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Last update : 2001.09/01
1.海軍コンクリート造船技術概要。
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第二次大戦前までの世界のコンクリート船。
コンクリートを船舶の材料に適用しようとする試みはかなり古く、 1849年、フランス人M.Lambotにより長さ9ftの櫓櫂船が建造されたのが 最初であるとされています。
時あたかも船舶の材料が木から鉄、 そして鋼へと移行せんとしつつある頃でした。
それから第一次世界大戦にかけて、欧州各国を中心にコンクリート船が 建造されましたが、その多くは船とは言っても浚渫船やバージなど、 雑種船に過ぎないものでした。

第一次世界大戦勃発により、参戦各国は船腹の不足と造船用鋼材の欠乏に苦しみ、 木造船建造計画を立てる一方、 コンクリート船の建造を推し進めました。
中でもスカンジナビア諸国では製鋼設備がないために鋼材の不足が著しく、 コンクリート船の建造に先鞭を付けることになりました。 1917年、N.K.Fougnerは長年の実験の成果を生かし、 史上初のコンクリート製海上貨物船「Namsenfjord」 (200重量トン)を建造しました。 Fougnerは引き続いてコンクリート船を建造し、竣工した船には1818年、 コンクリート船として初めて北海横断に成功した「Askelad」(1000重量トン) などがあります。
米国では1918年5月にW.L.Comynの手になる当時世界最大のコンクリート船 「Faith」(4500重量トン)が建造されました。 同船は1919年にはコンクリート船として初めて大西洋を横断しています。 この成果を受け、 米国政府は42隻に及ぶ大規模なコンクリート船の建造を計画しましたが、 休戦により12隻が竣工したにとどまりました。
第一次大戦中にはこの他にも仏、独などでも 多数のコンクリート船が建造されたのでした。

このように第一次大戦中には多数のコンクリート船が建造され、 世の中に認められたのですが、戦後の不況と船腹過剰の中、 経済性において鋼船に劣るコンクリート船は消え去っていきました。 戦間期に小数建造されたものがありましたが、小型雑種の船に過ぎなかったようです。


第二次大戦前までの日本のコンクリート船。
日本における初めてのコンクリート船は、明治43年(1910)に進水した 小林泰蔵の手になる大阪築港の浚渫土運搬船(15.24m×4.88m×1.52m) とされています。
その後、第一次大戦にかけて数十トンから数百トンまでのコンクリート船が、 主に個人の手により建造されました。
珍しいところでは大正8年(1919)に進水したコンクリート船があります。 同船は造船学者として名高い末広恭二が三菱の岩崎弥太郎の発意に基づき 計画したもので、三菱倉庫会社に所属して 艀船としての相当の成績を挙げたといいます。
また、海軍でも雑役船として大正7年に佐世保工廠において100トン積の 水船が建造され、以後数隻が建造されています。
日本でのコンクリート船建造の試みもまた、 第一次大戦終結と共に一時消え去りました。


第二次大戦の日本のコンクリート船。
太平洋戦争開戦により(中略)とにかく船腹の不足に苦しんだ日本では、 昭和17年末頃からコンクリート船建造が計画されました。 舞鶴工廠が中心となって実験と研究をし、新設の武智造船所で コンクリート製被曳航油槽船5隻、武智丸級コンクリート製輸送船3隻が 建造されたのでした。

舞鶴工廠では戦前からコンクリート船に関する基礎研究を行っており、 船舶建造に適したコンクリートの配合、構造、 修繕などについて知見を得ていました。 開戦後にコンクリート製浮桟橋(橋船)を試作のため建造し、 漏水箇所がなく水密性に問題がないことが確かめられ、 また曳船を衝突させる実験を行ったところ全く損傷が無く、 衝撃に対する強度が十分にあることが 確認されています。
この成功により、舞鶴工廠では800総トンのコンクリート貨物船の本格的な設計を行い、 艦政本部の承認を得ました。

武智造船所というのが、なかなか興味深い存在です。
創業者の武智正次郎は元々は土木工学家で、浪速工務所という コンクリートの杭打ちを行う土木工事会社を大阪で経営していました。 しかしながら太平洋戦争開戦による工事の激減、鋼材の不足が起こり、 更には職員工員が招集されることを憂慮した武智氏は、 東條内閣にコンクリート船の建造を建白、これが認められてコンクリート船の建造を 行うことになったものです。
コンクリート船建造のための工場用地を探索した結果、 兵庫県曽根町(現:兵庫県高砂市)の廃塩田跡地に適地があり、 ここに武智氏の名前を取って「武智造船所曽根工場」が建設されたのでした。 施設としては2本の素堀り船渠を建設し、 この中で各3隻を建造することとなっていました。 コンクリート船建造専用ですので、起重機などの設備は 殆どありませんでした。

