2008.1.19
恩師の磁力

 今日は、とあるきっかけで中学の美術の先生の事をふと思い出した。そのきっかけというのは連想ゲームのようなものである。
朝からいつものようにパソコンで音楽をシャッフルで流しっぱなしにしていたのだが、サイモン&ガーファンクルの "サウンド オブ サイレンス" が流れてきた。そしてこの曲と出だしが良く似ている由紀さおりの "夜明けのスキャット" を思い出した。この曲は1969年の春にヒットしたのだが、中学2年生だった私はいい曲だと思っていた。
その学年の6月頃だったろうか、美術の授業で自分の好きな音楽のレコードジャケットを描くというテーマがあった。小学生のときから図画・工作は一番好きな科目だったのだが、そのテーマはなにか大人っぽくて、視界を遮るものが全くない草原に放り出されたような大きな自由を感じてやる気満々だった。小学校のときに読書感想画というテーマはあったが、これは音楽から絵画を導きだすというテーマだったのかもしれない。
美術のN島先生は当時30代後半か40代で、その年に我が母校に赴任されたのであった。2年生の初めての授業のときに自己紹介をされたのだが、"フォークソング" とか "キングストン・トリオ" という言葉が出てきたのを良く覚えている。しかも "バンジョー" も ”練習している” とのことであった。中学2年生なりたての私には60年代初期のアメリカのフォークソングブームが日本に飛び火していたことなど知る由もなかったが、子供ながらに、なにやら "ただ者ではない気配" を感じたのであった。そして先生は「弾きたい人は弾いてもいいよ」と、ガットギターを持ってきて美術の教室のご自分の机の脇に立て掛けられたのであった。私は弾けもしないのに美術の授業があるときは一番に乗り込んでそのギターを抱えて弾くまねをしたものである。中学生と言えばギターを弾く輩もちらほら出てくる年頃である。「こいつ弾きそうだな・・・・」という輩はなんとなく判る。「やつに先を越されないように・・・・」そんな具合だった。
そのような先生であったから、レコードジャケットを描くというのは先生ご自身がやりたい独自のカリキュラムだったのではなかろうか?

 さて授業に戻ろう。まず曲を決めなければならない。当時、私の家には両親が若い頃に聴いたという78回転の鉄針のレコードプレーヤーがあったが、ほこりを被った状態で、しかも1969年当時のレコードは塩化ビニール製なので鉄針では再生できず、レコードを買ってきて聴くというライフスタイルではなかった。その代わりラジオからいつも音楽が流れていたので、当時ヒットしていた "夜明けのスキャット" にすぐ決まったのだった。オリジナルのジャケットは見た事がなかったのだが、私は黒からオレンジにグラデーションで変わって行く朝焼けをバックに "夜明けのスキャット" というタイトルだけを白抜きで入れることを思いついた。今ならパソコンでグラデーションなど訳ない作業だが、水彩絵の具と中学生の拙い筆使いで悪戦苦闘していると、先生は障子貼りのときに使うような幅広の刷毛を持ってきて「これでやるといい。水分の多い薄い絵の具で黒からオレンジまで何段階かに色を分けて、1段ずつ塗っていってにじみを利用するんだよ」と教えてくれた。なるほどイメージしていたようなグラデーションが出来て大満足だった。次にタイトルを面相筆で描いていると先生はまたやってきて、「英語で "SAORI YUKI and Her Special Band" なんて入れたらいいんじゃない?」とサジェスチョンしてくれた。もう先生ご自身がやりたくてしょうがないんだということがよ〜く判ったのであった。
そんな中学2年の暮れ頃になるとラジオの洋楽番組にリクエストの葉書を送ることを覚えた。

 3年生の夏休みになると絵の得意なC君といっしょにお気に入りのミュージシャンのイラストを描いてみた。2学期が始まってC君といっしょにN島先生にイラストを見せに行くと、「もっと大きく描いてパネルに貼って文化祭に展示したらいい」とおっしゃってくれた。そして水貼りという、紙をたるみ無くパネルに貼る方法を教えてくれた。もうイラストレータになったような気分で文化祭の11月まで作成に熱中したものだった。題材はミュージックライフ誌に載っていた1966年のザ・バーズの写真である。ちなみにC君はスリードッグナイトを描いていた。文化祭前日はC君と美術室の前の展示スペースにパネルを吊るしてから二人で悦に入っていた。
あれから38年が経った。N島先生はご健在であろうか? C君は元気だろうか?
今こうして自作ジャケットの奥多摩物語のCDを前にして思うと、あのとき羅針盤の針はN島先生の磁力によってはっきりと自分の進むべき方角を示していたのだと思えてならない。

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