あっこママの育児日記♪ 《2002年》


1999年 2000年 2001年

2002/12/24(火)
今年ももう終わり。クリスマス・・・♪
我が家にもサンタクロースがやって来た・・・♪ううん(^^ゞこうのとりがやって来た・・・♪
そうなのです。あっこママ、現在妊娠6ヵ月。予定日は来年の5月4日。凌奨がお兄ちゃんになりますっ!!
凌奨の時の妊娠期間中とは全然体調が違って、つわりもひどく・・・今もまだ毎日吐いている状態(^^ゞ でもすごく食欲はあって、食べては吐いてスッキリして・・・を繰り返しています(^^ゞ
更に、妊娠初期の頃から足の付け根が痛くて、特に夜になると立ち上がったり、階段を上がったりするときに激痛が 走ります。。。
凌奨を妊娠していたときは、まだ働いていたし、子どもはいなかったし、いろいろ状況は違うものの・・・・・ これほど体調が違うとはビックリです。あっそうそう、それに5ヶ月半ば頃から胎動を感じるようになり、 「元気だよ、ママ」と毎日教えてくれます♪
凌奨は・・・妊娠初期の頃から何かを感じるらしく・・・急に甘えるようになり、お腹をバンバン叩くようになりました(^^ゞ 成長のそういう時期と重なったのかもしれないけれど、つわりのひどい時期に、私からべったり離れなくて、ちょっと困ったり もしました。 最近は、少しずつ「お兄ちゃんになるんだよ。」「赤ちゃんが入っているからね。仲良くしてね。」と話しています。 赤ちゃんの誕生も、凌奨のお兄ちゃんぶりも・・・いろんなことに夢が膨らんで、とっても楽しみです♪
これからもあっこママ、ますます元気いっぱい頑張りますっ!!
2002/11/3(日)
つい最近、通っていた“動作法”の訓練を辞めました。動作法の訓練は月1回第2土曜日にありました。 参加したのは、去年の12月。それからまだ1年も経っていない。体調を崩したりとかで実際に通えたのは数えるほど・・・。 訓練や、先生、まわりのお友だち、お母さんに慣れる間もなく・・・辞めることになった。
この訓練に通い出す前、凌奨は心臓の方も安定し、春から保育園に入るまでの・・・・・正直、時間があった。 その頃、毎週木曜日のひまわり教室と、2週間に1度のリハビリと、月に1回のワイワイ教室と通っていた。 でも、毎日の生活の中で・・・“もっと成長させたい。”“どこかに通いたい”と言う気持ちがあり、今思うと私は少し焦って いたと思う。春になったら保育園に通うのだから、そんな心配はなかったのに・・・まわりのダウンちゃんがいろんな療育に通う中、 “これでいいのだろうか?もっと通える場所はないのだろうか?”と思っていた。
春になり・・・保育園に通い始めた。 最初は風邪や熱で休んでばかりだったけど、少しずつ強くなり、保育園生活にも慣れてとても楽しい様子。
ワイワイ教室は卒業したけれど、毎週木曜日のひまわり教室と、2週間に1度のリハビリと、そして、動作法の訓練は通っていた。 しかし、正直どんどん動作法の訓練に通うことが苦痛になって来た。それはいろんな理由があるのだけれど、まず一番大きな理由は、 訓練日が土曜日だと言うこと。パパは土・日曜日がお休み。つまり・・・家族の時間を割いて訓練に通うことにとても違和感があった。 保育園に通い始めてからの凌奨は、週末、パパと一緒に遊ぶことが本当に嬉しそうだった。それを見ていると・・・訓練よりも パパと遊ぶことの方が大切なんじゃないかと思うようになった。
それから、月に1回という訓練で、凌奨も私もなかなか慣れることが出来なかった。凌奨は、毎回目を涙でウルウルさせながら訓練を 受けていたし、私は子どもの年齢も障害もかなり違うお母さんたちと接し、必死に馴染もう・・・とする反面、毎回・・・この訓練が 必要なことなのか?・・・悩んでいた。
それでも・・・“自分が辞めたいだけじゃないの?”と言う気持ちもあり・・・なかなか結論が出せずにいました。 結局、「無理する必要なんてない。辞めれば?」と言うパパの言葉で、辞める決心をしました。 結果的には、良かったのか?悪かったのか?分からないけれど・・・あまり深く思わずに、また通う気持ちになれぱ通えばいい・・・ と思っています。
