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現地の様子その1。
画面が暗いのでわかりにくいですが、
画面中央の海面に白く波が立っているところが
コンクリート船の残骸です。
現地は、笠戸湾内の小さな入り江に面した砂浜で、
下松からの県道のすぐ下にあります。
真冬なのに波は穏やかで、
漁船が走るとしばらく波が残っているほどでした。
笠戸湾を出て面舵を切れば徳山、
取り舵を切れば光という土地柄ですが、
コンクリート製被曳航油槽船が、
いったいどういういきさつでここにたどり着いたのか、
やっぱりよくわかりません。
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現地の様子その2。
残っているのは、
船体中央部付近の隔壁から後ろ側のようです。
手元の資料によると、
陸側(この画面の左側)が船首であるらしいので、
便宜上そういうことにします。
漁師さんが貝を採ってました。
近くの砂浜を掘ったり、
コンクリ船に漁船で近づいて、
船体にはりついてるのを竿で採ったり。
どこに行っても、
コンクリ船と漁業は切っても切れない間柄なのです。
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左舷前方より。
コンクリート製被曳航油槽船特有の円形の船体断面形状や、
幅の狭い甲板が見て取れます。
甲板にあいた円形の穴は、貨油荷役用か何かのマンホールに見えますが、
手元の図面ではよくわかりませんでした。
船体外板内面の様子も見えます。
施工がなかなかめんどくさそうです。
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正面やや右舷側より。
横隔壁や中心線上の縦隔壁の構造がわかります。
武智丸に比べると、
防撓材の数が多くて細い印象を受けます。
鉄筋が飛び出しているのも見えます。
船体は砂浜から10mもないくらいのところにあって、
付近の水深は1mくらいのようです。
海中を歩いて近付きたくはありましたが、
さすがに日和りました。
季節は真冬で、
しかも出張帰りだから背広着てネクタイ締めてまして。
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右舷やや前方より。
外板に船首尾方向のでっぱりが見えます。
防舷材(木製)を支えるためのもののようです。
被曳航油槽船には横隔壁が5枚あったとされていますが、
この付近は船体平行部のようですので、
見えているのは前から3枚目か4枚目の
横隔壁ということになるんでしょうか。
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国道脇の駐車場から。
心眼や魔眼をお使いになる方には、
水上に出ている分と同じ位の長さが
水面下にあるのが見えるかもしれません。
当然ですが、船体内部にも海水が入っています。
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現地にある案内の看板。
「(略)悲しいこともありました。
眼下の海にめづらしい船が沈んでいます。
終戦間際に旧海軍が鉄鋼資材の不足を補う窮余の策として造り出したコンクリート船の名残です。
笠戸島もつらい時代でした。
当時を偲びつつ、今日の平和がいつまでもと願わずにはいられません。(略)」
とのことです。
今の日本では、鋼材はむしろ余ってます。
それはそれで、良いのかもしれません。
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