来生史雄 電脳書斎

ジュブナイルSFをこよなく愛する者の宴
狙われた街(中) 狙われた街(後) 狙われた街(完)

 

  プロジェクト・エデン特別篇

     狙われた前篇

LARGEFIRE.GIF (47162 バイト)

 

 人にとって、幸福とは何だろうか?

その答えを求めて、人々は苦悩し、争いを繰り広げてきた。

だが、その解答はいまだに与えられていない…。

 果して、答えが出る日は来るのだろうか?

 その時まで、人は血の涙で哀しみの歴史を綴り続けていくのである。

 

「お兄ちゃん、待ってよぉ!」

「唯、さっさとしろよ。あんまりグズグズしてると、置いてっちゃ

うからな」

 忠夫はそう言うと、セカセカと先を急ぐように歩いていく。

「もう。そんなスピードで歩いてたら、見つけられるものも見つけ

られないよ!」

 後ろから緑色の虫カゴを持った唯が、一生懸命に追いかける。

「どんな歩き方でも同じだよ。見つかる時は見つかるし、見つから

ない時は見つからないものなのさ」

  忠夫は手にした虫取りアミをブンブンとバトンのように振り回しな

がら言った。

「そ、そんなこと言ってもぉ…」

  さっさと歩いていく忠夫の後ろ姿に、唯はため息まじりに虫カゴを見

た。そこにはアブラゼミが一匹入っているだけである。

「これじゃ、夏休みの宿題になんかならないよねぇ…」

  唯はもう一度深いため息をつくのだった。 虹ヶ崎市の西部には、い

まだ静かな田園地帯が広がっている。古き良き時代の名残を残す場所で

あるが、そこにも都市化の波は急速に押し寄せつつあった。カブト虫や

虫やクワガタがいた林は姿を消し、子供たちがザリガニ釣りを楽しんだ

小川はコンクリートに埋め立てられ、新しい住宅の造成地へと姿を変え

つつあった…。

  ある意味でそれは、人々の心から豊かさを奪い去ってしまうことであ

り、わずかな温もりすらも消してしまうことになってしまっているのか

もしれない…。

「くそーっ、何かいないのかよ!」

イライラと忠夫がアミの柄で、道端に生えている雑草をぶったたいた。

高々と伸びていた野菊などが、ちぎれ飛ぶ。

「ちょっと、花にやつ当たりしたって仕方ないじゃない!」

 唯が怒鳴る。罪もない草花をなぎ払う様子に、少々怒りを感じている。

「だってさぁ。カブト虫やクワガタとは言わないけど、トンボやアゲハ

蝶ぐらいは見つかってもいいんじゃないか?」

「この辺も、たくさん家が建っちゃったからねぇ。昔はいたんだけど…」

「昔はな…。確かにお前と一緒に虫取りに来たよな」

「そうだったね」

「あの頃は遊びだったけど、今は夏休みの宿題のために虫取りだもん

な。本当にやんなっちゃうよ…!」

 と忠夫は、もう一度草花にアミをたたきつけるのだった。

「何言ってんのよ! だいたい、夏休みの自由研究に昆虫採集しよう

って言いだしたのは、お兄ちゃんじゃないの!」

 ついに唯も、キレたような感じになる。

「あん時は、それが一番楽そうだと思ったからだよ。でもな、よく考えて

みれば、今時の小学生が昆虫採集なんかするか?」

「そんなの、分かんないよ」

「今時の流行りとしてはな。ゴミのリサイクル調べとか、街の歴史を調べ

るとか、そういうのがウケるんだよ」

「だったら、それにすれば良かったじゃないの」

「…そんなの、面倒くさいもん!」

「……(ダメだ、こりゃ)」

 唯はそれ以上何も言えず、頭が痛そうに額に手を当てるのだった。

「あーあぁ。こうなりゃデパートにでも行って、カブト虫とクワガタ虫

でも買ってきた方が早いかもなぁ…」

「そ、そんなのダメだよ!」

真面目な唯としては、そういうズルは許せない。そんな唯の様子をチラ

リと見て、忠夫はからかうように言う。

「お前さ。言い方は確かに怒ってるみたいだけど、顔はやっぱり笑って

いるよな…」

「笑ってない!」

  唯が一際大きく叫んだ瞬間だった。

  ドガアアアアンッッッ!

 凄まじい爆発音のような轟きが響く!

  突風が吹き抜け、雑木林の木々がザワザワと激しく揺れ動いた。さら

にバリバリと稲妻のような放電が空中を縦横に走る。

「キャアアアアッッ!」

  唯が悲鳴をあげる。荒れ狂う突風の中でスカートを押さえているのは、

さすがに女の子と言うべきかもしれない。

「ウワアアッ!」

 忠夫の方が無様に転んでしまっている。兄としての威厳は台無しである。

「な、何なんだ?」

  慌てて起き上がった忠夫が辺りを見回す。突風は治まっているが、稲妻

のような放電は、なおも周囲に駆けめぐっている。

「お、お兄ちゃん。あれ!」

  唯が指さす方を見ると、木々の向こうに青白い光が渦巻いているのが見えた。

  キュイイイィィィンン…!

