三嶋大社 静岡県三島市大宮町二丁目 式内社(伊豆国賀茂郡 伊豆三嶋神社[名神大 月次新嘗])
伊豆国一宮・総社
旧・官幣大社
現在の祭神
三嶋大社大山祇命・積羽八重事代主神
[配祀] 阿波神・伊古奈比咩命・楊原神
摂社・若宮神社物忌奈乃命
[合祀] 誉田別尊・神功皇后・妃大神
摂社・見目神社波布比咩命・久爾都比咩命・伊賀牟比咩命・佐伎多麻比咩命・伊波乃比咩命・優波夷命
末社・飯神社保食神
末社・酒神社豊受比売神
末社・大楠社大楠神
末社・小楠社小楠神
末社・船寄社塩土老翁
本地
三嶋大明神薬師如来
后妃十一面観音
王子(若宮)地蔵菩薩
末社飯王子毘沙門天
酒王子不動明王
大楠観世音菩薩
小楠地蔵菩薩
見目大日如来
船寄大日如来

「伊予三嶋縁起」

四十二代文武天王位大宝元(辛丑)年。 東国為済度。 第一王子本地薬師如来也。 伊豆国奉祝。 三島大明神是也。

「諸神本懐集」

三嶋の大明神は十二願王医王善逝なり。

「宴曲抄」中巻

三嶋詣

和光同塵は利物の謀、法性の海鎮に、不変の波を湛へ、垂迹は化儀に随ひて。 方便の舟を浮べつつ、渡すに信敬の誠に寄る。 夫三嶋明神は、忝くも石の神、布留の神代の天にしては、第六代惶根の尊の御子なり。 化儀を彼所に調へ、利益をここに待たしむ。 予洲と当洲の本末も、時の宜しきに任せけむ。 然れば或は海中に、楼閣玲瓏の奇瑞を為し、或は夢の告有て、本地医王の誓約、十二大願を顕す。 豊崎の宮の古は、興津島根に跡を垂れ、文武の畏き御代には、幼稚の童男に託して、暫く賀茂の郡に鎮座す。 其より以来、アノ、終に聖武の御宇には、天平聖暦の事かとよ。 叢祀を府中に遷され、枌楡の影を仰いしより、神徳年々に威光を副へ、威応益盛なり。 然れば、社殿甍を並べて、コノ玉の御垣鮮かに、朱丹軒に輝き、御正体の聖容は、星を連ねて赫奕たり。 廻れる廊下の宮柱、ふとしき立てて弥栄ふ、功徳池の波を湛へては、苦空無我の響あり。 水鳥樹林交りて、常楽我浄の風涼し。 七宝の橋列きては、金剛界道に異ならず。 歩を運ぶ人も皆、行かふ道の万度、千度を重ねても猶、進む心を曇り無く、見る目は賢き調御の師、三世の仏のたらちめの、子を思ふ道は変らねば、我等に一子の慈悲を垂る。 阿遮一睨の眸、吠尸羅増福の掌、彼は四魔を退け、是は宝塔を捧げつつ飯酒の王子と号せらる。 十種の願文文殊師利、定慧の二を分てば、大楠小楠の陰陽、八幡勧請の砌には、十念不捨の憑あり。 御社戸の六躰は、六観音の化現にて、普門の誓に答へつつ、おのおのとぼそに立ち給ふ。 第二は皇妃の昵懐しく、十一面の笑を含み、 第三は王子のいつくしみ、六道能化の姿にて、忍辱の巷に出つつ、衆苦二闡提の身を任す。 此等の結縁たのもしく、閑に思ひ続くれば、コノ般若惣持の法施には、内証の月朗に、外用の雲をや払ふらむ。 夜の風に吹立る、龍吟に響く笛の音、深更に雪を廻す、霓裳羽衣の袂に、霜を重ねて白妙の、神さびまさる三島木綿、凡勝地を占め給ふ、神慮もいかでか浅からん。 後を顧みれば、アノ北嶺たかく聳えて、富士の明神になる沢の、深き契や故あらん。 其名も賀茂の御手洗と、同流はみづがきの、久しき世々のためしも、由あなる物をな。 西を遥に望めば、田子の浦浪に、浮島が原の磯伝ひも、道ある御代は閑かにて、波をさまれる船寄も、汀の松もひこはえて、栄ふる梢は高道祖の、神の恵の普きや、法界躰性の誓ひならむ。 抑倩思ひ解けば、大通智勝の昔昔、東方阿閦と聞ゆるも、コノ、今の医王善逝かとよ。 十六沙弥は則ち、十六王子とあらはれ、互に行化を助けつつ、共に主伴の昵あり。 一乗化城の妙文、誰かは是を仰がざらん。

