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ハルモニアムンディ
ULS-3278-H 録音日 1978/6/5-10 |
骨格に太い線の通った剛気なドイツのブルックナー。
このレコードにおけるケルン放送響はウィーンフィルのような甘い音色ではなく辛目の渋いしかし明るい音色である。
この明るく聞こえるのは その金管によるものが大で、とにかく金管群の強奏が目立ち、時には薄っぺらに聞える個所もあるが、適度な集中力を持ち
効果的で胸のすく演奏だ。
感傷的な表現はいっさい顔を出さず、終始 やや早めのテンポで、音楽はぐんぐん進み、それでいて
荒々しく、激しく、厳しい。
3楽章でも 相変わらず金管群が吠えまくる。
この辺りは 好みが別れそうで こんなに朗々と高らかに鳴る「生への告別」も珍しい。
弦楽器群は表情豊かに歌うが、寂寥感や孤独感はなく、カラっとしている。
私自身 この演奏をもって、この曲のベストと信じて疑わなかった時期がありました。
細部を見ると荒くて93年NDR盤と比べると未成熟に感じますが、ヴァントがブルックナー音楽を極める前の「鋭気とエネルギー」を感じる事の出来る名演です。
特に1,2楽章は素晴らしく、一聴の価値あり。
「雑談集」にも少し書きましたが、「BMG」より再発売されたこの録音のCDはLP盤の音に比べて格段に低音が充実し落ち着いた感じの音色になっていました。ますます オススメです。
BMGビクター
BVCC-8889/90 録音日 1988/6/24〜26 |
リューベック大聖堂で行われたライブ。
それは想像を超えた独特な音響。。。
第1楽章77小節のピッチカートが始まっているのに 75小節の残響がまだまだ響いているし、493小節の全合奏では混沌とした形容し難い美が現れます。
それを美として感じるか混濁と感じるか。。。
特に低弦群の響きはまるでハウリング(レコードプレーヤーにおいての)を起こしたかのように唸りつづけるのです。
その残響音の為に音の輪郭が狂ったり、特定の楽器だけが妙に強調されたりで、バランスが良いとは言えないのですが、一種独特で幻想的な風景が眼前に広がります。
「Feierlich, Misterioso.」というならば まさにこの演奏は荘厳で神秘的です。
深い雲海の上に時折 ホルンの咆哮やら ティンパニの豪打が顔をのぞかせたり
一筋の神々しい光が一瞬射し込むといった感じでしょうか。。
余談だがミステリオーソと聴くと私はまず頭に「トラヴィアータ」の一節が浮かんできてしょうがない。。。
「。。ミ〜ステ〜リ〜オ〜〜〜ソ、ミステリオソ アルレ〜ト〜〜〜〜〜くろ〜〜ぜ
クロ〜ゼデリ〜チァ〜くろぜ デリ〜〜チァ 。。。。」 失礼しました <m(__)m>
ヴァントも多分 この演奏会場の為の演奏をしたと思われる個所がいくつか見受けられ
やはりこの録音は部屋でCD環境で聴くのでなく 大聖堂で聴く為の演奏と思えます。
ヴァントはCDの音源としてこの録音ソースに不満を持っていたらしいのですが、それも充分うなずけます。
解釈自体は93年盤と変わりはなく 緻密でありながら 豪放な太く重い響きが圧倒的なブルックナーフォルテシモの魅力を見事に引き出します。
何度か聴き重ねるうちにこの幻想的な雰囲気に慣れてしまうとかなり「はまり」ます。。。
93年盤の完成されたブル9に至る直前のヴァントの実力と感性を知る上で 聴いておきたい演奏です。
※ この大聖堂に実際に行かれた事のあるKさんによると 大聖堂の雰囲気がよく伝わってくる名演とのことです。
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BMGビクター
BVCC-671 録音日 1993/3/7-9 |
これはまた 凄い演奏だ!
