2005.8.14
多重録音事始め

 あれは1966年の冬休みであった。 前年の65年暮れ頃からラジオから盛んにビ−トルズのイエスタデイ*1が流れていたのだが、じっとポールの歌声に集中して聴いていると、どうしてもポールが二人で歌っているように聞こえる部分がある。 当時小学校の高学年で放送委員をやっており、校内放送の収録のためにテープレコーダー(当時はオープンリール式である)を操作した経験があったので、少ない知識なりにそのカラクリを考えてみた。 これはどう考えてもポールが2回歌っているとしか考えられない!! どうすれば最初に歌った自分の歌に後から録音できるのだろうか? それはきっとそういうことができる録音機があるのだろうぐらいで、それ以上深く悩むことは無かった。

 次に再びこの疑問が大きく頭をもたげたのは1969年の中学の夏休み、サイモン&ガーファンクル(S&G)のボクサー*2がラジオから流れ出したときのことである。 クライマックスのライラライ〜〜の大コーラスはS&Gが6組みぐらい居るように聴こえたのである。 本当に6回も歌っているのだろうか? 大勢のコーラス隊がいれば一回で録音出来るのに、ギャラをけちったのかなあ? でも、同一人物のコーラスって奇麗だなあ。 双児のザ・ピ−ナッツのハーモニーも綺麗だし。 そうだ、S&Gはギャラをけちったんじゃない。 綺麗なコーラスを追求したかったんだ!!そうに違い無い!! それにしても大変な作業をしているんだなあと勝手に感心したものである。

 1971年になると初めてマルチトラックなる言葉を音楽雑誌で目にする。 なんでもその時代は16トラックだそうである。 高校でバンド活動をしていた頃で、そんなにトラック数があればなんでも出来てしまうなあと16トラックは憧れの的であった。

 1973年になるとマイク・オールドフィールドが多重録音を駆使してひとりで製作したチュ−ブラ−ベルズ*3というアルバムがリリースされた。 その導入部は映画「エクソシスト」のテーマ曲としても用いられたことで良く知られている。
マルチトラックレコーダーは使えなくとも、とにかく自分も音を重ねてみたいと思い、友人からラジカセを借りて来て、自分のレコーダーのスピーカーの前に置く。 スピーカーから出てくる自分のギター演奏に合わせてマンドリンを弾いてラジカセで録音する・・・というようなことをやってみた。 合計4回ぐらいそれをくり返しただろうか。 最初の音はノイズに埋もれ、高音だけがやたらに減衰してしまい、ギターだかウクレレだか区別がつかないような音になっていたが、とにかく頭の中だけで想像していた5つのパートがいっしょに鳴ったことが嬉しかった。 当時、同じような事を試されたバンド少年はたくさん居たことであろう。

 1974年になると冨田勲がシンセサイザーでドビュッシーのピアノ曲*4やムソルグスキ−の展覧会の絵*5を演奏したアルバムが話題になった。 ひとつひとつのサウンドを少しづつ合成しながらひとりでスタジオに隠って製作している様が紹介されたりしてうらやましい限りであった。
その後、年を追ってトラック数は32,48と増えていき、いったいそんな多くのトラックになにを入れるんだろうか?と思ったりもしたのだが・・・・
 ビートルズ・レコーディングセッションという著書で、当時はわずか4トラックのレコーダーで多重録音をくり返していたことを知ったのは1990年のことである。

 さて、自分が始めてマルチトラックレコーダーを試してみたのは1982年のことである。 70年代はマルチトラックレコーダーはとても個人が扱える代物ではなく、それを使って音楽を製作することはほとんど諦めていた事と、暫くは野外での生録に専念していた事もあって、音楽用の録音機材の動向には疎くなっていた。
 奥秩父の多摩川水源近くの部落に住んでいる友人の家で、「こんな作品を作っている人が居るんですよ。」とカセットテープを聴かせてくれたのだが、それはまさしく自分がやりたかったことをすでに実現しているものだった。 早速その作品の主に会いに行き、「今はカセットのこんなマルチトラックレコーダーが出ているんですよ。」と教えられてお下がりを購入したものは、TEACの144といい、通常の2倍速、9.6cm/秒の4トラックであった。 プロ用のマスターテープ作成に使うレコーダーがオープンリールの76cm/秒だったから、はるかにプアなスペックだったが、普通のオーディオテープデッキよりは数段良い音に録音できた。 彼は同じような仲間をたくさん紹介してくれた。 暫くは諦めていた多重録音作品に挑戦するようになったのがこの時期であった。

 60年代、ビートルズは特別だった。アビ−ロ−ドスタジオのスタッフが彼等の才能を認め、スタジオや録音機材を使いたい時に自在に使えるようにしてくれたおかげで名曲は溢れ出たのだった。 もしビートルズが世に出なかったとしても他の誰かが多重録音をメジャーにしていたかもしれない。
 でも自分にとってはポールがイエスタデイで2度ボーカルを歌った事はとても美味しい出来事であり、多重録音の原点に違い無いのである。

*1:"HELP"

*2:"BRIDGE OVER TROUBLED WATER"

*3:"TUBULAR BELLS"

*4:"月の光"

*5:"展覧会の絵"

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