武智造船所で最初に建造されたのは、 コンクリート製被曳航油槽船というものでした。
これは改E型船(880総トン)とほぼ同じ大きさの無人無動力のバージで、 タンカーや護衛艦に曳航されて南方から内地へ原油を輸送する目的を持っています。 要するに、同時期の被曳航油槽船を コンクリートで造ったものです。
鋼製被曳航輸送船と同様、満載状態の船体はほぼ水線下に没し、 わずかに船首楼が水面に出ているのみとなります。 船体の断面形状が円に近い形をしているのが鋼製と大きく違う点です。 鋼鉄製のものとほぼ同大ですが、コンクリート製のため船殻重量が増大し、 積載重量は鋼鉄製の1400トンに比べて1200トンへ 減少しました。
第1船は昭和18年6月に起工し、11月までに計5隻が完成、 海軍雑役船となりました。 しかしながら危険な海をこんなもの曳いて走りたがる船員がいる筈もなく、 所期の目的に使われないまま各地の港でタンク として使用されたに留まったものが多いようです。 この点は鋼鉄製の被曳航輸送船と全く同様です。

被曳航油槽船建造の成功に伴い、今度は改E型船 程度の貨物船をコンクリートで建造することとなりました。 これが武智丸級です。 これもまた改E型船をコンクリートで造ったようなものでして、 外観・大きさともに改E型船とほぼ同じとなっています。
最初に3隻が海軍雑役船として建造されることとなり、 第1船は昭和19年3月に進水、造船所名にちなんで「第一武智丸」と命名されました。 進水後の第一武智丸は三井玉野で艤装工事を受けて同年6月に竣工、 引き続いて「第二武智丸」 「第三武智丸」も竣工しました。
完成した3隻は日本近海を中心に時には南方にまで航海をし、 好成績をあげたとされています。 航空機から銃撃を受けても弾丸の直径の穴があくだけでモルタルを 盛っておけば修理でき、 また至近距離で機雷が爆発しても全く損傷がなく、 鋼船より強靭であることを示したということです。
この頃から船腹の不足と鋼材の欠乏はいよいよ烈しくなり、 昭和19年9月、遂に海軍は戦時計画造船に コンクリート船の大量建造を組み入れるに至りました。 計画では武智丸と同型のE型程度の貨物船の他、 D型程度(2500総トン)の貨物船が加えられ、また新設工事中の大規模造船所など 多数の造船所で建造を行う予定でした。
しかしながら、当初年間5万トンを建造する計画は戦況の悪化に伴い 繰り返しの縮小を余儀なくされ、昭和20年8月のG型船大量建造計画の際、 コンクリート船の建造は中止となったのでした。
終戦時には第四武智丸が進水して艤装中であったのみで、計画造船として竣工した コンクリート船はありませんでした。

海軍による武智造船所での建造の他にも、 コンクリート船の建造は計画されていました。
これらについては調べてはみたものの全く得るところがありませんでした。 何かご存知の方がいらっしゃればご教示下さいますと幸いです。
<運輸通信省の計画>
運輸通信省海運総局という役所がコンクリート船の建造を計画し、 日本土木造船会社に建造命令が下り、 愛媛県松山市の三津浜造船所で建造されました。 「第一国策丸」という気の毒な名前のこの船は総トン数265トン、 当初ガソリン油槽船として建造中に貨物船に改造され、 戦後竣工しました。
<陸軍の計画>
世界最強の海上陸軍である日本陸軍もまた、 コンクリート船の建造を計画していました。
満州で川南豊作氏の関与の下に2000総トン型の建造工事を行っていたものの 成否については不明、とされています。


日本のコンクリート船の戦後。
コンクリート製被曳航輸送船の終戦時の状況については、 私の調べた範囲ではわかりませんでした。
5隻建造されたうちの1隻が、 広島県音戸町の漁港に防波堤として残されています。

武智丸級は、戦争中に第三武智丸が失われ、第四武智丸は艤装中に終戦を迎え、 終戦直後に荒天により沈没、戦後解体されました。 第一と第二の武智丸は終戦まで健在で、第二武智丸は終戦後のごく短い期間に 大阪商船に貸与されたようです。 現在、第一武智丸と第二武智丸の2隻は広島県安浦町で、 これも防波堤となって残存しています。

2001年3月、現地に行って来ました。
建造から50年以上が経ち、この間の歳月こそ隠せませんが、 3隻とも非常に綺麗に残っています。


主要参考文献
「戦時造船史」 小野塚一郎 著/今日の話題社
「昭和造船史」(1巻) 日本造船学会 編/原書房
「鐵筋コンクリート船」 渡辺恵弘 著/山海堂理工学論叢
「船舶百年資」(後篇) 上野喜一郎 著/船舶百年史刊行会
その他、関連雑誌記事・船名録など。
本文章は上記図書を参考に藤原梟介の責任において記述してあります。
どこかしらに間違いがあることを確信しておりますので、 参考になさる際には上記文献をあたられることをお勧めします。
論理的な批判・批評は喜んでお受けいたします(つーか嬉しいんですが)ので、 ご遠慮なくどうぞ。

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Constructed by Kyosuke Fujiwara ,in 1999.