  狂ったラジオのチューニングのような甲高い音が聞こえている。

「と、とりあえず、行ってみよう!」

  耳を押さえながら、忠夫は唯を連れて青白い光の渦の方へと歩きだした。

 

  そこは雑木林の中にある少し開けた広場のような所だった。

  その中央に、巨大な青白い光が渦を巻いている。放電はその渦を取り巻

くようにして発生していた。

「な、何だ、こりゃ?」

  放電が危ないので、余り近寄らない距離から忠夫と唯はそれを見つめ

ていた。

「だ、誰かいる!」

 唯が叫んだように、青白い渦の中に人影が見えている。それは泳ぐよ

うな姿勢で、渦の中からこちらへと近づいてくる。

「こ、こりゃ大変だ!」

「ど、どうして?」

「もしかして、エイリアンの侵略かもしれないぞ。グレイとか、ゼント

ラーディ軍とかいう…」

「テレビやアニメの見すぎよ!」

 唯が呆れたように言う。

 そんなことを言ってる間に、渦から吐き出されるようにして、人影が飛

び出してきた。

「ウオオッ!」

 勢いよく放り出された人物は、地面を転がり、苦鳴をあげた。全身が銀

色のスーツに包まれており、その所々から白い煙を上げているのが見えた。

「つ…着いたのか…?」

 痛みをこらえるかのような、弱々しい声が聞こえる。その向こうで、青

白い光の渦は段々と薄れていき、静かに消えていった。

「な、何か、しゃべってるぞ…」

 忠夫がビクビクしながら、つぶやく。

「エイリアンなんかじゃないわ。人間よ」

 唯がタッと駆けだして、倒れている人物のそばへと駆け寄る。

  こういう時は女の子の方が度胸が座っているようだ。

「だ、大丈夫ですか?」

 唯が倒れている人物に話しかける。

  見た感じは、高校生ぐらいの若い男だった。

「ウ…、…!」

 話しかける唯に気づき、男はビクッとしたようにはね起きた。と同時に

身体に痛みを覚えたのか、顔をしかめる。

「大丈夫?」

 唯が尋ねると、男は唯を爪先から頭まで眺め回した。そして、辺りを見回す。

「こ、ここは…、に、20世紀か…?」

 男がうろたえたように、唯を見る。

 「はあ?」

 唯が聞きなおした途端、男はダッと駆けだして林の向こうへと走り去っていく。

 「ちょ、ちょっと!」

 唯が止める間もなく、その後ろ姿は緑の木立の向こうへと消えてしまっていた。

 「……」

 唯が呆然としていると、

 「何なんだよ、あいつは?」

 今頃になって、忠夫が近づいてくる。

 「お兄ちゃん…」

 「何だよ?」

 「あの人ね。ここは20世紀か?って、聞いてた…」

 「な、何ぃ?」

 忠夫がビックリする。そのまま、唯と顔を見合わせてしまう。

 「ま、まさか…」

 二人は同時に、そうつぶやいてしまっていた。

 

 「確かに、時空震を感知しています」

 赤や黄色のリボンのような図形がクネクネと動き回るコンピューター画

面を見ながら、アスラは言った。

 「やっぱり…」

 唯がウンウンとうなずくように言った。

 「ってことは、あいつも未来からやって来たって言うのかよ」

 ボロボロになったベッドに腰掛けながら、忠夫が言った。

 「ええ、間違いありません。その若い男というのも、30世紀の未来か

らタイムマシンを使って、やって来たのでしょう」

 アスラは、冷静な口調で答えた。

 「虫取りに行って、とんでもないのに出会っちゃったなぁ…」

 忠夫がつぶやきながら、気味悪そうに薄暗い部屋の中に目を走らせた。

 今、彼らがいるのは倒産した病院の廃墟の中であった。営業不振でつぶ

れた病院は、いまだにベッドや手術室などが当時のままで残されており、

不気味な印象を与えている。

 アスラが新しい隠れ家にしているのだが、天井から垂れ下がった手術用

ライトや床に散乱する注射などが気味悪さを増幅していた。 近所ではも

っぱら「幽霊屋敷」と噂されている場所で、誰も近寄ろうとしない。アス

ラに言わせてみれば、逆にそういう方が「隠れ家」としては好都合らしい

が…。忠夫にしてみれば、こんな所を隠れ家にするんじゃないと言いたい

のが本音であった。

 「やって来た理由は何なのかしら?」

 やや歪んだパイプチェアに腰掛けている唯が聞いた。それに対し、アス

ラはゆっくりと首を横に振った。

 「わかりません」

 「仲間のレジスタンスの連中が応援を送ってきたんじゃないの?アスラ

一人じゃ、頼り無いからってさ」

 忠夫が、脳天気に言った。

 「そんな情報は入っていません。むしろ、逆の可能性の方が高いと思います」

 「逆って…。それはミレニアムの連中の方に応援が来たってことかよ?」

 「そうです」

 「や、やばいんじゃないの、それ」

 忠夫が目に見えて、うろたえる。

 「はい。もし、彼らが新たな増援を呼び寄せたのであれば、それは何か

新しい作戦を始めようとするからに間違いないでしょう」

 「す、少しは焦ったらどうなんだよ」

 「焦ってますよ」

 あっさりとアスラは答える。だが、どう見ても焦っているようには見えない。

  そんな落ちついた様子を見ると、なおさら忠夫はイライラしてしまうのだった。

 「何か、対策を考えようよ」

 唯が提案した。だが、それにもアスラは首を縦に振らない。

 「今は、闇雲に動かない方がいいと思います。相手が何かしら動きを

見せた時に、それに合わせて動くのが効率的でしょう」

 「そんなんで、間に合うのかよ?」

 忠夫がイライラしたように言う。

 「たぶん、大丈夫でしょう」

 「たぶん…って。人類の運命がかかっているのに、ずいぶんといい加

減なんだな!」

 忠夫の怒った視線を、アスラは静かに受け止めた。

 「そうではありません。物事には順序というものがあります。それに、

ミレニアムの増援と決まった訳ではありませんから…」

 「本当なの?」

 唯が尋ねる。

 「ええ。もし、ミレニアムの増援なら直接に基地へとタイムワープす

るはずです。それと違うのが、気になるところです」

 「じゃあ、誰なのかしら…?」

 「わかりません。ただ、新たな事件の始まりであるとだけは、言える

でしょう…」

 アスラはそう言って、窓の外へと目を向けるのだった。

 ひび割れた窓ガラスの向こうには、虹ヶ崎の静かな街並みが広がっていた。

 

 日は西に大きく傾いていた。

 やがて訪れる夜の気配を感じさせるようにゆっくりと闇が街を覆いつつあった。

 街の通りには、家路を急ぐ買い物帰りの主婦の姿があり、家々の窓には

明かりが灯り、夕食の支度をする香りが漂っていた。

 いつもと変わらぬ、忙しくも温かい街の夕暮れであった。しかし!