“少しでも成長して欲しい”“出来ることは何でもしてやりたい”そう思うのが親だけれど、無理をすると必ずストレスが溜まる。 そのときは逃げたみたいで苦しくなるけれど、結果的に凌奨の為になればそれで良いのだから・・・そう思うようにしている。
2002/9/13(金)
もうすぐ保育園の運動会がある。9月28日土曜日。
凌奨にとって、初めての運動会。私たちにとっても、親として参加する初めての運動会。
その運動会のことで、ちょっと悩んでいるというか、考えていることがある。
凌奨はいくつかの種目に参加するのだけれど、ママと一緒に参加したり、先生にサポートされながら参加したりする種目は問題ない。 でも、『かけっこ』は・・・。その『かけっこ』について参加の仕方について考えている。
凌奨は普段、保育園の中で【さくら組】の中の【2才児】として生活している。もちろんみんなと発達は大きく違うのだけれど、 行事や、食事や、出来るだけ【2才児】として生活している。でも、【さくら組】はみんな同じ部屋なので、0才児や1才児のお友達 と一緒に遊んでいることも多い。
そこで、『かけっこ』の参加の仕方で、まだ歩けない凌奨を、差がついてもいいから【2才児】として参加させるのか?
発達に合わせて【0才児】と一緒に参加するのか?
【0才児】の中でも、まだ歩かないお友だちはひとりしかいないらしく、たぶん先生が手をつないで歩いたりするのだと思う。 凌奨も手をつなぐと歩けるので、みんなと同じように参加出来るのでは・・・と思う。
私は、“普段の生活で2才児のお友だちと一緒にいるのだから、差がついてもいいから2才児として参加するのがいいのでは?” と考えた。パパは“でも、『かけっこ』って競争だから、発達が同じくらいの子と走るほうが良いのでは?”と。
そう言われると・・・確かにそんな気もしてくる(^^ゞ。お互いに気持ちとしては“凌奨にとって一番いいのは・・・?”と考えている。 まだ・・・結論は出していない。
些細なことのような、とっても大切なことのような・・・そんな選択。
2002/8/26(月)
少し前に、ちょっとしたことがあって、凌奨の成長についてすごく考えた。
凌奨が生まれてから今まで、成長の遅さを感じながらも、“凌奨は凌奨だから。”“心の発達が大切だから。”と、 思っていたし、もともと楽観的な私は、凌奨が笑顔でいてくれることで安心していたし、あまり焦りも感じて来なかった様に思う。 でも、“このままでいいのかな?”と、少し悩んだ。
凌奨は可愛いし、笑顔も最高で、表情もとても豊か。。。だけど・・・確かに発達は遅れている。 ダウン症のお友だちの中でも、かなり遅いほうだと思う。
気になるところをあげてみると、3歳を過ぎてもまだ歩けない。1歩が出てから随分時間は過ぎているのに、まだ安定した歩きは出来ない。
言葉が出ない。「ばいばい」「まま」「ぱぱ」「いたぁ(いただきます)」など、言える様な、言えない様な・・・感じ。
会話にならない。「ジュース飲む?」と聞いても、返事はないし、理解出来ない様子。ジュースを見ると手を合わせられるのだけれど。
1人遊びが上手過ぎる。1人でも楽しく起用に遊ぶことが出来過ぎる。
もちろん凌奨なりにゆっくりゆっくり成長している・・・そう思って来たけれど、少し振り返った。
リハビリの先生や、療育教室の先生、保育園の先生、もちろんパパも・・・話を聞いてもらった。 いろんな人の意見や思いを聞いて、少し私の気持ちも安定した。
凌奨のすぐそばにいてくれる人は、凌奨の良さもすべて理解してくれて、成長について話してくれる。 そして、凌奨が凌奨なりの成長をしていることをちゃんと分かってくれている。
今までずっと、心のどこかで、凌奨の成長の遅れの原因は私にあるのではないかな・・・と思っていた。
愛情が不足しているのでは?甘やかし過ぎているのでは?言葉が足りないのでは?1人で遊ばせすぎたのでは?
