2005.8.20
胸キュンゆらぎ

 今日は夏も盛りを過ぎた8月20日。近くの公園に子供と虫取りに出かけた。 その公園は上を向くと空だけが見える急な階段を昇って行き、広場に出ると突然視界が開ける格好になっていて、いきなり赤とんぼの乱舞が真っ青な空をバックに見えたのである。その乱舞に胸がキュンとしてしまった。
 それは後で思い返してみたのだが、「ああもう秋が近いんだなあ」という感傷が一瞬入り込んだような気もするのだが、あまりにもいきなりだったので、脳の中で赤とんぼ→秋という連想回路が繋がるのとはどこか違う別の回路が繋がったように思えたのである。

 一匹の赤とんぼの動きを目で追ってみると、視角の座標の中で、時には風に流されるかのように、時には急に方向転換するように。半ばランダムに、半ばある意図を持って動いているように見える。 そして、そのような多数の移動体が時には無関係に、時には群れているように見える。 そのように複数の物体が動いている様は視覚情報として、ひとつのゆらぎ方を呈しているのだと思う。
 赤とんぼの乱舞のような視覚上のゆらぎというのは、言語や記憶とは全く独立して人間の胸を(脳を)キュンとさせる働きがあるのではないだろうか?と思った次第である。 ひょっとしたら童謡「あかとんぼ」の聴覚上の(旋律の)ゆらぎは実物の赤とんぼの視覚上のゆらぎと共通な部分があるのではないだろうか?
このようなゆらぎを「胸キュンゆらぎ」と呼ぶ事にしよう。 「胸キュン」・・・これは「琴線に触れる」と同義語であると思う。
 いにしえびともずうっと昔から赤とんぼの乱舞を見ると胸キュンしていたのだろうか?

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