 一日の終わりを告げようとする街の喧騒の片隅で、悲劇への序曲は密かに

演奏を開始していたのだった。

 「こ、これでいい…。す、全ては未来のためなのだ…」

 細いコードが無数に絡み合う機械の基盤をはめこみながら、男はつぶやいた。

  銀色に光る蓋を上から閉じると、カチリと音がして、機械はロックされた。

 「時空転送したパーツを集めるのは大変だったが、ようやく完成だ…」

 目の前に立つ銀色の巨体を見つめながら、男は言った。

 「最終安全装置、セット…!」

 男がつぶやきながら、機械の上部についているスイッチを押した。

  ピーッという音がして、赤いランプが点灯する。

 「これで、後はアスラを探すだけだな。もし、彼女が感染源を見つけ

ていなければ…」

 男は銀色に輝く機械を見つめた。巨大な円筒の形をした機械であった。

  それは一種の爆弾のようにも見えた。

 「この街は、お終いだ…!」

 男はニヤリと笑った。その瞳には、微かな哀しみの色が宿っていた…。

 

 ビーッ、ビーッ、ビーッ!

 赤い警報ランプが激しく点滅を繰り返す。

  コンピュータールームのモニターを「ALERT」の文字が埋め尽くしていた。

 「一体、何事です!」

 靴音も荒々しく、フレイヤが部屋へと入ってくる。

 「あ、隊長。緊急事態です!」

 操作コンソールから、シグルドが立ち上がって叫んだ。

 「何が起こったと言うの?」

 「かなり強い時空震を感知したのです。何者かが、タイムマシンを使

用したのは間違いありません」

 「何ですって!」

 フレイヤがコンピューターへと取りつく。素早くキーを操作し、コン

ピューターに表示されるデータをチェックしはじめる。

 「いつの事なの?」

 「そ、それが6時間ほど前です…」

 シグルドが、消え入りそうな声で答えた。

 「な…、あなたは何を見てたのっ?」

 コンソールから振り返ったフレイヤが、すさまじい形相でシグルドを

怒鳴りつける。

 「す、すみません。ちょうど、その時間にロキ大尉に頼まれて買い物に…」

 シグルドはビクビクしながら答えた。

 「……」

 フレイヤはあきらめたように、それ以上は何も言わなかった。シグルド

を責めても、意味がないと判断したからである。また、ロキを注意しても

ノラリクラリとされるだけだ。

 「どいつもこいつも…」

 フレイヤはボヤきながら幾つかのスイッチを叩き、画面に流れる情報を

チェックする。

 「た、確かに時空震が起きているわね。しかし、将軍からは何も聞いて

いないわ…」

 「では…」

 シグルドの表情が緊張する。

 「そうね。帝国の人間ではない誰かが、タイムマシンを不正に使用した

んだわ!」

 フレイヤが苦々しげに言う。彼女が発明したタイムマシンを、そう易々

と使用されてしまっていることへの不満だった。

 「全く、30世紀の警備体制はどうなってるのよ。こうも簡単に、タイム

マシンを不正使用されてしまうなんて…!」

 フレイヤが苛立って、コンソールを思いっきり叩いた。

 「それは、将軍に対する批判ですか?」

 そう言いながら、入ってきたのはロキである。タコ焼きのパックを手に

しながら、ニヤニヤとフレイヤを見ている。

 「そうは言ってないわ」

 「そうですかね…?」

 ロキは皮肉っぽく言うと、タコ焼きを口へと放り込んだ。

 「…余計な詮索はやめてもらえる?」

 フレイヤが冷たくロキを睨む。ロキは何も言わずに、ヒョイと肩をすく

めるのだった。

 「どうしましょうか、隊長」

 場の雰囲気を変えるように、シグルドがフレイヤに尋ねる。

 「そうね…。まずは将軍に確認してみなければいけないわね。何か、情

報が得られるかもしれないわ」

 「現在は月の位置が良くありません。通信は不可能です」

 シグルドがブラックホールタイムにあることを告げる。

 超時空通信は、月の位置によってかなりの影響を受けてしまう。時空を

超えた通信は、タキオンと呼ばれる光よりも速く動く粒子を利用した特殊

相対性理論に基づいている。この理論の基本となっているのが、同じアイ

ンシュタインの考えだした統一場理論である。 この場合、完全に安定し

た時空条件が必要不可欠とされている。その結果、月との微妙な重力バラ

ンスを保つ「ラグランジュ・ポイント」を利用することが考えだされた。

 月の位置が変わり、このラグランジュ・ポイントが微妙なズレを生じると、

通信は不可能となってしまう。これを未来ではブラックホールタイムと呼

称しているのである。

 「通信が回復するのは、いつ?」

 「そうですね、早ければ、3日後には」

 「それまでは、こちらの判断で動くしかない…ということね」

 フレイヤはジッと考え込む。手をこまねいていれば、それだけ対応が遅

れてしまう。

 「どうします、隊長」

 シグルドがもう一度尋ねた。

 「仕方ないわね。とにかく、ワープアウトした場所を特定し、工作員を

派遣しなさい」

 フレイヤが命令を下す。現在の時点では、それぐらいのことしか出来ない。

 「了解しました!」

 シグルドがビッと敬礼をし、コンソールへと取り組み始める。

 「面倒なことにならなけりゃ、いいんですがねぇ…」

 ロキが手についたソースをなめながら、そうボヤくように言った。

 「ロキ。コンピュータールームに食べ物を持ち込むのは禁じたはずよ!」

 「はいはい…」

 フレイヤに一喝されたロキが、ノソノソと部屋を出ていく。

 「……」

 それを見て、フレイヤはため息をついた。

 (面倒なことになりそうね…)

