2019.11.2
双曲線と黄金比の扱い手

 小学校、中学、高校、いつも絵や美術が得意なクラスメートが居た。
マンガやイラストが得意なC君には美術の時間になれば ”とてもかなわない” 、と感じたものである。C君は高1から別れたが、高3年になればS君やMさんが美大に進学しようとしていることを知った。
彼、彼女が描く顔や髪型の輪郭を見ていて思ったことがある。どうしてこんなカーブが描けるのだろう?
描いている様子を見ていると一発で線を引くのではなく薄く2、3回引いて、その中から最適なカーブを選んでから濃く引いている。
自分の場合は最初から濃くカーブを引いてしまうのだが、違うなと思えば消しゴムで消してからやり直すのである。だから彼らの何十倍も時間を費やす=効率が悪いのである。これでは美大は無理だろうと諦めた次第である。

 仕事柄、長い間カーブを描くことは無かったのだが、ここ20年ほどで機会が増えた。
自分で描くのではなく計算してグラフ化するとカーブを描いているという具合である。
なので、カーブが歪んでいる場合は理由を考え手直しする。逆にこういうカーブになる筈ではないか?と調べてみると理論的な裏付けがあることを知った。
それは大抵が双曲線なのである。なぜ双曲線になるかは以前の
エッセイで触れているので参照頂きたい。
その理由を考えていく過程で出会ったのが黄金比である。
双曲線と黄金比ではカーブが描かれる理屈は異なるのだが、カーブの曲率が一定ではなく、徐々に変化してゆくという点、そして1種類しか存在しないという点で同じである*。
いわゆる美術が得意な彼らは無意識に双曲線と黄金比を探り出しているのではないか?と思うようになった次第である。
”美しい” と言うより、”おかしく見えない” と言った方が良いかもしれない。

 *:ちょっと脱線。
一方、例えば楕円形のように閉じられた曲線は縦横比で形は無数に存在する。
y=a/xなる双曲線はFig.1に示すように定数aの値(正方形の面積に等しい)でカーブが変わるが、Fig.2に示すように縮尺を変えれば変らない=相似である。そして原点から離れて行くほど直線に近く、原点に近づくほどカーブして見える。
x、y座標上に無限に広がる=閉じられていない=開かれた曲線はこうした性質を持つ。

Fig.1
Fig.2

 ところが、拡大しても拡大しても同じ形が現れる性質を全体と部分が相似=自己相似〜フラクタルと言い、海岸線や植物の枝振り、動物の角や貝殻等に現れる。黄金比はFig.3のように何処まで拡大してもカーブが続く。

Fig.3

 これは正方形が細胞とすると、分裂した細胞の辺の長さが元の細胞の1.618....倍に肥大して次の分裂を起こせば元の細胞と隣り合ったまま重ならずに成長が続けられるということであろう。
キーポイントは重ならないということ。もし重なってしまったら細胞同士で喧嘩や訴訟が起きるのだろう。これが腫瘍というものだろうか? 喧嘩や訴訟がすぐ収まれば癌になることはない? 宮沢賢治が雨ニモマケズで ”ツマラナイカラヤメロ” と言う意味が良く判る。
逆に1.618....倍の手前で次の分裂が起きてしまえば隙間が開いてしまい、こういう場所にウィルスが攻めてきたらこれも都合が悪そうだ。
こう考えると、”おかしく見えない” =”重ならない” ということで、美術が得意な彼らは神の手を持っているように思える。これが神業なのだろう。

 さて、開かれた曲線には ”物差しによって” 相似に見えたり見えなかったりする曲線と、”物差しによらず” 相似になっている曲線の二種類が対で存在するように思える。
この対は双曲線のように本質が変わったのに見方によって変っていないと錯覚したり、黄金比のようにどこまで行っても本質は変わらないのにいつか変る?と期待する=人間の性を表している様な気がする次第である。
そういう性を嘲笑うかのように、こうあって欲しい事はそうならず、こうあって欲しく無い事はそうなってしまう。

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