2004.10.16
コオロギは歌う?

 今日はドリー・パートンのCD*1を聴いていた。久しぶりにゆったりした気分で歌詞を追っていてふと思った。MY TENNESSEE MOUNTAIN HOMEという曲。
彼女の得意の故郷の山の暮らしを歌ったもので、北アメリカはアパラチアン山脈地域の厳しさ、貧しさばかりではない、豊かな自然に心を癒されたこともあったであろう先祖の暮らしに思いを馳せるのか、サビの部分では聴衆の熱狂的な歓声が盛り上がるライブ録音である。
こういう曲は日本にはちょっと無いなあ。と、うらやましい気がする。アメリカに移住してきた代までならルーツは比較的楽に辿れるのだろうか、祖先の山の思い出話しが今も誇張されることなく身近なものとしてあるようである。
山の故郷への想いを切々と歌うというのはちょっと照れがあるが、そこはアパラチアン出身のドリー・パートン、堂々と歌い上げる姿はほんとうにうらやましい。

♪ある午後のひととき、我が家のポーチで椅子を片足座りにして壁にもたれる
黄昏れ時、子供達はホタルを追いかける
我がテネシーの山の家
暮らしの穏やかなるは、赤子の吐息のごとし♪

そして、サビの部分へ来ると、

♪我がテネシーの山の家
野山のここそこで、コオロギは歌う。♪

なんとも日本の情景と同じである。
でも、やはり、"コオロギは歌う"という感覚は日本とは違うような気がする。
私達日本人は、♪"ああおもしろい虫の声"♪を歌わされたからなのか?
"祇園精舎の鐘の声"と言うように、先人はなぜ物音を"声"にたとえたのであろうか?
角田忠信氏の研究によれば、日本語で育った人は、虫の音やお寺の鐘の音は言語をつかさどる左脳が優勢だそうである。日本語以外で育った人は、虫の音は音楽脳と言われる右脳が優勢だそうである。

*1:"SUPER HITS

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