 それは、はっきりとした予感だった。

 

 何者かが未来から現代へ潜入してから、3日が過ぎた。

  その間、これといった事件は発生していない。

  キルケウイルスによる感染者も現れてはいなかった。

 忠夫たちはその日、虹ヶ崎中央公園にある市民グラウンドへ来ていた。

  忠夫の友人である秋山が所属する虹ヶ崎リトルエースの試合を見るため

であった。

 虹ヶ崎リトルエースは前に、チームの全員がキルケウイルスに感染して

しまったという過去を持つ。その危機的状況を救ったのが、忠夫や唯の温

かな友情であった。

 「中山。かっとばすから、見てろよ!」

 秋山が力強く言いながら、バッターボックスへと向かう。

 「秋山。唯ちゃんが見てるからって、緊張して空振りなんかするんじゃないよ!」

 横から、そうヤジをいれたのは副キャプテンの武藤小百合である。

  かってはキルケウイルスに感染し、反秋山の急先鋒であったが、今では

チームを支える秋山の良きパートナーとなっていた。

 「武藤さん。そんなこと、言ったらダメですよぉ」

 唯が照れたように言うと、武藤は微笑してウインクする。

 「大丈夫だって。これぐらい言ってやんないと、すぐ調子に乗るヤツ

なんだから」

 前の事件以来、武藤と唯は妙に気が合っているようであった。

  唯もサッパリした武藤の性格に魅かれる部分があるようだ。

 カキイィィン!

 金属バットの爽快な響きが聞こえた。

 秋山の豪快な一振りは、ボールをあっと言う間に外野の頭上へと持って

いったのだ。

 「よし、行ったぁ!」

 忠夫が思わず立ち上がって叫ぶ。

 その言葉通り、ボールは外野を覆うネットを越えていった。超特大の場

外ホームランであった。

 「あ、危ない!」

 ボールの行方を見ていた武藤が叫んだ。

 外野フェンスの向こうに立っていた若者へとボールが一直線に向かって

いることに気づいたのである。だが、その若者は逃げる様子もなく、ジッ

とグラウンドの方を見ている。

 「避けてくださーいっっ!」

 打った秋山が大声で叫んだ。

   だが、ボールがまさに当たろうとする瞬間、

 バシュッ!

 若者を直撃するはずだったボールは、その直前で何かにぶつかったよう

に弾け散ったのである。

 「何っっ?」

 忠夫がビックリする。周りにいる連中も驚いているだろうが、忠夫の驚

きはレベルが違う。忠夫はこれまでの経験から、それが未来のハイテクに

よるバリアーだと気づいたのであった。

 「唯、あいつだ!」

 「ええ、お兄ちゃん!」

 唯も気づいたらしい。グラウンドを見つめている若者が、あのタイムトン

ネルを抜けて現れた未来人であることに…。

 何が起こったのか分からずに呆然としているリトルエースの横をすりぬけ、

忠夫たちは一気にフェンスの向こうへと走った。

 「唯。お前はアスラを呼んでくるんだ!」

 忠夫が走りながら、唯に叫ぶ。

 「お、お兄ちゃんは?」

 「とにかく、あいつを捕まえてみる!」

 「だ、大丈夫なの?」

 「心配だったら、早くアスラを連れてくるんだ!」

 「わかった!」

 唯は方向を変えて、アスラの隠れ家である廃病院へと向かった。

 「頼むぜ、唯…」

 忠夫はそうつぶやくと、フェンスの向こう側へと急ぐのだった。

 息を切らして、忠夫がフェンスの外へとたどりついた時、若者はまだそこにいた。

 「……」

 駆け込んできた忠夫を、若者は黙って見つめている。

  何処で調達したのか、若者は普通の洋服姿であった。

 「あなた、未来から来た人ですね…?」

 自分より年上ということもあって、忠夫は比較的丁寧な口調で尋ねた。

 「……」

 若者は答えない。

 「未来から来たんでしょ?」

 「……」

 「何とか言ったら、どうなんだよ!」

 キレやすいのも、忠夫の性格である。

 「君はアスラの知り合いか…?」

 若者は静かな口調でそう尋ね返してきた。

 「そうだよ」

 「アスラは何処にいる?」

 「こっちの質問に答えるのが、先なんじゃないの?」

 忠夫は強気に出ていた。敵か味方かが分からない以上、そう簡単にアス

ラの居所をしゃべる訳にはいかなかった。

 「フン…。可愛くないガキだな…」

 若者は皮肉っぽく口許に微笑を浮かべる。

 「どうして、こんな所にいるんだ?」

 バカにされたように感じた忠夫が、怒ったような感じに言う。

 「ここにいる野球チームには、キルケウイルスの反応がある。もっとも、

すでに治療された後のようだがな…」

 若者は手にした小さな機械を見ながら、そう言った。

  どうやら、キルケウイルスの反応をトレースする機械のようである。

 「そうさ。俺と妹の唯、それにアスラの力で皆をキルケウイルスから

救ったんだ」

 「だが、感染源ではなかった…」

 「う…」

 ズバリと言い放った若者に、さすがに忠夫も言葉につまってしまう。

 「この機械のセンサーは余り性能が良くないのでな…。治療された後の免

疫反応までを見分ける力がないんだよ…」

 若者は小さな機械をポケットへと仕舞いこみながら、ため息をついた。

 「感染源を探しているのか?」

 「そうだ。だがな…」

 若者はやれやれといった表情で言う。

 「先程、公園で絵を描いていた少女たちもそうだったが、まぎらわしい

反応を持つヤツが多すぎる…」

 「さ、斉藤や上野のことか…。彼女たちに何かしたのかっ?」

 忠夫の声が思わず大きくなる。せっかくキルケウイルスの脅威から救っ

たのに、また悲惨な事件に巻き込みたくなかった。

 「別に…、何もしてないさ。感染源でない人間になど、興味はない」

  興奮気味の忠夫とは対照的に、若者は無表情に言い切るのだった。

   (こいつは味方じゃない!)