ケルン放送響盤で特徴的だった金管の強奏は影を潜め、やや遅くなったテンポとともにヴァントの円熟ぶりを堪能できる。
このテンポが遅くなったのは 偶然ではなく必然である。
スケールは限りなく広がり、重厚な響きともに完成度はさらに高まった。
ヴァントは曲の隅々にまで、気配りが行き届きスコアにない強弱やテンポの動きが大袈裟でなく随所に織り込まれ、演奏に味を加えている。これが
ライブとは驚きだ。
1979年のケルンから 1993年のこの録音までの14年間でヴァントは何を求めたのか?
カラヤンのようにどの録音でも それほど劇的な演奏形式の変化を見出せない演奏に比べ、ヴァントの演奏は確実に変化していることが手に取るように解かるはずだ。
この変化ぶりはシューリヒトのウィーンpo.盤への道のりと同類で、一人の芸術家の完成への過程を見ることにおいて大変興味深い。
シューリヒトの場合、ウィーン盤において完全に「達観」しており、解釈は完結している。(既に亡くなっているので当たり前だが、、、)
が、 ヴァントのこのCDは円熟しているが、まだ完結していない、まだまだ 先がありそうだと予感させられてしまう魅力がある。
スケルツオのトリオ、3楽章の中間部など ヴァントにしては 粘っこくトロイ部分もあるが、それにしても
素晴らしい。
現在の私の中にある 「ブル9像」に かなり近い、傑出した名演です。
好きか嫌いかで論ずれば、私はケルン盤が好きですが、演奏自体の質と内容の高さで言えば、NDR盤が数段上と考えます。
とにかく 両方聞き比べると より 楽しめるようです。
アントン・ブルックナー交響曲第9番についての若干の考察----G.ヴァント・・・より抜粋
第9交響曲の響きがそれ以前の交響曲と比べていっそう峻厳で、ときには作曲者が意図的に距離を置いているかのようにさえ作用するのは、ブルックナーがポリフォニックな声部進行を徹底して追及した結果である。
このポリフォニックな声部進行、最初はこれが聴く人の耳を惑わせる。
これは、俗世に背を向けた人が追求する内的な真実、すなわち、獲得することのできない全体を何度も何度も恍惚として思い描いた後、底知れぬ「不協和音、不調和」をも克明に告げ知らせる内的な真実の表現なのである。
この恐ろしい叫び、そこには楽園を喪失してしまった人類の嘆きが世の終わりにまで向けて響きわたっているように思われるのだが、それは、みずからいかなる解決も救済も見出すことはできない。
あとには静寂がやって来るだけだ。それから信仰による安堵へと向かってゆく。
音はマテーリエ「物質、素材」から開放されたかのようだ。
そして、いまや音楽の脈動が永遠の静謐を確信する浄化された結末に至るまで脈打つのである。
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1998年 ミュンヘンにて SANDANA sacd-105/6 |
ヴァントはどこまで持ち玉のストレートに磨きをかけるつもりだろう?
彼は決して 抜いた玉は投げない。あくまで自分の年齢と経験に応じた渾身の直球を投げ込んでくる。今回のストレートに私は唖然と立ち竦むばかりだ!
