2009.1.3
年頭所感:思い描くことの大切さ

  以前、私が参加しているソーシャルネットワーキングサービスのゆらぎに関するコミュニティでフラクタルについて次のようなことが話題になっていた。それをこの正月休みの朝、目が覚めて思い出した。
「くも膜下出血や脳溢血は、地球上のどこかで起こっている戦争やテロの縮小版のように思える」というもの。 直感的になるほど!という気がしていたのだが、なぜそうなのか? 疑問になっていたのである。
フラクタルとはFig.1に示した海藻の枝ぶりのように、どこの微細な部分をとっても、全体の形と相似形をしている状態を言うそうだが、陸前のリアス式海岸もフラクタルの事例としてよく取り上げられるように、Googleマップ上でズームしていくと微細な入り江の形が岬の入り組み方と似ているのが判る。
「マラソンは人生の縮図だ」というような表現があるが、地球は人体の縮図であり、そのまた逆も言えるのではないだろうか? 縮図とはフラクタルを説明するにはうまい日本語かもしれない。

Fig.1

 「病は気から」という諺がある。私は仕事が忙しくて気が張りつめているウィークデーはなんともないのに、週末になると風邪をひくことがよくあるのだが、医者によると風邪のウィルスは毎日のように身体の中に侵入してくるのだが、抵抗力があるうちは発症しないとのこと。逆に考えるに、週末に風邪をひくのは抵抗力が無くなったからで、抵抗力が無くなったのは気が緩んだのが原因とも言える。恐らくは風邪に限らずウィルスを攻撃する物質は気によって生成されるのかもしれない。昔から風邪をひくたびに、このメカニズムがどうなっているのか?と頭を悩ませるのだが、気というのは詰まるところ興奮や覚醒したときに分泌されるアドレナリンやドーパミン"のように、体内で分泌される物質なのではないだろうか?そう考えれば、気が張りつめている状態はウィルスの増殖を抑制する物質が継続的に分泌されているのかもしれない。

 さて、フラクタルな話に戻るが、地球が人体の縮図であれば、個人個人が健やかな自分を思い描いているうちは病気に対して抵抗力があるのだから、地球上では戦争やテロの発生を抑制できるのではないだろうか?
そこで、はたと思い出したのがジョン・レノンのイマジンである。歌詞にあるごとく、争いの無い状態を想像すること。恐らく彼は直感的に地球が人体の縮図であるというフラクタルな構造を感じていたのではないだろうか?
どんなに困難な状態でも平和を希求することはやめてはならない。言い古された言葉だが、フラクタルというものを通してあらためて思い描くことの大切さ、気の大切さを感じた次第である。
ジョン・レノンは素晴らしいメッセージを音楽に込めることができたが、私に出来る事はなんだろうか? 少しでも心の平安をもたらす音のゆらぎを追い求めることができれば.....

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