「真名本 曾我物語」巻第七

南無帰命頂礼、当社明神と申すは、神威掲焉、天地感動して神火大海を焼きしより以来、人王四十代天武天王の御宇、朱鳥元年(乙酉)の年、始めて伊豆国の鎮守と顕れ給ふ。 その時より以還、代々の帝も崇敬し奉り給ふ。 その後人王五十三代淳和天王の御時、天長六年(己酉)の年、七月八日の夜半ばかりに、信濃の国水内の郡中条の郷竹葉の村の上人法泉沙門と云人に託宣して、我はこれ伊豆の国の鎮守三嶋大明神これなり。 本地は薬師なり。 后妃は十一面の観音なり。 王子はまた本地地蔵尊これなり。 今は伊豆の国賀茂の郡河津の里に立てり。
およそ三嶋の大明神の部類眷属委しく申せば、大明神の御本地は大通智勝仏なり。
[中略]
飯の王子と申すはまた毘沙門天王これなり。 酒の王子はこれ大聖不動明王なり。 十六王子・六所の客の宮・船寄・高佐江・見目の御前・荒脛巻、皆これ大日如来の化身なり。 大楠・小楠またこれ観音・地蔵の化身なり。 惣じて福島の石に至るまで善悪の我らを捨て給はざる垂跡なり。

中世文学輪読会「訓読『平家打聞』(三)」

平家打聞 巻第五

 二所は、伊豆筥根、是の二所なり。 三所権現と云ふ時は三嶋入りたり。
[中略]
 三嶋は大明神の之威掲焉、天地震動して神火大海を焼く。 人王四十代天武天皇の御宇朱鳥元年(乙酉)、伊豆国の鎮守と崇めたまひ、其れより代々の帝之を崇め奉ると。 後に人王五十三代淳和天皇の御時天長六年(己酉)、信濃国水内郡中条郷竹葉村に上人有り。 法衆沙門と名づく。 七月八日の夜、彼の沙門に託宣して名乗りたまふ。 「我は此れ、伊豆国の鎮守なり。」と云々。 三嶋大明神の本地は即ち薬師如来。 后妃は十一面。 王子は地蔵尊。 今、伊豆国賀茂郡河津郷に立ち下りたまふ。 凡そ三嶋大明神の部類諸神を委しく申せば、大明神は法躰、大通智勝仏。 東方阿閦は薬師。 飯王子、酒王子は多門(ママ)、不動。 十六王子は六所、客人、船崎、高佐江、見る目の御前、福嶋の石。 朱鳥元年(乙酉)より元享(ママ)二年(甲子)に至るまで帝王五十余代、年序六百二十八年なり。

「瀬戸神社 ―海の守護神―」

資料翻刻

③神明納受法花事 【称名寺聖教330函87】
 三嶋大明神御本地事
勘見古記候ヘハ人王五十三代淳和天皇ノ御宇天長七年<庚/申>七月八日信州水内郡中条郷竹葉村有僧名曰法衆夢想告曰ク
霊異高官人来テ言ク我是伊豆ノ国ノ鎮守三嶋大明神也本地ハ薬師如来后妃ハ十一面第三王子地蔵也