 忠夫の心が、そう警告を発していた。

 「な、何をしに来たんだ…。この街で何を企んでいるんだ?」

 そう言いながら、忠夫の心臓はドキドキと鳴っていた。緊張で首筋がピ

リピリと痛んでくる。目の前の若者に、とてつもない危険な雰囲気を感じ

取っていたからだった。

 「お前なんかに言っても、仕方ない。俺の用件は、直接アスラに話すこ

とにしたい」

 「アスラはもうすぐ来るさ」

 忠夫はチラリと唯の駈けていった方向に目を送りながら言った。

 「そうか…。しかし、ここではギャラリーが多すぎるようだな」

 若者の言葉に、忠夫が振り返る。戻ってこない忠夫を心配したのか、秋

山や武藤がこちらへ歩いてくるのが見えた。

 「アスラには、2丁目のビル工事現場で待っていると伝えろ。大事な相

談があると伝えるんだぞ」

 声が聞こえ、忠夫が向き直った時にはすでに若者の姿は消えてしまっていた。

 「ど、どこに行ったんだ?」

 忠夫が慌ててキョロキョロと探すが、もう何処にも若者は見えない。

 「アスラにしっかりと伝えろよ…」

 何処からか、声が聞こえた。

 「お前は、一体誰なんだっ?」

 忠夫が叫ぶ。

 「俺の名は、ヘイムダル…」

 風に乗って、声が響いてきた。それはヘイムダルと名乗る若者が、すで

にこの場から立ち去ってしまったことを暗示していた。

 「ヘイムダル…」

 忠夫はそうつぶやいて、呆然と立ち尽くしてしまうのだった…。

 

