98.8.31
新しいサウンドは海の向こうから?

今思えば60年代から80年代初期にかけてラジオから流れてきた洋楽の音色=次から次へと出て来る新しいサウンドに驚きと羨望をもって接していた時代が懐かしい。
幼少ながらに私の脳裏に深く刻み込まれている最初の未知のサウンドとの遭遇は電子オルガンである。米ソ宇宙船競争が盛んになった60年代初期、ベンチャーズに代表されるエレキインストルメンタルバンドの時代である。たしかスプートニクスというグループで、宇宙をテーマにした曲だったと思うが、そこで旋律を奏でる妙にビブラートがかかったサステインの長い音色が電子オルガンだった。同時期にブームになったゴジラに代表される怪獣映画の中でも、破壊光線が放射されるとこの音が鳴らされたいた。シンセサイザー登場前の重要なスペース?サウンドと言えよう。このサウンドとの遭遇以来、自分がシビレてきたサウンドを回想してみようか。

私がラジオから洋楽を吸収しだしたのはエレキギターが既に市民権を得ていた時代であるが、ビートルズのI Feel Fineのイントロの最初のボン!!・・・・・ビヨ〜〜〜ンという琵琶の音色のようなサウンドにはたまげた。ビートルズレコーディングセッションという本によると、ポールの解放A弦のボン!!の後にジョンのギターとアンプの間で発生したフィードバックノイズをそのまま使ったとのことだが、これはまったくサワリの感覚だ!!
これ以降、エレキギターサウンドはクリームやレド・ツェペリン、ジミ・ヘンドリクス、カルロス・サンタナに代表されるディストーション(昔はファズトーンとも呼んでいた)、サステイナー、ワウワウ、フランジャー、コーラス、フェイザー等、数々のイフェクターの使用によって万華鏡のようだった。ギターは本来サステインが乏しい楽器だったからいつまでも余韻が続くサウンドは、なにか魔法をかけられているような脳をくすぐられるような感覚だった。サイケデリックサウンドという名前も懐かしい。

その後登場したムーグシンセサイザーは私の耳には無機質過ぎて興味は湧かなかった。あの頃のミュージシャンは先を競って導入したが、まだシンセサイズというところまでは使いこなされておらず、エレキギターサウンドの魅力には今一歩だった。
エレキサウンドも熟成してきた60年代末になるとアコースティックギターにも革新的なサウンドがあるのを知った。
ニール・ヤングの手の腹を弦に叩き付けてミュートとドラミング効果を伴った奏法である。半音、または全音下げたチューニングで大胆にビブラートをかけたり、解放弦でドローンをたっぷり効かせたスティーブン・スティルスも大好きだった。

70年代後半に入り、ディスコやフュージョンサウンドが流行ったが、ここに登場したチョッパーベースも驚きだった。
この時代から80年代はシンセサイザー全盛時代である。イントロでは、おっ!と思うものの、普通の楽器の様に人間が弾くことによって得られるゆらぎを伴わない音色は長く聴いていると却って耳障りな思いがした。

80年代以降、シンセサイザーの発達やサンプラー登場のせいかもしれないが、楽器や演奏法の工夫による新しい音色は以前ほど頻繁には届いてこなくなってしまった。そんな閉塞感が漂う中、世界中のミュージックシーンが民族音楽に耳が向いていったのは自然な流れだったと思う。それはブームであってもいっこうに構わないと思う。これから数10年後にはその音色のエキスをたっぷり含んで十分に発酵した音色がきっと出て来ると思う。それはビートルズやローリングストーンズがシタールを用いたやり方、調理方法とは違ったものだろうと思う。

ところで、当時の日本のミュージクシーンはどうっだったかというと、音色に関して私の体験した限りはオリジナルなものはほとんど収穫が無かったのが気掛かりである。音色に対しての民族性があるか否かは非常に興味を惹かれるところだが、日本人は消化吸収に長けているだけなのだろうか?それともまだ発酵の途中なのだろうか?

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