2013.8.4
昔の機械はゆっくり動いた

 先日、行きつけの居酒屋のテレビで面白いものを見た。宮崎駿監督のアニメ、"天空の城ラピュタ"であった。
月例の飲み会で仕事仲間と話をしながら横目でチラチラ見ていたのだが、アニメに出てくる機械、蒸気で動くエンジンや飛行船のようなメカが出て来たのだが、その動作のゆっくりしている様に興味を惹かれた次第である。
 人間は自身の力で出来ない作業を速く能率的にこなすために様々な機械を発明してきたわけだが、ワットの蒸気機関を思い出して見てみると、その動作は現代のメカニズムと比較すると非常にゆっくりしたものであった。これには色々な理由があるのだが、勿論、機械の動作はパソコンの動作にイライラするように、速ければ速い程良い訳ではある。ところが機械を速く動かそうとすればするほどいろいろやっかいな問題が出て来る事を先人は経験してきた。大雑把に言ってしまうと、同じ仕事をさせようとするときに速度が倍になれば倍の燃料を必要とするのではなく、おおよそ2の3乗=8倍とかそれ以上の比率で燃料を消費してしまうというものである。
 省エネのご時世、同じ仕事を同じ速さでこなす際の燃料消費量を減らす(=効率を上げる)には摩擦に因る抵抗や動く部分の重さを軽くすれば良いのだが、そちらに注力するとコストが嵩んだり、強度が落ちて欲しい速度に達する前に壊れてしまう=世の中はそうは問屋が卸さないものだ。あちらを立てればこちらが立たずという、あのマーフィーの法則のようなものである。
であるならば、機械の動作の速度は人間が付いて行けるくらいの速さが丁度良いのでは?と感じた次第である。人間が間合いを計り合えるぐらいの速さということか?。子供の頃に時が経つのを忘れて見ていたもの、プール帰りのかき氷器、そのお店の天井でぐるぐる廻る大きな扇風機、工事現場で土を運んでいたベルトコンベア等々、あのゆっくりしたサイクルに不満は感じなかった。
 速さというものは麻薬のようなものかもしれない。人間にとってリーズナブルな機械の速さというものをあらためて考えさせてくれたラピュタであった。

関連エッセイ:
年頭所感:マーフィーの法則とは何か?
年頭所感:双対ということ
珈琲を煎れる その1

エッセイ目次に戻る