『神道集』の神々

第十一 熱田大明神事

そもそも熱田大明神の本地に関して両説が有る。
熱田の本地は大日如来である。
神宮寺は薬師如来である。
八剣は太郎・次郎の御神で、本地は毘沙門天王・不動明王である。
日別・火神は三郎・四朗の御神で、本地は地蔵菩薩・阿弥陀如来である。
大福殿の本地は虚空蔵菩薩である。
後見の源太夫殿は文殊菩薩である。
記太夫殿は本地弥勒菩薩で、源太夫殿の兄である。
熱田大明神が最初に天下った時、記太夫殿は宿を借した人、源太夫殿は雑事を行なった人である。
また、一説によると、熱田の本地は五智如来である。

尾張国の一宮は真清田大明神、本地は地蔵菩薩である。
二宮は太賢光明神、本地は千手観音である。
三宮は熱田大明神である。

熱田大明神

熱田神宮(愛知県名古屋市熱田区神宮一丁目)
祭神は熱田大神で、相殿に天照大神・建速素盞嗚尊・日本武尊・宮簀媛命・建稲種命を配祀。 通説では熱田大神は草薙剣を御霊代とする天照大神であるが、一説に日本武尊を熱田大神とする。
式内社(尾張国愛智郡 熱田神社名神大)。 尾張国三宮。 旧・官幣大社。

『日本書紀』(神代紀・第八段)[LINK]によると、高天原を追われた素戔嗚尊は出雲国の簸川(斐伊川)の川上に天降った。 脚摩乳と妻の手摩乳という老夫婦が居り、その娘の奇稲田姫が八岐大蛇の犠牲になろうとしていた。 素戔嗚尊は夫婦に造らせた酒を大蛇に飲ませ、酔って眠った大蛇を十握剣で斬り殺した。 大蛇の尾を裂くと中に草薙剣(天叢雲剣)が有った。 素戔嗚尊はその神剣を天津神に献上した。

同段の一書[LINK]によると、素戔嗚尊は安芸国の可愛川の川上に天降った。 脚摩手摩と妻の稲田宮主簀狭之八箇耳という夫婦が居り、もうすぐ生まれる子供が八岐大蛇の犠牲になろうとしていた。 素戔嗚尊は夫婦に造らせた酒を大蛇に飲ませ、酔って眠った大蛇を斬り殺した。 大蛇の尾を裂くと中に草薙剣が有った。 この剣は今は尾張国の吾湯市村(熱田)に在る。

景行天皇四十年[110]十月七日[LINK]、日本武尊は東征の途中で伊勢神宮に参詣し、斎宮の倭姫命より神剣を授かった。 駿河国で賊の奸計により焼き殺されそうになった時、日本武尊は火打石で迎え火を打って難を逃れた。 この際に神剣が自ら抜けて草を薙いだ事から、神剣は"草薙剣"と呼ばれるようになった。 同四十三年[113]、日本武尊は尾張国造の娘の宮簀媛命を后に迎えた。 日本武尊は草薙剣を宮簀媛命に預け、荒ぶる神を討ちに近江国の伊吹山に入ったが、氷雨を降らされて病になり、伊勢国の能褒野で亡くなった。

『尾張国風土記』逸文(『釈日本紀』に引用)[LINK]によると、日本武命は宮酢媛命と結婚してその家にお泊りになった。 夜に厠に行って側の桑の木に剣を懸け、置き忘れたまま家に戻った。 気付いて戻り剣を取ろうとしたが、剣が神のように光り輝いて取れなかった。 日本武命は宮酢媛に「この剣は神の気がある。奉斎して吾が形代にせよ」と仰った。 これによって神社を建立し、厚田郷に因んで熱田神社とした。

『尾張国熱田太神宮縁記』[LINK]によると、宮酢媛は日本武尊の没後も御床を守り草薙剣を安置していたが、その霊験が著しいので、新たに社地を定めて草薙剣を奉斎した。
その後、天智天皇七年[668]に新羅の沙門道行が草薙剣を盗み出したが、風雨のために捕らえられ、草薙剣は宮中に安置された。 朱鳥元年[686]六月十日に天武天皇の病気が草薙剣の祟りであると神託が有り、草薙剣は再び熱田神宮で奉斎される事となった。