「三宅記」

抑昔天竺に帝王ましましき。 其王に八人の后有り。 其の中に光生徳女とて妻愛の后有り。 或時帝王彼の后に向ひ給ひて仰けるは、我既に齢四十に余ると雖も、未だ王子とて独りも無し。 如何はせんとの玉へば、后答させ玉ふは、我れ八日に生れぬれば、常に薬師如来を信し奉りぬ。 此度も薬師へ願奉らむとて、薬師へ詣給ひて、三七日籠り玉ふと雖も印し無し。 去れともかくては捨て難しとて、五七日籠り玉ひて深く願ひ玉へば、五七日の夜寅の時斗に、歳の齢六十斗り成る老僧の黒き衣を着て、水瓶とおぼしきを左の御手に持より玉ひて、仰せありけるは、此ころ願深しと雖も、かつて与ふへき子種とては無けれとも、夜を重ね日を重ね願ふ心の深ければ、汝に是を与ふとて金の笏を与へ玉ふて仰ありけるは、是は汝か願処の王子の命ながかるべき薬なりとて、水瓶の水を竹の葉にて三度左の手に入玉ひて、又た仰せありけるは、あながちに願ふ心の深きより、止む事無くて与ふと雖も、此の王子七歳の時こそあさましからめとて、かきけすやうに隠れ玉ひぬ。 其時后大き喜ひ玉て下向ありけるが、夫れより十二月に当りたる正月八日に、王子御誕生ありけり。 帝王大きに悦ひ玉て、いつきかしづき奉り、八日に生れ玉へばとて、一大薬師子と申し奉りける。 然る所に年月漸く重て、此君七歳に成せ玉へる時、御母の后空く隠れ玉ひぬ。
[中略]
扨日本は神明の光盛なりと聞玉ひて、孝安天皇己丑年に此国へ渡り玉ひて、富士の絶頂にて神明に見えおほせ在りけるは、天竺にては王子成と雖、父の命にそむき彼の国を出て、唐土と高麗を越て此国は神明の御光盛りと聞及ひ、夫れゆゑ頼て渡たりとありけれは、神明の仰せには、此国は小国故夫れ夫れに垂迹達を定置て、最早参せん処も無し。 去れともあれに見えたる嶽の南に此ころ池につき出たる処あり。 夫の処に成りとも住み玉はは住せ玉へと有りけれは、扨はとは彼地へ至玉へは、嶽南に大成楠有り、夫木下に立寄り石上にやすらひ玉ひ、水をきこしめしたく尋させ給とも、水無し。 去れとも山のやうを御覧有て、此処にも水有へしとて、御足にて踏せ玉へば、忽ち水湧出ぬ。 夫の水にて御足を濯がせ玉ひて夫よ浦へ下り見めくらせ玉へば、又神明仰ありけるは、此地せまくして住みうかるへし。 海中を如何程も参らすへし。 地をも焼出し心良く住せ玉へ。
[中略]
其後王子は御跡をしたはせ玉て、恒河川の辺りへ至り玉て、我こそ此れへ来りたり。 爰に在さは如何やうにも水神にいとまを乞て、一度姿をあらはし給へと有けれは、水底より答給ひて、我は不孝の罪により姿も替りぬ。 是より下の川原に大きき成石有、其の石の上に正躰あらわれる。 父の薬師にておはしませば、我身も薬師にて侍りぬ。 只今の姿を御覧あらば、長け一丈斗の大蛇に侍れば、必毒気御身に当るへし。 [中略] 扨王子川原を御覧あれば大石の上に一尺斗の薬師の尊像のおはしますを取りて、錦の袋に入て、御えりにかけ、亦天竺を出玉ば、多の大臣公卿伴と申されけれとも、王子やうやうに制し玉ひて、只一人出され玉しが、大臣に向仰せけるは、我何国に行留ると聞給ひならば、此度父の命の許りたる御放紙参せむと仰ありて、高麗国へ渡玉ふ。
夫より日本へ渡玉ふ海中にて、俄にあらき風立ければ、水主楫取戻さんとしけれとも、王子此船をば左右無日本へ向よと仰有とも、水主あげて仰にも隨奉らざる処に、楫取兎角は無しに只走らかせとて帆を引られば、王子立寄らせ玉て、御扇子にて打あふぎあふぎあふがせ玉ば、忽順風になりて、刹那が間に御船日本へ着たりされども、船中にて供御とてもきこしめさざれば、つかれにのぞみ玉て家居を尋た間ふ処に、神さびたる社の前に柴の庵有けるを御覧じて、立寄給り玉ば、年長けて齢かたむきたる媼翁有り。
[中略]
翁立出見奉り、媼に申けるは、此御方は只人にましまさず。 薬師の化身にて在すぞ。急入奉れ。 去ながら只今参へき物とては思もよらずと申上れば、あれに見えたる木の葉に入て玉はれと仰ありければ、御好にまかせ、木の葉にのせて奉りぬ。 夫を取りてきこしめし、此の名は如何と尋させ玉えば、タミと言木のみの由し申上れば、いしい物ゆゑ我住む方に種として、七粒持せ玉けり。 扨夫の夜の暁翁申しけるは、殿は天竺の王子にて在ますが、東の海伊豆国の沖中に地を焼出し住玉ふべし。 殿の名をば三嶋大明神と申奉へし。 正体は薬師如来にて在ますとの御告をこうむりたり。 翁は是地神五代鸕鷀葺不合尊の御時此国へ渡たり。 我は是百済国にては天児屋根の尊と申されしが、齢三百二十に成ぬれば、昔今の有様も荒々覚侍ば、何国におはしますとも翁を忘させ玉ふな。 我に三人の子有り。 二人は男子・一人は女子なり。 一人をば若宮と名付。 正体は普賢菩薩なり。 一人は剣と名付。 不動明王なり。 一人の女子をは見目と名付。 正体は大弁才天なり。 海龍王とも申なり。 海中に在まさ為にも、亦衆生利益の為にも、神妙の者共成ば、王子に参すとて附奉り、あれに見えたる船こそ、幸に富士のすその(裾野)の方へ行船なれば、乗せ玉とて、四人船に乗せ奉て、此所をば後には丹波国と申すへしとて、翁は柴の庵へ帰ぬ。
