2011.3.20
ブルースセッション見学記

 今日は小中学校のクラスメイトB君からの情報に誘われて、東横線学芸大学駅に程近い ”メープルハウス” なるライブハウスに出かけた。ブルースセッションなるものは初めてなので興味深々。大体の予想はしていたが、なるほどいろいろ勉強になった次第である。

 駒沢通りに面したビルの地下1階に下りて行く。予定されているバンド名は "Ohio Blues Session" ならぬ ”おはようブルースセッション” とある。ゴツい取っ手の防音扉を明けると、アンプを通したエレクトリックギターの音出しに早くも胸騒ぎ。アンプのハムノイズやプラグを抜き差しする際の”キュン”という音。これらの音は我々の世代にとっては祭りのふれ太鼓のようなものかもしれない。思わず40数年前の中学時代のバンド練習を思い出してしまった。
 ギターケースを背負った腕自慢達が次々と扉を開けて入ってきた。”よろしくお願いします” と交わし合う挨拶はどこかの道場のようだ。業界用語には疎いのだが、B君は参加者の集まり具合を見て即席でバンドを編成作業する ”仕切り屋さん” なのだ。アメリカの戦前のアパラチアン山脈地域の地域的なフォークダンス集会で、参加者や伴奏者に曲目やリズムの指示を出すコーラーと呼ばれる役割に似ていると思った。
 2、3曲演奏するとメンバーが入れ替わってゆく。ギタリスト衆は皆、本当に腕が達者で、顔から足の先まで筋肉がチョーキングして完璧に逝ってしまっていた。こうしたセッションが日本各地で行われているのだろうが、幾人かのブルースギターの巨人達がこの様子を知ったら、きっと驚きを禁じ得ないであろう。
 それを支えるベース、ドラム、マウスハープ、オルガン奏者の面々も、この日を待っていたかとばかりに技を炸裂させている。ちなみにB君もボーカルとギターで逝っていた。地球からブルースという栄養素が足りなくなる心配は全く無用のようだ。

 自分が高校の頃に馴染んだブルーグラスにも似たようなセッション=ジャムがあることを思い出した。ブルーグラスはアパラチアン山脈地域をルーツとしているので、山や丘陵のような場所で行われる野外フェスが全米各所で催されるのだが、ブルースの方はディープサウスと呼ばれるミシシッピー河口のベイエリアがルーツなので、街で行われるのが相応しいのかもしれない。
 ブルースセッションとブルーグラスジャムに共通するのは、楽器を持参した人なら誰でも参加できるところである。ブルーグラスの方は生楽器なので、フェスで歩きながら自分がマスターしている曲のジャムが行われている集団を探し、仲間に入れてもらうことができる。今日のブルースセッションはエレキで、1ステージなのでそうしたことは出来ないが、演奏し終わった参加者は歓談したり、達人のプレイに目を凝らしたり、次の自分の番が早く回ってこないかとそわそわしたり、楽しく濃密な時間が過ぎてゆく。
 丁度、社交ダンスもこのような雰囲気なのではないだろうか? 社交ブルースと言ったら変だが、ブルース発祥の地での本来のモチベーションとは離れて、地球の裏側でこうした集いが行われている様子を見ていると、ブルースセッションは一つの文化と呼べるところまで来ていると感じた次第である。

 ところで、ブルーグラスには、"Dim Lights Thick Smoke and Loud Music" という曲がある。ブルーグラスバンドが生計を立てるためによく演奏したクラブやバーの典型的な情景を歌ったものであるが、本日のブルースセッションもこれに則り、煙が目に滲みるひと時であった。

関連エッセイ:
ブルースゆらぎ
ブルーグラス回想

エッセイ目次に戻る