 地面には、錆びついた鉄骨や鉄パイプが無造作に積まれていた。

 ちょうど休業日らしく、誰も乗っていないブルドーザーやクレーン車な

どが周囲に何台も停まっている。

 2丁目にあるビルの工事現場の中である。

 今は基礎工事が終わり、組み上げられた鉄骨は四角いビルの形を半ばま

で見せている。

 その雑然とした工事現場の中を、ゆっくりと歩いてくる人影があった。

 先頭はアスラ。その後に続いているのは、忠夫と唯の二人である。ヘイ

ムダルの誘いに従って、ここへ来たのであった。

 「アスラ…、気をつけろよ」

 忠夫が周りをキョロキョロと見回しつつ、アスラに注意をうながした。

 「大丈夫です。もし、私をどうかしようと言うのなら、こんな回りくど

い方法は取らないはずです」

 「そ、そういうもんなのか…?」

 忠夫としては半信半疑である。

 「お兄ちゃん、しっかりしてよ!」

 ビクビクしている忠夫に、唯が言った。

  兄の頼り無さを嘆いているようにも見える。

 「俺がアスラを守ってやる、ぐらいのことを言ったらどうなの?」

 「そんなこと、誰が言うか!」

 忠夫が顔を真っ赤にして答える。

  少し照れてるように見えるのは、気のせいだろうか。

 「お兄ちゃんも、もう少しカッコつけるぐらいの甲斐性があればねぇ…」

 「余計なお世話だ!」

 からかうような唯の言葉に、忠夫はついムキになってしまう。

  そんな二人の様子を、アスラは微笑ましく見ていた。

   その時だった。

 「アスラ、よく来たな!」

 工事現場に声が響きわたった。

 唯が慌てて、忠夫の背に隠れる。

  何のかんの言っても、頼るべきは兄なのだろう。

 「姿を見せなさい!」

 アスラの言葉に、前方にある鉄骨の陰からヘイムダルがスッと現れた。

  警戒している様子もなく、無造作な足取りでアスラの方へと近づいてくる。

 「初めまして、アスラちゃん」

 からかうような挨拶をするヘイムダル。

 「子供扱いするのは、やめて下さい」

 アスラのきっぱりとした反撃に、ヘイムダルがホウ…といった顔つきになる。

 「クックック…。さすがは未来の運命を背負った戦士だけのことはある」

 「お前は一体、何者なんだ!」

 アスラの横に立つ忠夫が叫んだ。

 「フン、20世紀の子供まで一緒とはね。どういう関係かは知らないが、

これからの話は子供の出る幕じゃない…。帰ってもらおう」

 ヘイムダルが忠夫をギロリと睨む。その視線に忠夫がたじろいだ時、

 「彼らは、私のパートナーです。共にキルケウイルスと戦ってくれてい

る仲間です」

 アスラが忠夫とヘイムダルの間に割り込むようにして、言い放った。

  それはいつになく強い意思を込めた言葉であった。

 「……」

 「……」

 アスラとヘイムダルは睨み合ったままで黙り込む形となった…。

  そして、ついに根負けしたのはヘイムダルの方だった。

 「わかった、わかった。あんたらも一緒に聞くがいいさ。ただし、話を聞

きおわってから後悔しても遅いからな…!」

 それは単なる脅しではないようだった。

 「後悔なんか、するもんか!」

 忠夫が叫ぶ。

 「いいだろう。まず始めに言っておくが、俺は帝国側の人間ではない」

 「証拠はあるんですか?」

 アスラはスッと闘う構えを見せる。

 「…証拠はない。信じる信じないは、君の勝手だ」

 ヘイムダルがアスラを見る。その目は真剣な眼差しであった。

 「……」

 「……」

 しばしの沈黙の後、アスラが構えを解く。

 「わかりました。信じましょう」

 「オーケー、賢明な判断だ」

 ヘイムダルがホッとしたように微笑む。

 「本題から入らせてもらいます。あなたがこの時代に来た目的は何?」

 アスラが厳しい声で問いかける。完全に信用している訳ではなさそうだ。

 「もちろん、キルケウイルスの撲滅さ」

 「キルケウイルスの撲滅?」

 「ああ。俺は未来を変えるために、わざわざ20世紀まで来たんだよ」

 「それは、私の役目です」

 アスラが言うと、ヘイムダルはフッと皮肉な笑いを浮かべた。

 「じゃあ、聞かせてもらうが…。感染源はもう見つかったのかい?」

 「…まだです。しかし、発見には全力を尽くしています」

 「結果が伴わなければ、努力など何の意味もない…。全力を尽くすなど

という言葉は、自分の失敗をフォローする為の詭弁だ」

 「……」

 「キルケウイルスの感染源を消滅させるということには、未来の運命が

かかっているのだ。全力を尽くしましたがダメでした、などという言葉を、

お前は未来で待っている人達に言うつもりなのか!」

 ヘイムダルの言葉に、アスラが唇をギュッと噛みしめる。

  だが、何も言えなかった。

 「ふざけないでよ!」

 見かねて、叫んだのは唯だった。

 「アスラだって一生懸命やってるのよ。その大変さも知らないくせに、

勝手なことを言わないでよ!」

 「黙れ!」

 唯の言葉を遮るようにヘイムダルが叫ぶ。

 「お前たちこそ、何も知らないのに口を出すんじゃない!」

 「な、何よ…?」

 「どんなに未来が悲惨か、どんなに酷い世界なのか、そして未来の人々

の苦しみを少しでも知っていると言うのか!」

 さすがに唯も返す言葉がなかった。未来が大変だという話は、アスラか

ら聞いただけに過ぎない。実際に未来から来た人間にしてみれば、本当の

悲惨さも知らない唯や忠夫に非難されるのは許せないに違いない。

 「お前たちのような20世紀の人間のせいでキルケウイルスは生まれたんだぞ!」

 ヘイムダルはさらに叫ぶ。

 「俺は、お前たちを絶対に許さない!」

 激しい憎しみのこもった目だった。燃えるような憎悪に彩られた目であ

った。その目に睨まれた忠夫や唯は返す言葉もなく、ただ立ち尽くすしか

なかった…。

 「では、あなたにはキルケウイルスを撲滅する良いアイデアでもあるん

ですか?」

 アスラが不意に尋ねる。

 「ああ…」

 短く答えたヘイムダルの目には、新しい色の炎が燃えていた。

  狂気という名の…。

 

