2005.11.27
60年間の想い

 10月の初め、ある方からメールを頂いた。
今から60年前の1945年8月11日に奥多摩で起きた旧陸軍爆撃機の墜落事故の遺族の方で、当時から判らなかった墜落場所を探し求め、インターネットを頼りに検索をしていたところ、1ヶ月かかって私のホームページに辿り着かれたとのこと。 CD 奥多摩物語「痕」に収められている、この爆撃機の搭乗員へ捧げた鎮魂曲「キ-67」の解説文を読まれて、この事故に間違い無いと確信されたとのことであった。
事態は、急展開。 早速、当時、救助にあたり、毎年、命日に慰霊登山をしている私の父と連絡を取り合い、父の案内で10月29日に、遂に念願の墜落場所へのお参りを果たされた。
お話を伺うと、やはり終戦後の混乱で墜落場所も遺骨の行方も判らず、60年もの間、諦めきれずに居られたとのこと。
奥多摩のその土地、土地で起きて、いずれ忘れ去られてしまうかもしれない事件を音楽として記しておきたいとの願いがこの曲を作った動機だったが、本当によかったと思う。それと同時に、今さらながらインターネットの威力に驚きを禁じ得なかった。 いわゆるフォークソングや、言い伝えの中でも実在の事件を題材にしたものがあるが、まさか自分の作った曲がこれほどのリアクションを起こそうとは考えてもみなかった。
想いは降り積もるというが、墜落現場は杉木立の山中だが、常緑樹の杉も少しづつ古くなった枝葉は地面に降り積もってゆく。それなのに60年経った現在でも、爆撃機の風防ガラスの破片が苦もなく見つかる。 「私はここに居る」という事を示さんとする霊魂のなせるわざであろうか。
CD 奥多摩物語「痕」のジャケットのイラストは蝉の抜け殻である。 実はキ-67の製作にあたり、爆撃機が墜落した直後に、今まさに地中から地上に出んとする蝉が、機体の一部によじ登って脱ぎ捨てていった。 墜落から一夜明けて、山は再び蝉時雨に包まれる。そういう場面を想像していたのでジャケットのイラストとして描いたものである。
今年の秋は、驚きの1ヶ月であった。

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