2018.8.14
楽曲エッセイ:Truck Stop Girl/The Byrds トラック野郎伝説

 1970年にリリースされたByrdsの9作目、"Untitled*1" の中の1曲である。
メンバーのリードギタリスト、クラレンス・ホワイトがリトル・フィートのオリジナルをカバーしたもので、1971年のリトル・フィートの1作目*2より早く世に出ている。
カバー曲というものは先に聴いた方のイメージから抜けられないものだが、リトル・フィートには悪いが自分もByrdsの印象が強過ぎる。クラレンスの選曲眼と言い、フランス系ならではの名シェフぶり?に脱帽である。
 "Untitled" はByrdsの歴史の中でも重要なアルバムと思う。リーダーのロジャー・マッギンは、クラレンス・ホワイト、
ジーン・パーソンズが加入した頃からアルバムの選曲はメンバーのセンスに任せたようである。この曲はその中でも出色の出来ではないかと思う。
前期Byrdsでのロジャー・マッギンはイギリスの古い民謡を取り上げることが多く、インテリジェンスに気を使っていたようだが、クラレンスのこの選曲は正反対である。日本流に言えばトラック野郎の日常、演歌の世界である。渥美 清が演じたTVドラマ ”泣いてたまるか” でも、そんな回が在った。
アメリカでも大陸を6〜7日かけて東西に横断する18輪トレーラーの日常があるが、それをネタにした曲はカントリー・ミュージックの一分野になっている。
 只、リトル・フィートの原曲にしてもByrdsのバージョンにしても、視点はカントリーではなく、同時代の"イージー・ライダー"や"明日に向って撃て" 等のニューシネマのそれと重なる部分があるように思う。
主人公はそれまでのハリウッド映画に出て来るような役柄ではなく、何処にでも居る市井の若者と言ったところである。まだ駆け出しのトラック乗りの日常を描いているのだが、誰でも経験する様な失敗を静かに見守る慈悲の眼差しを感じた次第である。それは原曲の作者であるリトル・フィートのローウェル・ジョージ、ビル・ペインの視点になるのだろうが、クラレンスの鼻にかかったボーカルを聴いていると微かな悲哀も感じられる。
 そしてサウンドはカントリーの錦調ではなく、湿度の低い中西部の埃っぽさ、土臭さに満ちている。クラレンスのBベンダーを駆使したエンディングのリードギターはとどめの一発という表現がぴったりである。

 訳詞してみたのだが、トラック野郎にしか判らない?一節がこの曲の肝かもしれない。

Truck Stop Girl

テールライトを点滅させて、やつはトレーラーを引いてトラックストップに入って来た。
今夜もまた同じ様な連中がたむろしている。
”積み荷をチェックしている間に燃料を満タンにしておいてくれ” やつはそう言った。
”念には念を” そんな感じだった。

やつは自分で出来そうな事はすべて自前でやる、そんな男だ。
それがやつの取り柄だな。
ただ、まだ若い。
両手で数えられる位しか街を廻っていないだろう。
それにトラックストップの姉ちゃんに惚れている。

やつは中に入って行き、陽気にあの娘に声をかけた。
彼女はグラスを取り上げて言った、”お替わりして行ってね! もう会えないんだから!”

彼女は髪をアップに束ねていて、眼が合った日にゃ世の男達の血をワインに変えてしまうような娘だ。
見廻す限りやつの周りに居る誰もが視線を向けていたね。

くじで小金を使い果たすとやつはトラクタによじ登って行った。
ところが駐車ブレーキを緩めずに走り出そうとしたんだ。
そりゃ悲劇だわな、何が起きたかって...
キャブの中はやつの哀れな姿さ。

やつはまだ若い。
両手で数えられる位しか街を廻っていないだろう。
それにトラックストップの姉ちゃんに惚れている。

written by Lowell George, Bill Payne
from "Little Feat"


 悲劇というのは、牽引されるトレーラー側の駐車ブレーキを緩めずに牽引役のトラクタが発進しようとするとウィリー状態に陥り、前輪が宙に浮いてしまう。 慌ててドライバーがアクセルを戻すと高く上がったキャブが地面に落下するのでドライバーは腰の骨を痛めてしまう。 トレーラー牽きはこの事を最初に教えられるそうである。

*1
*2

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