 妖しい光が揺らめくミレニアム秘密基地。

 「そ、それは本当ですか、将軍!」

 白い蒸気のような煙が垂れ込める空間に、フレイヤの驚きに満ちた声が響いた。

 「そうだ…。これは帝国にとって、最大の危機であると言えるだろう」

 重々しい声で言うのは、フェンリル将軍である。いつものように、未来

からの立体映像による通信だった。

 「し、しかし、あれは余りにも危険なために、厳重な管理がなされてい

たはずです」

 「所詮は人間が作った警備装置だ。同じ人間に破れない理屈はない…」

 「……」

 「フレイヤよ。過ぎたことを論議しても始まらんのだ。今は、いかにし

てアレを取り戻すかが重要だ」

 「…分かっております。使用される前に、何としても奪回しなければなりません」

 フレイヤの顔はいつも以上に厳しい…。

 「あのー、そんなにヤバい物なのでありますか?」

 横からロキがキョトンとした表情で聞く。

 「ロキ…。お前は、あのトールハンマーを知らないのか?」

 フェンリルが呆れたように言う。

 「トールハンマー…で、ありますか?」

 「もういい、わかった。シグルドよ、ロキに教えてやれ」

 フェンリルに言われたシグルドが、ロキのそばへと寄って説明を始める。

 「ロキ大尉。トールハンマーというのは、キルケウイルスの重症患者用に

作られた特殊な装置のことです」

 「重症患者用?」

 そう言われても、ロキはキョトンとした表情でシグルドに聞き返した。

 「はい。キルケウイルスに感染した人間は絶望し、全ての活力を喪失し

ていきます。しかし、その病状が進行すると、極端な破壊衝動や自暴自棄

の状態に陥ってしまうのです」

 「それは知っているさ。だから、感染した人間は自殺に走ったり、他人

を排除しようとしたりするんだろ。この20世紀での感染者の連中を見ても、

イジメだの、自殺だの、絵を切り裂いたりだのとメチャクチャだからな」

 ロキは過去の事件を思い出しながら言う。

 単にヤル気を失うだけではない所が、キルケウイルスの恐ろしいところであった。

 「そうです。そして、彼らを放置しておくことは、治安維持にとって大

きな影響を与えることになります」

 「治安維持か…」

 「はい。ミレニアム帝国が治めている30世紀の社会では、ほとんどのキ

ルケウイルス感染者はコントロールされています。しかし、一部の重症感

染者の中には、コントロール不可能になってしまった人間もいるのです」

 「へえ、そうだったのか…」

 「ロキ、本当に何も知らないのね…」

 感心しているロキを見て、フレイヤが呆れたように言った。

  ロキがムッとする。

 「悪かったですね。どうせ、一般の民衆には知らされていない最高機

密なんでしょ?」

 「もちろんよ。世の中には、知らない方が幸せということもあるんだから」

 フレイヤがフッと自嘲めいた笑いを浮かべる。

  それは、歪んでいく帝国社会への憐れみだったのかもしれない。

 「と、とにかく、そういった重症患者用に開発されたのが、トールハン

マーなんです」

 場に漂う険悪な空気に、あわててシグルドが説明を再開した。

 「コントロール不可能になった人間を救うには、もはや心そのものを破

壊してしまうしかないのです。絶望すらも感じないように、あらゆる感情

も、思考も、全てを破壊してしまう究極の心理破壊装置…」

 「それがマインドデストロイヤー装置。別の名を、トールハンマー。第

21代皇帝のトール8世が開発を命じたことから、その名がついた帝国最大

の秘密兵器よ…」

 シグルドの言葉を引き継ぐように、フレイヤが言った。

  魂の尊厳すら無視した兵器の存在を明らかにするだけに、その声はとて

も冷たいものに感じられた。だが、発言者の思いとは裏腹に、聞いている

ロキはポカンとしているだけである。

 「へえ…、そんなおっそろしい物があったんですかぁ…。え…、ちょ、

ちょっと待ってくださいよ。そ、そんな秘密兵器が盗まれたって、言うん

ですか?」

 「ようやく、事の重大さが呑み込めたようだな、ロキ。盗んだ男は、そ

れをお前たちのいる20世紀で使おうと企んでいるらしい」

 フェンリルが声が重々しく響く。フレイヤたちの顔が緊張に強張った。

 「盗み出した犯人は、レジスタンスとは無関係のようだ。それだけに動

機も定かではないが、ヤツが企んでいることだけは明白だ」

 「そ、それは何でありますか?」

 ロキが慌てて尋ねる。

  だが、それに答えたのはフェンリルではなく、フレイヤだった。

 「恐らくは、虹ヶ崎市全ての住民の心を破壊してしまうこと…」

 戦慄がロキやシグルドの間を吹き抜ける。

 「その通りだ、フレイヤ。ヤツは始祖の誕生を阻止するために、住民全

部の心を破壊しようと考えている。そうすれば、キルケウイルスは生まれ

てこないのだからな…」

 ああ、何ということであろう…。

 キルケウイルスを撲滅するために、その感染源の対象となる虹ヶ崎住民

全ての心を破壊してしまおうと言うのである。確かに、何処の誰かも分か

らない感染源を探すよりも、その方が確実であり、簡単でもある。

 だが、物事の合理性だけで決めていい問題ではなかった。それは、明ら

かに悪魔の所業とも言える行為なのは間違いなかった。

 「私たちが始祖を見つけられないばかりにこのような事態を招いてしま

って、申し訳ありません…」

 フレイヤが深々と頭を下げる。

 「それはよい。とにかく、我等が帝国始祖を発見できない以上、トール

ハンマー使用を絶対に阻止するのだ!」

 「全力を尽くします…!」

 フレイヤが厳しい声で答える。

 トールハンマーの恐ろしさは、科学者であるフレイヤ自身がよく分かっ

ていた。会話の中では「重症患者治療用」としているが、実際には兵器と

して使用された過去も持つ機械であった。開発されたトール8世の次世代

の時、帝国に反乱を企てたアルテナ地区住民と貴族全ての心理を破壊する

ために用いられたのである。その結果は、余りに酷かったためかは知らな

いが、永遠に帝国の記録から抹消されてしまっている。そして、それから

と言うものトールハンマーは「帝国で最も危険な存在」として厳重に管理

されてきたのだ。

 「フレイヤ、どうかしたか?」

 固まっているフレイヤにフェンリルが声をかけた。

 「いえ…、何でもありません」

 「では、吉報を待っておるぞ…!」

 ビュウウンと音をたてて、フェンリルの姿が消えていく。と同時に、基

地空間もまた闇の中へと溶けていくのだった…。

 

 「本当にそんなことを考えているの?」

 アスラの声もつい、大きくなってしまう。 それも当然である。ヘイム

ダルから提案された計画とは、虹ヶ崎市民全ての心を破壊するというもの

だったのだ。

 「本気だ。そうしなければ、未来が救われないのだからな…」

 ヘイムダルは淡々と答える。

 「そ、そんなバカなことを…」

 アスラが冷たく吐き捨てるように言う。例え、未来の命運が掛かってい

るにせよ、そのような計画を承知できる訳がない。

 「俺が未来から持ち込んだマインドデストロイヤー装置『トールハンマー』

を使用すれば、全ては一瞬で終わる。人間を人間とも思わないミレニアム

帝国の悪魔たちもな…」

 「ふざけるな!」

 そう叫んだのは忠夫だった。

 「黙って聞いてりゃ、勝手なことばかり言いやがって…。虹ヶ崎の人間

すべての心を破壊するだと?」

 「なに、苦しみはしない。何も知らない間に、一瞬にして終わるさ」

  「てめぇっ!」

 激怒した忠夫がヘイムダルに殴りかかる。

   だが、それは不成功に終わる。

 バシィィィンッッ!