ライブ特有の雑さは 微塵も感じられず、第1楽章のはじまりから ヴァントはアダージョを見据えて
厳かに慎重に第1楽章は開始される。いつものように ヴァントは音の強弱とテンポの動きをそれと判らぬほど微妙にしかも数多く散りばめながら
ブルックナーを構築していく。
第3主題開始からのアーチの描き方や再現部終わり付近のクライマックスなど見事だし、コーダの始まり方など
ブルックナー好きの要所を心憎いほど刺激する。
現在のヴァントにケルン盤のような第1楽章の元気の良さを望むのは失礼だが(あのテンポを心のどこかに期待している)あの演奏がついにここまで達してしまったのか!と感じるほど
熟成を極める。
ただ ヴァントの円熟度は私の好きなケルン盤とは だいぶ 違うところまで来てしまった。というのも素直な感想です。
ケルンもミュンヘンも名演だけど 中身はかなりの別物。
アダージョは絶品といっても差し支えない超名演で、使い古した表現では「ヴァントは神に近づいた」とでも言いましょうか
(^_-) 意識的な音の強弱が気になる部分もあるが、問題にはならない。
155小節からのコラール。スコアには「f」(フォルテ)の記述。
ここは 一拍目にアクセントを付けて 突然の変化を感じさせる演奏・・・ムラビンスキーやマタチッチ盤等、
アクセント無しにソ〜と始まり、徐々に表情を付けていく演奏・・・クナ盤やクレンペラー盤等
何の表情も付けずに淡々と通り過ぎる演奏・・・若杉盤等
大きく分けるとこの3種類の形があると思います。が、このヴァント盤はそのどれにも当てはまらない。
気負わず 肩の力を抜いたような なんと自然で豊かななコラールだろう。
この自然さが 199小節からの圧倒的な「ff」フォルテッシモを呼び、終結部の天国的な情景を浮かび上がらせているように思う。
それにしても ヴァント! どこまで 私を楽しませてくれるのだろう?
近い将来 出るであろうベルリンpo.盤に期待はさらに膨らむのであった。
演奏終了後、しばらくの間があった後のしみじみと感じ入ったかのような暖かい拍手。
若杉/N響のコンサートでフライングの拍手がでるのとは 大違いなのに驚く。
やはり「名演は観衆が作り出す」 とは言い過ぎだろうか。
ミュンヘンの聴衆はかつて ケンペやチェリのブルを聴いてきたんだよな〜と改めて
考えてしまった。
海賊版(?)にしては 恐ろしく音質が良いのが 驚きでした。
このCDの推薦文です by
なかたさん
このCDの感想文です by y_shinjiさん
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BMGビクター
BVCC-34020 録音日 1998/9/18〜20 |
永年築き上げた芸術を表現したこの演奏を誰がケチをつけることが出来よう。
それは素晴らしい芸術であることに 疑いの余地は微塵もない。。。。
現在 最高ランクの「ブル9」がここにある。
しかし、私達は既に彼によるケルン盤やNDR盤などの数々の名演を聴いているである。
そのヴァントであるならば ベルリンpo.を擁しての演奏に想像を絶する高い期待と羨望と憧れを持つことは至極当然の事ではないでしょうか?
その意味からいうと この演奏は残念な事に期待外れであった。
つまり ヴァントとベルリンpo.ならばこの程度の出来ではなく とてつもない超名演ができたのではないだろうかと。。。。
スコアにないテンポの変化や強弱はヴァントの常であるのだけど今回ばかりは曲の流れをスポイルしてしまい逆効果だ。
ミュンヘンでも若干感じてはいたが、全体的に人工的に感じる。
デクレシェンドの指定があってもテンポを落せとは無いし、rit.の場所のはるか前からテンポが落ちていて、同時に音楽そのものが萎んでいくようだ。
そのため次の大切な大切なフレーズの輪郭があやふやになり死んでしまっている。
つまり音楽が生きていないのだ。
例えば第1楽章の第2主題部、ハ長の動機、及び再現部などを 以前の録音と聞き比べてみて欲しい。
あんなに生き生きと輝いていたはずなのに。。。。
NHKのテレビでみた時はもうちょっと良いと感じたのだけれど。。、
繰り返すが、決して駄演ではない。ヴァントだからこそ期待してしまうのだ。敢えて書きたいのだ。
1993年のNDR盤を放物線の頂点にして彼の音楽は衰えてしまったのだろうか?
結局最後まで幸せな瞬間を感じることが出来なかった。。
ヴァントはわたしの理想の「ブル9」からだんだん離れていくようだ。。
ヴァントの演奏の感想文です by Deka-yasu さん
オケ | 録音 | 第1楽章 | 第2楽章 | 第3楽章 |
ケルン放送so. | 1979年 |
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北ドイツ放送so. | 1988年 |
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北ドイツ放送so. | 1993年 |
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ミュンヘンpo. | 1998年 |
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ベルリンpo. | 1998年 | 26:12 | 10:35 | 25:12 |