『平家物語』剣巻[LINK]によると、日本武尊は東征に赴く途中、尾張国松子の島の源大夫の家に泊まり、その娘の岩戸姫と一夜の契りを結んだ。 富士の裾野で凶徒を討滅した後、尊は岩戸姫に志を伝えようと火石・水石を松子の島に向けて投げた。 石は紀大夫の作る田の南北に落ち、田は一夜で森となった。
東征を終えた後、日本武尊は尾張国に戻ったが、岩戸姫に草薙剣を預けて都に戻る途中、伊吹大明神(八岐大蛇の後身)の毒気に触れて病を得て、近江国千の松原で亡くなった。 日本武尊の没後、岩戸姫が草薙剣を紀太夫の森の杉の木に寄せ置くと、剣の光によって杉の木が焼けて田の中に倒れた。 これが今の熱田である。 日本武尊の霊は白鳥と化して飛び去った後、尾張国に戻ってこの地に下り、熱田大明神と成った。 その後、岩戸姫・源大夫・紀大夫も神と成った。

「諏訪大明神五月会事」によると、熱田大明神は諏訪大明神の甥で、宇都宮大明神の御子である。

八剣

別宮・八剣宮
祭神は本社と同じ。
式内社(尾張国愛智郡 八剣神社)。

『尾張名所図会』[LINK]によると、和銅元年[708]九月九日、多治見真人池守と安倍朝臣宿奈麿を勅使として、新造宝剣を奉斎するために創祀された。
本地仏の不動明王像は弘法大師の作で、元は八剣宮境内の不動堂に安置されていた。 元禄年中の神宮寺再興の際、不動堂は本堂の側に移転された。

『平家物語』剣巻[LINK]によると、沙門道行が草薙剣の奪取に失敗した後、新羅の帝は生不動という将軍(百二十句本『平家物語』では「生不動という聖」、『熱田の深秘』では天竺から祈り下した「生身の七不動」)に七本の剣を持たせて日本に派遣した。 生不動は尾張国に着いたが、熱田明神に蹴り殺された。 生不動から召し取った七本の剣を草薙剣に加えて奉斎したのが八剣大明神である。

(高蔵社)

摂社・高座結御子神社(名古屋市熱田区高蔵町)
祭神は高倉下命。 一説に仲哀天皇あるいは成務天皇。
式内社(尾張国愛智郡 高座結御子神社名神大)。
史料上の初見は『続日本後紀』(承和二年[835]十二月十二日)の「尾張国日割御子神・孫若御子神・高座結御子神・惣三前奉預名神。並熱田大神御児神也」。

社伝によると、天武天皇の御宇[673-686]の創祀。
『尾張名所図会』[LINK]によると、本地仏の毘沙門天は弘法大師の作で、例年正月三日に神供所で此の像を開扉した。

熱田七社に数えられる重要な摂社であるにもかかわらず、『神道集』には高蔵社の名が見えない。 『熱田宮秘釈見聞』の「八剣宮不動明王、高蔵毘沙門」と比較すると、『神道集』の「八剣は太郎・次郎の御神で、本地は毘沙門天王・不動明王である」は八剣・高蔵の両社に関する記述(高蔵社の名が欠落)ではないかと思われる。

日別

摂社・日割御子神社
祭神は天忍穂耳尊。 一説に武鼓王あるいは稲依別王。
式内社(尾張国愛智郡 日割御子神社名神大 )。
史料上の初見は高座結御子神社と同じ。

社伝によると、孝安天皇の御宇[B.C.392-B.C.291]の創祀。

火神

摂社・氷上姉子神社(名古屋市緑区大高町)
祭神は宮簀媛命。
式内社(尾張国愛智郡 氷上姉子神社)。

『尾張国熱田太神宮縁記』[LINK]によると、宮酢媛が亡くなった後、祠を建てて氷上姉子天神と号した。
社伝によると、仲哀天皇四年[195]に乎止与命の館跡に創祀され、持統天皇四年[690]に現在地に遷座した。

源太夫殿

摂社・上知我麻神社
祭神は乎止与命。
式内社(尾張国愛智郡 上知我麻神社)。

『尾張名所図会』[LINK]によると、市場町通伝馬町の西に鎮座し、"源太夫社"または"智恵の文殊"と称された。

昭和二十四年[1949]十二月に熱田神宮の正面参道左側、昭和四十年[1965]十二月に現在地に遷座した。

記太夫殿

摂社・下知我麻神社
祭神は真敷刀婢命。 一説に玉媛命(建稲種命の妃)を配祀して二座とする。
式内社(尾張国愛智郡 下知我麻神社)。

大福殿

末社・大幸田神社
祭神は宇迦之御魂神。 一説に天忍穂耳尊。

『尾張名所図会』[LINK]によると、朱雀天皇の勅により熱田神宮の神輿が星崎(名古屋市南区星崎町)に渡御され、平将門追討の祈願が行われた。 すると神輿に血が染み、その時刻に将門は藤原秀郷・平貞盛に誅された。 血で汚れた神輿は熱田神宮に還御できないので、新たに一祠を建立して神輿を収め、大福田社と号した。
当初は神宮寺の本堂内に祀られていたが、元禄十六年[1703]に南新宮社の南に遷座した。