 激しい音と稲妻のような放電が光り、ヘイムダルへと届く直前で、忠夫

の体は弾き飛ばされたのだった。

 「お兄ちゃん!」

 地面へと転倒した忠夫に、唯が駆け寄る。

 「痛ぇぇ…、一体何なんだ?」

 擦りむいた肘をさすりつつ、忠夫が呻く。

 「個人用バリアーね…」

 アスラがそう呟き、厳しい瞳でヘイムダルを睨んだ。

 個人用バリアーは、未来で開発された防御装置の一種である。個人の周

囲に限定して張りめぐらされる電磁障壁は、接近する全ての物体を弾き返

してしまうのだ。

 「20世紀の人間は、野蛮でいけないな」

 ヘイムダルが冷やかな目で忠夫を見る。

 「ならば、あなたのしようとしている事は野蛮ではないと言うの?」

 アスラの声には、非難がこもっていた。

 「全人類を救うという目的のためには、少しぐらいの犠牲は仕方ない。そ

うは思わないのか、アスラ?」

 「目的のためには、多少の犠牲はやむを得ないという考えは間違っていま

す。そういう考え方は、長い歴史の中では何度も繰り返されてきましたが、

それが生み出すものは憎悪でしかありません!」

 「憎悪か…。人を動かすのもまた、憎悪であるとは思わないか?」

 「それは、誰のことを言っているの?」

 「……」

 「あなたが何故、キルケウイルスを撲滅しようとしているのかは分から

ない。でも、これだけはハッキリしてます」

 「何だ?」

 「あなたは未来を救おうなんて、思ってはいない。あなたの目に宿って

いるのは、ただの憎しみだけです!」

 「……」

 たたきつけられたアスラの言葉に、ヘイムダルは答えようとしなかった。

 「あなたは何を企んでいるの?」

 「未来を救うことだけさ」

 「それは嘘だと言ったはずです…!」

 「……」

 二人の未来人は、無言のままで睨み合っている。その間では、激しい意

思と意思の闘いが目に見えぬままに続けられているのだ。

 「これまでだな…」

 不意にヘイムダルが言った。

 「アスラ。うまくいけば、お前とは仲間になれると思っていたのにな…」

 「仲間になんか、なれる訳ないわ」

 「同じキルケウイルス撲滅という目的を持った同志だろう?」

 ヘイムダルが言う。

 「キルケウイルスの感染源を消滅させるのは、確かに私の使命です。で

も、虹ヶ崎市の人々を犠牲にしていいはずがありません」

 「未来の運命と、一都市の運命を秤にかけるつもりなのか?」

 「虹ヶ崎市を犠牲には出来ません!」

 「愚かな…。20世紀の人間に惑わされて、本当の目的を見失ったか?」

 「違う。私は私の意思で、あなたの行動を許すことはできない!」

 「ハッハハハハ。まあいい、俺は俺のヤリ方でやるだけだ」

 そう言うと、ヘイムダルは歩きだした。

 「待ちなさい!」

 歩きだしたヘイムダルの行く手を塞ぐようにして、アスラが回り込む。

 「マインドデストロイヤーは何処?」

 「それを教えると思うか?」

 「教えなさい。そんなものを使うことは、絶対に許さない!」

 アスラが叫ぶ。絶対に阻止しなければという思いが、その全身からあふ

れていた。

 「バカな女だ…」

 そう言った瞬間、ヘイムダルの体から凄まじい光が放射された。目を開

けられないほどの強烈な輝きだった!

 恐らく、着ている服の素材そのものに閃光手榴弾と同じ原理を持つ特殊

なグラスファイバー繊維を組み込んでおいたのに違いない。

 網膜を灼く凄まじい閃光であった。

 「ああああ…!」

 アスラが目をやられて、うずくまる。

 「アスラッ!」

 忠夫と唯が慌てて駆け寄ってくる。うずくまったままのアスラを必死に

抱き起こした。

 「へ、平気か?」

 「だ、大丈夫です…」

 アスラは必死に起き上がる。

 そして再び目を開いた時、すでにそこにヘイムダルの姿はなかった。

 「し、しまった!」

 自分の得意技でもある閃光弾にやられるとは…、とアスラが唇を噛む。

 だが、もはや何処を見ても、ヘイムダルの姿を見つけることはできな

かった。

 「ハハハハハハハ…!」

 何処からともなく、笑い声が響く。その声はビルの壁や鉄骨の隙間に反

響して、所在を特定することは出来なかった。

 「アスラ。これから、3日間だけ待ってやろう。その間に、お前が感染

源を見つけられればよし。そうでなければ、俺はトールハンマーのスイッ

チを押す!」

 「な、何ですって!」

 「俺だって、好き好んで、この街の人間の心を破壊したくはない。だか

らこそ、お前にチャンスを与えてやるんだ。もし、この街の人間を救いた

いのなら、これから3日の間に必死で感染源を探すんだな!」

 「ま、待ちなさい!」

 遠ざかっていくヘイムダルの声に、アスラが叫ぶ。だが、すでにヘイム

ダルの気配は急速に失われつつあった。

 「3日間だ…。忘れるなよ…」

 その言葉を最後に、ヘイムダルの気配は完全に消滅した。

 「ア、アスラ…。どうすんだよ…」

 忠夫が心配そうに聞く。

 「本当にキルケウイルスを探しだせるのかしら?」

 唯も不安そうな表情だ。

 「3日間で、キルケウイルスの感染源を探し出すのは無理でしょう…」

 アスラは、目を伏せながら言った。

 「む、無理って。それがお前が20世紀まで来た目的じゃないか!」

 「お兄ちゃん!」

 感情的にアスラをなじる忠夫に、唯がたしなめるように叫ぶ。

 「唯、黙れ!今は俺たちの街がやられるかやられないかの大変な時なんだぞ!」

 「でも…」

 「おい、アスラ。分かってるのか!」

 忠夫がアスラの襟首をつかんだ。

 「分かってます。ですが、今はそれよりも優先すべきことがあります」

 アスラの静かな口調に、忠夫はゆっくりと手を放した。

 「ゴメン…」

 「いえ、気にしないで下さい…」

 「…で、何をすればいいんだ?」

 「ヘイムダルを探し出し、マインドデストロイヤー装置『トールハン

マー』を破壊するのです!」

 「で、出来るのか?」

 「やるしかありません。そうしなければ、この街は終わりです」

 そう言って、アスラは歩きだす。

 前を見つめる瞳には、厳しい決意が秘められていた。

 果して、虹ヶ崎の街を救えるのか?

 アスラや忠夫たちにとって、もっとも苦しく、もっとも激しく、もっと

も長い3日間が始まろうとしていた…。

 

                                                                                         つづく

 

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