いろんなことを考えたし、自分のことを反省もした。初めての育児で、正直、何が良くて、何が悪いのか・・・分からなくなるときもある。 愛情いっぱいに育ててるつもりでも、まだまだ愛情が足りないのかも・・・と思ったり、 すごくおしゃべりの私なのに、言葉掛けが少ないのでは・・・と思ったり。。。
もちろんこういう育児の悩みは、どんなママも思うことなんだと思うけれど。。。 普段は能天気に、元気に、暮らしている私も・・・少し振り返って、悩んだりもする。そしてそういう時間も大切だなぁ〜と思う。
2002/7/17(水)
最近・・・凌奨はママが嫌いらしい・・・。
・・・と言うのも、風邪をひいているので、熱を測ったり、薬を飲ませたり、座薬を入れたり・・・ 凌奨にとって嫌なことばかりするように思えるらしい・・・(^^ゞ
抱っこの手を出してもパパの方へ行かれたり、食事のときママがやっても食べないのに、パパだと食べたり、 寝るときもパパにぴったりくっ付いていたり(眠る寸前はママに来るけど(^^ゞ)・・・・・ママは悲しい。
更に、思い通りに行かなかったり、腹が立ったりすると・・・噛んだり、つねったり、叩いたりする。 もちろんママに・・・(^^ゞママだけにと言う訳ではないけれど、ほとんどがママにすることが多い。
一番そばにいて、優しくて、心を許せる相手だから・・・・・そうなのかもしれないけれど、とても悲しくなるときがある。 すごく腹が立つことがある。そして・・・落ち込むこともある。
“ちゃんと怒らなくちゃ!”と思うけれど、怒るのって難しい。しつけ・・・って、大変。 凌奨が最近、いろんなことが理解出来るようになって、こういうことを考えるようになった。親って・・・大変(^^ゞ
2002/7/2(火)
もう7月。今年も後半に入った。6月は一度も日記を書かずに終わってしまった・・・(^^ゞ
凌奨が保育園に入園する前は、「保育園日記」なるものをつくるつもりでいた・・・。 毎日の保育園での様子や、お友だちとの関わり、先生のこと、保育園に対する思いなどなど・・・ 少しずつ変化する日常を記録して行こうと・・・・・思っていたのに(^^ゞ やっぱり無理だった(^^ゞ(^^ゞ(^^ゞ
4月・5月と保育園に通っては風邪をひき、入院して退院し、また風邪をひき、保育園に1日行って、また風邪をひき・・・ ずっとその繰り返しだった。正直、すごく落ち込んだ。そして・・・保育園に通わせることが怖くなった。
6月になり、体調が良くなって3日ほど保育園に通った、そして鼻水が少し・・・出た。 “まただ”と思った。“また同じことの繰り返しだ”と思った。でも・・・持ち直した。“おっ???”と思った。
そして、一週間保育園に通った。翌週もお休みすることなく通った。 すると・・・送り迎えのときの様子が少しずつ変わって来た。
先生の雰囲気とか、まわりのお友だちの様子とか。
毎日、先生が「凌ちゃん今日はねぇ〜」と、笑顔で話してくれる。その言葉にどんどん愛情を感じるようになった。 お友だちが「りょうちゃ〜ん」と呼んでくれて、「バイバイ」と手を振ったら「バイバイいやぁ〜」と叫んでくれるようになった。
凌奨がママのいない場所で、凌奨の世界をつくっている。寂しいけれど、涙が出るほど嬉しかった♪ 凌奨がお友だちや、先生に愛されて、楽しく過ごしている。ほんとに・・・すごいっ!
