2004.5.30
琴線の固有振動数

 チベットの声明のCDを聴いているとき、脇に居た5歳の娘が「怖い」と言って拒否反応を示した。彼女にとっては初めての音体験であった。言葉で表現するならば、低い声で地の底に響くがごとくなのだが、チベットの子供達はどうなのだろうか?
しょうがないので「耳直しをしよう」ということでビーチボーイズのサーフィンU.S.A.を聞かせてあげた。 こちらはうって変わって脳天気な音楽なのだが、娘にはばかうけしたようでそれ以降「♪び・び・び・べりばりじゅ〜〜え〜〜やって!やって!」とせがまれる。
どちらもおなじ空気の振動なのに人間の音に対する反応はどうしてこうも違ってくるのだろうか?
自分が子供の頃に未来科学のシンボルだった鉄腕アトムは、動作だけなら今や現実のものになりかけている。 転んだところから上手に立ち上がろうとするロボットを見ていると思わず、「頑張れ」と情が移ってしまいそうになるほどである。人間を癒してくれるロボットの研究も盛んだそうだ。
動作の次は人工感情なのだろうか?でもそれは妙ちくりんな言葉かもしれない。 チベットの声明を聴いたら怖がり、サーフィンU.S.A.を聴いたらうきうきになるロボットを作ることは出来そうであるが、いつも同じ反応をするのでは能(脳)が無いし、それはやはり人間の勝手な観念を植え付けたにすぎない。 本当に記憶や経験が何も無いゼロの状態から感情がうまれるロボットはできるのだろうか? それは想像するとちょっと怖い。
記憶や経験が伴わずとも、ある物理現象に対して特定の反応をする例として共振(共鳴)現象がある。
物体には必ず固有振動数というものがあり、それと同じ振動数の音を浴びせれば自ら震え出す。 それは音に限らず、視覚の世界でも同じである。 お見合い写真を見て「決断」するのも共振現象の為せるわざなのであろう。
そもそも、地球も月も太陽も天体は決まった周期をもって自転、公転しているのだから、これ振動現象にほかならない。 その上に存在する生命も、非生命もひっくるめて地球の歴史は共振の歴史なのであろう。
「琴線に触れる」、「打てば響く」、「彼の意見に同調する」等等、先人は共振現象についてとっくに御存知でいらっしゃる。
さて、自分の琴線の固有振動数はいったいいくつなのだろうか?

関連エッセイ:
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「タンパク質の音楽」を読んで

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