大方察しがつくと思うが、マウンテンダルシマやギターは左手指で弦を押さえる力の強さはピッチにほとんど影響を与えないが、大正琴の方はキーを押す力加減でピッチが若干変わってしまうのである。
大正琴は3本のG線と1オクターブ下のG線の計4弦を爪弾き、更に2オクターブ下のG線(またはC、D線)が解放弦として備わっている。 バーは裁断機のように1点を支点として円弧を描いて弦の上に降りて来るのでキーを押してゆくと、一度に4弦が押さえ付けられるのではなく、1弦づつ僅かにズレながら押さえられる。
4弦全てがフレットに接触する位置までキーを押せば良いのだが、底板から弦までの高さが高いことと相まって、 4弦の張りは均等にならず、1弦づつ僅かにズレるので4種類のピッチがズレた複合音が得られるのである。
更にはキーを弦が底板に触れるまで強く押してしまうともはやピッチは許容できないほどにずれてしまう。図3.参照


つまりは、弦の張りが緩いということと、底板から弦までの高さが高いということは演奏者に力加減でピッチをコントロールする余地が残されており、微妙な表現が可能であるということである。日本の琵琶が良い例である。

では、大正琴が力加減でピッチをコントロールする余地を意図的に残した楽器と言えるだろうか?大正琴は誰でも簡単に演奏できることを意図して開発された楽器であることからするとどうも合点がいかない。キーを押すと、てこの原理でバーが弦を押さえるというメカニズムを考案するくらいであるから、正確なピッチを得るための力学的なメカニズムは当然考えていたと思われる。
例えば、バーは円弧を描いて弦上に降りて来るのではなく、オートハープのように水平に降りて来るようなメカニズムも考えられる。図4.参照

弦の張りが緩いということはいろいろな理由が考えられる。大正琴が誕生したのは大正元年だが、当時の日本では引っ張り強度の高い(切れにくい)鋼線を製造する技術が未熟だったのであろうか?当時は既に日本でもバイオリンやギターが製造されていることから この推測も怪しい。仮に未熟だったならば外国から弦を輸入することも出来たであろう。一般庶民向けの大正琴はそこまで高価な弦は使えなかったのであろうか?
一方、弦の強い張りに耐えるには胴は本家の箏やバイオリンの様に湾曲した面を持ち、もっと頑丈な作りが必要である。大量生産を念頭において工作の簡便さを優先させたのであろうか?

もう一つピッチの柔軟さに大きな影響をおよぼしているのがキーとバーを支える支柱の剛性が低い構造である。キーを押すと弦を押さえる反力で支柱が僅かに撓むのである。図5.参照(誇張して描いてあります)

私にはこうした柔軟な構造が一般庶民向けの楽器とは言え、どうしても安易、安価な発想によるものとは思えないのである。
ここで思い起こされるのは大平洋戦争中に設計された旧海軍の戦闘機ゼロ戦のことである。操縦性に優れた戦闘機として有名だが、開発初期のゼロ戦は操縦桿があまりにも敏感すぎてパイロットの手のわずかな動きが舵に伝わってしまい、かえって危険であったそうである。この解決策として操縦桿から舵までのメカニズムを柔くしたという話が伝えられている。

さて、この柔軟な構造はやはり音色を聴きながら試行錯誤の末に決まって来たのではなかろうか。発明家は初めて試作してみたらピッチの甘いことに納得できず、弦の張りを強くしたり剛性の高い構造も試したのかもしれない。で、どっちが良い音色か?ピッチの甘さは発明家としては許せない。だけれどピッチがズレた音色も捨てがたい。そんな悩みを抱えていたのではないだろうか?
でも大正琴が入っている歌謡曲や演歌を聴いてみるとどちらがふさわしいか納得できるような気がする。

参考資料:大正琴クラブサイト
Illustrarion By Isogawa,Shin-ichi

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