2008.7.20
アフリカ人は目がいい?

 先日の新聞でこんな記事が出ていた。
日本に住んでいるアフリカ人の男性が電車の中で、前に座っている男の足下がなにかおかしいので注意して見ていたら、靴の先に小さな穴を見つけた。 これは立っている女性のスカートの中を盗撮しているのだと気づき、その男を捕まえて警察に突き出した。 調べたら、男の靴には5mm角の小さな穴が開けられ、中に小型カメラが仕込まれていて、アフリカ人男性はお手柄であった。
とのこと。
アフリカ人のコメントがなかなか興味深い。「アフリカ人は目がいいんですよ。」
子供の頃に見たテレビの冒険ドラマ、"少年ケニア"を思い出して、草原や森で猟りをしているマサイ族の姿を想像して、なるほど目が良くなきゃ生きていけないか、と思ったのだが...  アフリカも広いし、誰もが皆、猟りをしているとは思えないし... まずは固定観念は捨てて。
お手柄アフリカ人の「目がいいんですよ」は、日本人が持っているだろう固定観念を利用したウィットだったのだろうか? それともアフリカ人は皆そういう自負があるのだろうか? 自負があるとしたらこれはとても興味深い。スポーツの世界でもアフリカ系の選手が得意な種目もあるし、音楽でも日本人や欧米人とは違うものを感じる。 小さい物がよく見えるという視力の問題もあるのかもしれないが、周囲の状況の中から不自然なものに気がつく能力だとしたら、これまた興味深い。
チベットの山岳地帯に住む人々は雪崩の危険といつも隣り合わせているからなのか、極く低い音に敏感らしいし、極寒地に住むイヌイットも氷が割れる危険と隣り合わせになっているからなのか、かすかな物音に敏感という話を聞いた事がある。 その地域、環境に合わせていつもと微妙に違うゆらぎを判別する能力というのはあるのだろう。
我々は自分の身の回りの確からしく、安全そうに見えるものに囲まれて、かつて鋭かった生物としての五感や第六感を鈍らせてはいないだろうか? 理科年表を見れば地球の気温は上がったり下がったりの凸凹を伴いつつ、すこしづつ上昇していることは誰の目にも明白だが、それは20年〜30年幅で見たから言えることであって、その瞬間、瞬間では何も言えないものである。しかしながら、なんかいつもと違はないか?と感じたものは結構当たっているものだ。
今朝の新聞にも出ていたが、南方系のクマゼミが30年前の大阪市内には少なかったのに、今は9割を占めているそうである。クマゼミはその瞬間、瞬間の違いを感じ取って次の行動に出たのだろう。人間以外の生物のゆらぎ方は人間より早く様々な予兆を示してくれるのではないだろうか?
お手柄アフリカ人のコメントが人類への警鐘に聞こえたのは考え過ぎだろうか?

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