“さすが凌奨だわっ!!”と感激しつつ、でも・・・女の子のお友だちには、ちょっと焼けちゃうママなのです(^^ゞ
2002/5/28(火)
凌奨が3歳になった♪凌奨が生まれて3年。いろんなことがあった。でも・・・たった3年・・・。
最近、ちょっと時間があって結婚前のビデオを見た。結婚式の一か月くらい前に和装撮りをしたときに、姉が撮影してくれたもの。
それと、結婚式&新婚旅行に向う駅で、見送りしてくれたときに姉が撮影してくれたもの。
どちらのビデオもすごく懐かしくて、楽しいビデオだったけど、私がそのビデオを見ているまわりで凌奨が不思議そうに テレビの画面を見ていた。“このときは、凌奨はまだ生まれていなかったんだっ”って思ったら、不思議だった。当たり前なのに。
私と主人は10年の交際期間を経て、結婚した。結婚してもうすぐ4年。出会ってからもうすぐ14年になる。
その時間のまだわずかにしか凌奨はいないのに、いなかった頃のことが・・・思い出せない。 どんなふうに過ごして、どんなふうに楽しかったのか・・・思い出せない。
2人でいたときは、それはそれでとても幸せな気持ちでいっぱいだった。でも、今は幸せの形も、2人の思いも変化している。
昔のビデオを見たとき、“何か、自分の顔が違う。”と思った。 最近、凌奨を撮っている時に出てくる自分の顔とは全然違う。やっぱり母親の顔をしている。もちろん歳もとったし(^^ゞ
そして・・・そのとき平日にも関わらず、会社を早退したりしてまで見送りに来てくれた友だちは、今も変わらずそばにいてくれて 私を支えてくれている。あの頃、私たち2人のことを本当に心配してくれた仲間。“長過ぎた春”になるのではないかと・・・(^^ゞ
結婚して良かった♪凌奨に会えて良かった♪・・・たった3年。・・・貴重な3年。
凌奨の成長をひとつも見落とすことなく、毎年笑顔でお誕生日を祝いたい。
2002/4/15(月)
凌奨の保育園生活が始まった。4/8(月)から3日間午前9時から午前11時半まで。 4/11(木)は地域の療育教室“ひまわり教室”の入園式。 4/12(金)は午後2時まで。そして今日からは午後4時まで。
先週4日間保育園に通った。 予想通り・・・と言うのか(^^ゞ凌奨はとってもご機嫌に過ごしているらしい。 お迎えの時に聞く先生からの凌奨の園での様子、そしておたより帳に書いてあること・・・・・ どこを見ても凌奨の楽しそうな様子がわかる♪
以前、凌奨がダウンちゃんの教室に通っていたとき、いつもいつも1人だけ母子分離が出来ずに、 大泣きしていたこと、ひまわり教室でも母子分離があることが分かっていて、その建物に入ると 私の姿を確認しながらしか遊べなかったこと・・・・・そんな凌奨があった。
それなのに今は、「ばいばい」と元気に手を振り、笑顔まで見せてくれる。 母の気持ちとしては・・・さみしいと言う思いもあるけれど、凌奨の気持ちが母から少し離れ始めた この時期に保育園に入れたことが何より良かったと思う。
今の凌奨は何に対しても興味津々で、チャレンジしたい様子。 そして同じくらいのお友だちがとっても気になるみたい。 一緒に遊ぶことはまだ出来ないけれど、そばにいて見たり、まねしたり、付いて行ったり・・・ そんなふうにしていることが、とても新鮮で嬉しそう♪
子どもの成長は早い・・・。ゆっくりな成長と言われるダウン症の凌奨の成長でさえ、「早すぎる」 と感じる私がいる。凌奨が生まれて3年。ずっとずっと一緒にいた。ほんと嫌になるほど一緒にいたと思う。 離れていたのは術後ICUに入っていたときくらい。だからこそ、凌奨が保育園に入り、世界を広げていく ことに喜びを感じる・・・・・と共に、私自身の孤独みたいな、子離れ出来ずに「置いて行かないで!」と 思う感情が出てくる(^^ゞ・・・さみしい。・・・さみしい。
凌奨がスタートを切り、新しい世界に飛び出した。私も何かを始めたい。些細なことでもいいから、 今まで出来なかったことを。1人の時間を楽しみたい・・・♪
2002/2/23(土)
