1989年(平成元年) |
弟5回都市公園等コンクールで建設大臣賞
大仙公園日本庭園設計管理に対して |
1989年(平成元年) |
日本造園コンサルタント協会から特別賞
ヴェルツブルグ市日本庭園に対して |
1998年(平成10年) |
弟14回都市コンクール(設計部門)で日本公園緑地協会長賞
堺市向ケ丘大池水上デッキ上部他造園設計 |
2003年(平成15年) |
弟2回京都景観・まちづくり賞で優秀賞
京都市西陣地区の桜井公園の設計に対して |
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中根金作 略暦 |
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1917年(大正
6年) |
磐田市生まれ。 |
1933年(昭和
8年) |
静岡県立浜松工業学校図案科(現浜松工業高等学校デザイン科)に入学。 |
1935年(昭和10年) |
浜松工業学校卒業。日本形染株式会社に入社し捺染図案の作成を行う。 |
1937年(昭和12年) |
日本形染株式会社を退職。 |
1938年(昭和13年) |
東京高等造園学校(現東京農業大学造園学科)に入学。 |
1942年(昭和17年) |
卒業を前の京都へ卒業旅行へ行く。京都の名庭園の美しさに引かれ、
京都に残り古美術の研究を行う。 |
1943年(昭和18年) |
京都大学農学部造園教室の無給副手となり、造園教室と植木職人の現場仕事を行う。 |
1947年(昭和22年) |
西芳寺住職の厚意で、地蔵院を間借りし、庭園の調査研究に力を入れる。 |
1952年(昭和27年) |
京都府文化財保護課記念物係長に任命される。 |
1954年(昭和29年) |
はじめてのまとまった作庭として城南宮楽水苑の作庭にとりかかる。 |
1962年(昭和37年) |
(社)日本造園学会評議員に就任する。
京都府教委文化財保護課長補佐兼念物係長に任命される。 |
1965年(昭和40年) |
京都府教委文化財保護課を依願退職する。
京都大学工学部(財)建築研究協会内日本建築庭園研究室主幹となる。
ハワイ・ホノルル、メモリアルパーク日本庭園基本設計を行う。 |
1966年(昭和41年) |
中根庭園研究所を開設。 |
1967年(昭和42年) |
京都府文化財保護基金調査委員となる。 |
1968年(昭和43年) |
日本万国博覧会の日本庭園の設計作庭に参加する。
外務省の国際事業団からシンガポールに派遣され日本庭園の基本設計を行う。 |
1969年(昭和44年) |
大阪芸術大学建築学科教授に任命される。
(社)日本造園学会より学会賞を受賞。
足立美術館の日本庭園の作庭を行う。 |
1970年(昭和45年) |
マーレシア、ブラジル、ウィーン、北ボルネオなどの海外の仕事で日本庭園の設計作庭を行う。 |
1972年(昭和47年) |
大阪芸術大学環境計画学科の設立により、同学科教授兼学科長に任命される。 |
1974年(昭和49年) |
ウィーン国際園芸博覧会の日本庭園の設計作庭を行い、オーストリア国農林省から銀賞、全オーストリア園芸協会から金賞を受賞する。 |
1975年(昭和50年) |
中根史郎(現所長)が入社。 |
1977年(昭和52年) |
(社)日本造園修景協会理事となる。 |
1981年(昭和56年) |
東京農業大学より造園大賞を受賞する。 |
1982年(昭和57年) |
(社)日本公園緑地協会より公園緑地北村賞を受賞する。
(社)全国日本学士会よりアカデミア賞を受賞する。 |
1983年(昭和58年) |
アメリカ元大統領カーター氏の記念館の日本庭園を作庭する。 |
1987年(昭和62年) |
ボストン美術館に日本庭園を作庭する。
大阪芸術大学学長に就任する。 |
1990年(平成
2年) |
日本造園コンサツタント協会から特別賞を受賞する。 |
1991年(平成
3年) |
大阪市より大阪市民表彰を受ける。 |
1994年(平成
6年) |
(社)日本造園学会より上原敬二賞を受賞する。 |
1995年(平成
7年) |
呼吸疾患にて入院中、心室粗動により死去する。
正五位勲三等瑞宝章を追贈される。 |
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