今、思い返してみると、私は常に怯えて生きていた。
母の涙に怯え、母の怒りに怯え、祖母に怯え、伯母に怯え、叔父に怯え、従妹に怯えていた。
誰の感情も波立てないように、誰にも目をつけられないように、静かに静かに生きていた。
私が少しでも目立つことをすれば、それがいいことであろうと、悪いことであろうと、家の中には嵐が起こる。
ひたすら、平穏といつか開けると信じた明るい未来を待っていた。
私は、子供の頃体が弱く、常に病院の行き来をしていた。
私の体のこと、家の中のこと、夫婦仲のこと、いろいろな問題が母の中につまりにつまり、母は心を閉ざし始めた。
一度は、何があっても負けないと心に誓ったけれど、その気負いが逆に母を追い詰めていく。
勝気ではあるが、優しく穏やかだった母は見る影もなくなり、躁鬱を繰り返す。
ほんの些細なことが、彼女の神経を波立たせ、私はそのたびにめちゃめちゃに叩かれた。
鬼のような形相でハタキの柄を握りしめた母は、今思い出しても身が縮む。
たぶん、母はその瞬間、我を忘れてしまっていたのだろう。
きっと、叩いた後、母はそのことでものすごく苦しんだと思う。
だから、この頃の母は恐ろしかったけれど、私は恨んでいない。
むしろ、よくそれくらいで踏みとどまれたと、強いなと尊敬する。
私がひとつだけ覚えてる記憶がある。
たぶん2歳か3歳くらいだ。
父は何かの事業に失敗し、家の中もめちゃくちゃで、一家心中をしようとした。
思いつめた顔で、私を抱き上げようとする父の頬に、母の平手が飛んだ。
「死にたいんなら、死ぬんなら、あなただけが勝手に死になさい!誰かを道連れにしたいなら、あたしだけを連れて行きなさい!この子を連れて行くことは絶対に許さない!」
数日後、離婚しようということになり、両親と私は空港へ向かった。
父は、空港に入ったところで私を抱きしめようとした。
けれど私は、抱きしめようとする父に抵抗し、足で父をひどく蹴飛ばした。
父はうなだれたまま、蹴られるままにしていた。
いざ、台湾行きのチケットを買おうとしたら、何の因果か母のパスポートの期限が切れていた。
緊張の糸がぷっつりと切れ、何だかばかばかしくなってしまった両親は、泣き笑いのような顔をしていた。
そのまま3人で家に帰った。
もしも、なんていうものはないけれど、もしも。
もしもこのとき、母のパスポートの期限が切れていなかったら、今きっと私はここにはいない。
台湾の空の下で違う人生を歩んでいたのではないでしょうか。
けれど、運命がそれを許してくれなかった。
のかな?
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