先日、月に1回ある滋賀県のダウンちゃんの教室“ワイワイ教室”に参加しました。 この教室は、生まれてから歩けるようになるまでのダウン症の子どもたち対象の教室です。
凌奨が生まれてからすぐにこの教室のことは知っていたのですが、教室までは家から片道1時間半 かかるし、チアノーゼのひどかった凌奨を連れて行くことは出来ませんでした。 1度めの手術を終え、体調が安定した1歳の頃から参加し始めました。 でも、参加してからも入退院を繰り返していたので、欠席が多かったように思います。 教室では、同じようにダウン症の子どもを持つママたちと、本当に楽しい時間を過ごしていました。 参加し始めて・・・2年近く経ちます。 同じ時期に教室に参加したお友だちは、ほとんど卒業してしまいました。 凌奨は2歳9ヶ月になりますが、もっと早い時期に歩き出したお友だちはすでに卒業しています。
正直・・・この教室に通うことは、最初から気が進みませんでした。 体の成長を基準にし、クラス編成が組まれていたり、歩けたら卒業・・・と言う、運動面での発達 ばかりが注目されているようで・・・。 確かに凌奨はダウン症の子どもたちの中でも、成長が遅い。 寝返りも、お座りも、ハイハイも、立つことも・・・とても遅れています。 それでも、凌奨の成長を焦ることなく、少しの成長を大喜びして、のんびりと構えていられたのは、 運動面だけでなく、心の発達・・・みたいな、感情の出し方や、笑顔や、声や、表情や・・・ そういう1番大切な部分は遅れていない・・・と信じているからです。
こういう教室で、何かを基準にしなければならないことは理解出来るのですが、ダウン症の子どもを 持つ、少なからず子どもの成長を不安に思い、心配している親にプレッシャーを与えるようなシステムは どうかなぁ〜と思います。 私はこんな性格だから、みんなと一緒にいるときは元気に明るくしているのだけど、帰りは毎回落ち込んで しまいます。 凌奨の成長が遅いから落ち込むのではなく、教室のあり方に憤りを感じてしまう。 だったらやめればいいのだけれど、“凌奨のことだから・・・”と(^^ゞ でも、保育園に入ったら、もう行かないかもしれない。お友だちになったママたちとはお話したいのだけれど(^^ゞ
2002/1/12(土)
今年初めての日記は・・・【カテーテル検査報告!】です。

○○○・・・1月8日入院・・・○○○
まず外来で診察を受ける。 そのとき・・・衝撃が走った! 何かと言うと、私たちは根治手術後1年の評価のカテーテル検査だと思っていた。 そしてそのことしか頭になかった。
でも、先生から「眼科の方はどうなっていますか?ちょっと確認をとって見て、脳の方をどうするか決めましょう!」と。
そう・・・そう言えば、凌奨は1年以上前、地元の眼科で“虚血性視神経症”と診断され、失明を宣告された。 しかし、医者の態度と説明と、そしてそれまでの経緯など・・・納得出来ないことを訴え、転院を希望した。 でも、その頃の凌奨はまだ心臓の根治手術も終わっていなくて、眼底検査をするにも危険が伴った。 その為、眼科だけを探すと言う訳にも行かなくて、とりあえずいつも心臓を診てもらっている岐阜の病院の眼科で診てもらった。 すると・・・診断が変わった。「何度か様子を見なければ分からないけれど、失明とかは考えられない。」と。 「眼底の検査をすると普通ではないけれど、たぶんこの子の個性みたいなものです。」と。 それから1ヶ月置き、2ヵ月置き・・・と少しずつ時間を空けながら、ずっと岐阜の眼科に通っていた。 この先生の診断通り、凌奨の目は失明することもなく、悪化することもなく現在に至っている。
そして・・・この頃、「眼底で見ると、血管が蛇行していて普通ではないので、いちよう脳の方も検査しておいたほうがいいかも。」 と言われていて、でもそのときは凌奨の体力のことなども問題だったので、いずれ・・・ということになっていた。
それで今回、眼科の指示があるのならカテーテル検査のときに、心臓だけでなく、脳の方にも造影剤を流し血液の流れを診よう・・・ と言う事になった。