神宮寺

木津山不動院(名古屋市熱田区高蔵町)
真言宗豊山派。
本尊は薬師如来。

『尾張名所図会』[LINK]によると、木津山神宮寺大薬師は仁明天皇の勅願創建で、伝教・弘法両大師の開基。 本尊薬師如来坐像は弘法大師真作の薬師仏を腹内に収める。
戦乱で一時衰微したが、元禄十五年[1702]に堂宇を修造。 不動院・愛染院を神宮寺の境内に移転し、医王院を再建した。

神仏分離により明治元年に廃寺となったが、明治三十六年[1903]に不動院が現在地に再興された。

五智如来

『熱田宮秘釈見聞』によると、北天竺の和伊露羅国(『熱田の深秘』では迦毘羅衛国)に高さ四十里・広さ六十里の仏生石が在り、その岩の中に八葉蓮華の座がある。 この座は蓮華蔵世界であり、五智大日如来が坐すので密厳浄土と云う。 五智如来は衆生化度の為に日本国の尾州愛智郡に垂跡した。 東方阿閦仏は素戔鳴尊である。 南方宝生仏は宮酢姫である。 西方阿弥陀仏は伊弉冊尊である。 北方釈迦仏は建稲種命である。 中央大日如来は天照大神であり、今は天叢雲剣として現れている。
垂迹本地
熱田大明神大日如来
相殿五座天照大神大日如来
建速素盞嗚尊阿閦如来
宮簀媛命宝生如来
伊弉冊尊阿弥陀如来
建稲種命釈迦如来
八剣宮不動明王
高座結御子神社毘沙門天
日割御子神社地蔵菩薩
氷上姉子神社聖観音(または阿弥陀如来)
源太夫殿(上知我麻神社)文殊菩薩
紀太夫殿(下知我麻神社)十一面観音(または弥勒菩薩)
大福田社(大幸田神社)虚空蔵菩薩
参考文献『熱田宮秘釈見聞』

真清田大明神

真清田神社(愛知県一宮市真清田一丁目)
祭神は天火明命であるが、古くは国常立尊あるいは大己貴命を祭神としていた。
式内社(尾張国中嶋郡 真墨田神社名神大)。 尾張国一宮。 旧・国幣中社。
史料上の初見は『続日本後紀』(承和十四年[847]十一月癸酉)の「奉授尾張国無位大縣天神・真清田天神二前並従五位下」。

『真清探桃集』によると、崇神天皇の御代、王城の東方に紫雲がたなびき国土が紫色に変じた。 帝がこれを御覧になって占わせると、この紫の気は国常立尊が天より降臨した事を示すという事であった。 勅使が当地に下向すると、青桃丘の東西に龍窟が有った。 紫雲がたなびいていた地には一人の老翁が居り、勅使に「この地は万代不易、大祖尊神鎮座の霊区である」と告げた。 勅使が都に戻ると、帝は宝殿を建立して大神を奉祭させた。
尊神は鎮座の時に八頭八尾の大龍に乗って降臨した。 尾張国を八郡に分けるのはこの八尾に因む。

『尾張名所図会後編』[LINK]によると、神武天皇三十三年[B.C.628]三月三日に松降荘青桃丘に鎮座した。 祭神は国常立尊・天照大神・月読尊・大己貴命・大龍神である。

『真清田宮御縁起』によると、祭神は本覚本身毘盧遮那仏の国常立尊である。 摩訶毘盧遮那仏は一身万形所変して国土を建立し、この国に結縁の衆生を利生して仏果を得させる。
垂迹本地
真清田大明神地蔵菩薩(または毘盧遮那仏)

太賢光明神

大縣神社(愛知県犬山市宮山)
祭神は大縣大神。 一説に国狭槌尊。
式内社(尾張国丹羽郡 大縣神社名神大)。 尾張国二宮。 旧・国幣中社。
史料上の初見は真清田神社と同じ。

『尾張名所図会後編』[LINK]によると、垂仁天皇二十七年[B.C.3]の鎮座で、朱鳥元年[686]に天武天皇の勅命により再建された。 祭神は国狭槌尊・垂仁天皇・国常立尊・豊斟渟尊である。
大縣神社の東に聳える本宮山の山頂には古より本宮が鎮座し、国狭槌尊荒魂を祀る。
垂迹本地
太賢光明神千手観音