・・・・・で、入院日にまず“血液検査”“肺血流シンチ”“レントゲン”“心電図”“尿検査”“エコー”の検査を 受け、更に・・・“眼底検査”を受けて眼科の先生の指示を受けることになった。 結果は「血管の蛇行が見られるので、脳の検査もやった方が良い。脳出血などが起きる心配がある」と。。。 それで続いて頭部MRIを受け、脳外科の先生の指示を受けることになった。結果は・・・「まったく異常なし。」と。。。 やっと・・・カテーテル検査で脳まで検査する必要がなくなった。。。良かった。脳カテをするとすごく頭が痛くなるらしいし。
この日、凌奨は時間通りにご飯も食べられず、検査づくめで、眠り薬連続で・・・フラフラ・・・ほんとお疲れ様でした。

○○○・・・1月9日カテーテル検査・・・○○○
朝から猛吹雪。岐阜のこの病院ではあまり雪を見ない。それなのに病室の窓から真っ白な空が見える。 “ここでこんな雪なら・・・いったいどれくらいの雪が降っているのだろう・・・”と、病院へ向かっているパパのことが心配になる。 パパは家を午前7時半に出発。3時間かけて午前10時半には到着。いつもの2倍の時間がかかっている。
凌奨は、パパの顔を見たとたんご機嫌になり、遊んでもらい・・・そして、眠り薬も使っていないのに寝てしまった。 午前11時から絶食。午後1時ちょっと前・・・検査室へ。。。そして1時間後、病室に戻って来た。 それから3時間くらいして目が覚めた凌奨は、怪獣になった!泣き叫び、安静にしなければいけないのに、必死に体を動かそうとする。 凌奨が落ち着くまで、体を動かさないように気をつけながら抱っこしたり、歌を歌ったり、本を読んだり・・・していた。 でも想像していたよりも、いい子にしていてくれたし、夜も眠ってくれた。

○○○・・・1月10日カテーテル検査翌日・・・○○○
午前9時からホルター心電図(24時間心電図)を付けた。それ以外検査なし。自由。。。 売店に行ったり、プレイルームでテレビ見たり、そろってお昼寝したり・・・していた。

○○○・・・1月11日退院・・・○○○
3泊の入院も終わり。朝からホルター心電図を外し、迎えに来てくれたパパと共に、退院の説明を聞いた。 カテーテル検査結果は・・・・・ファロー四徴症の手術後の経過としては、とても良い。 三尖弁閉鎖不全症・肺動脈狭窄症・肺動脈閉鎖不全症・・・など問題はあるが、治療対象になるほどでもない軽度。 ただ、成長とともにその問題のある部分がどのようになっていくかである。この後は、小学校に入る頃にまたカテーテル検査を するかもしれない・・・と。
とりあえずは、あと3年くらいは入院の予定がなくなった。 そしてこの日から、凌奨生まれて初めて薬がなくなった・・・♪

○○○・・・母の想い・・・○○○
【りょうすけ第一章終了】そんな気持ち。凌奨が生まれてから、いつも先には入院があり、手術がある生活を送っていた。 去年の根治手術後、ずっと順調だったけれど、この評価の検査でどうなるのか・・・凌奨の体の中が、心臓が、どうなっているのか心配だった。 この検査を終えて、本当に安心し、やっとここまで来たのだと・・・感激した!
たった3泊の入院。1年ぶりの入院。 以前の主治医の先生も、担当の看護婦さんも代わられて、凌奨にとっては初めて出会う先生や看護婦さんだった。 検査入院の凌奨なのに、本当に良くしてもらった。正直、びっくりさえした。 今までは“この病院は心臓だけ診てもらう病院”と、思っていた。 でも、若い主治医の先生は、いろんなことを聞いてくれて、凌奨のことをいっぱい知ろうと努力してくれた。 まだまだ若くて、少し初々しさも残るその先生は、患者にまっすぐで、親に対しても気を配ってくれて・・・とても感謝した。 担当の看護婦さんも、すごく話しやすくて温かい人で・・・・・何だかたった3泊で退院するのが寂しいくらいだった。
本当にたくさんの先生やスタッフの人に支えられて、ここまでこれたと思う。 この入院中に「良かったね。」「やっと終わったね」「もう来たらあかんよ」と、たくさん声を掛けてもらった。 みんなが凌奨のことを覚えてくれていて、応援してくれた。すごくすごく感謝している♪ ここまで来れたことを嬉しく思いながら、ちょっぴり寂しさもあるあっこママでした。