[中略]
夫より上せ玉へて、三人召連れ、浦々まを伝て神明に逢参せ玉ひて、仰に任天竺へ帰、心よく父の勘当を許されぬれとも、綸言すて難き故此国には叶まじきとの事故、亦亦参たり。 可然には海中を与へ玉へとありければ、易き御事と仰せありて、海中を与へ参すへし。 此国の守護神達此国を守給後は、此国の守護神となり玉へとぞおほせ有ける。
王子大きに喜ひ玉ひて、見目若宮に仰せ在りけるは、嶋焼出ん事は如何はせんと有けれは、見目申されけるは、若宮は火の雷・水の雷を雇ひ玉へ。 剣御子は山神などより高根大頭龍を始め大小の神達を雇ひ玉へ。 我は海龍王を始諸龍神を雇ひ参せんとて、三人各々雇ひ玉へは、海龍王は見目に頼れ、白龍王・青龍王を始多くの龍達を引ぐし玉へり。 又若宮と剣御子に頼れ、火の雷・水の雷・山神の高根大頭龍諸の垂迹達多く集り玉ひて、我らを頼玉は垂迹と成り玉ふべし。 凡夫の躰にては如何むつぶべきとありけれは、去はとて則ち垂迹と現しじ、大明神と祝れ玉ひぬ。
孝安天皇廿一己酉年に嶋を焼出し始玉ふ。 彼の神達詮議ありて申されけるは、龍神達を頼て海中に大き成石を三つ置玉は、火の雷焼せ玉へ、夫儘島と成へしとて、夫の如にこしらへ、水火の雷一日一夜焼き玉へば、一島出現しぬれば、大明神御覧ありて大きに喜び玉へり。 白浜と云所に住玉ふ龍神海底より亦石を上給ば、神達此石を取りて一所に積置玉へば、火の神是を焼玉ひ、又一島出現せり。 扨神達彼の島に集まり、又先の如く海中に石を置て、七日七夜に十の嶋を焼出し玉ひて、夫々に帰せけるが、いざ我々島々をつきける消息を神明の御覧に照覧に入奉りて帰んとありて、神明へ仰有ければ、わづかに形を計て焼出しぬ。 猶せまくして住みうく思召さば、又焼出して住せ給へと有ければ、大明神大に喜ひ給ひて、重て焼出さん折節は亦々請し奉らんと、互に御契ひ有りて神達帰り玉へり。
其後明神彼の島に名を付玉ふ。 第一の島をば初の島と名付ひて、此島にタミの木種をは植え玉ひぬ。 第二番の島をは.島島の中程に焼出し、夫れに神達集り玉ひて、島々を焼出し玉ふべき詮議有し島なれば、神集島とそ付玉ふへり。 第三番の島をは大成る故大島と名付、第四番の島は、塩の泡を集てわかせ玉へは、島の色白き故に新島と名付、第五番の島は、家三つ双びたるに似りとて三宅島と名付、第六番の島は明神の御蔵と仰有て即ち御蔵島と名付、第七番の島は遥の沖に有りとて沖ノ島と名付、第八番の島は小島と名付、第九番の島ををうのはな(王の鼻)に似たりとて、ヲウゴ嶋と名付、第十番の島をば十島と名付玉ひて、大明神島々へ通て遊び玉ふ中にも、常には大島・三宅島・新島の三処におはしましける。 去れとも三宅島に宮作り有て大明神と申奉ぬ。
見目・若宮に仰有りけるは、島々に后一人づつ置せ玉はんと有ければ、見目申されけるは天竺の母御前は如何と申されければ、夫れは父の王の御内人なれば叶ふ間じき事と仰せ有ければ、扨はとて見目・若宮立出給ひて、如何なる人にてや在しけん、后を五人具して参らせ給ば、大明神大に歓喜ありて、一人をばハフ(羽分)の大后と名付て大島に置き給ふ。 その御腹に二人おはしき。 一人は太郎王子オホヒ所と名付奉り、一人は次郎王子スクナイ所とぞ申ける。 亦一人の后をば新島に置参らせ、ミチノクチ(御途口)の大后とぞ申ける。 其御腹に王子二人在ます。 一人をば大宮王子、一人をば弟三王子とぞ申ける。 此二人の王子に剣の御上をばそへ参らせ給ひぬ。 亦神集の島にも后一人在す、是をば長浜の御前[阿波命]と申ける。 此の御腹にも王子二人在しぬ。 一人をばタダナイ、一人をばタウナイ(タフタイ)とぞ申ける。 此王子には天竺より渡らせ玉ふ左大臣を付け参らせ玉ふ。 名をばヌク嶋の大別当と申ける。 乳房の御方をばフト御前とぞ申ける。 亦三宅島に置せ玉ふ后をば天地今宮とぞ申ける。 此御腹にも王子二人在しき。 一人はアンネヰゴ、一人はマンネイゴとぞ申ける。 亦沖ノ島に置玉ふ后の御名をば八十八ヱとぞ申ける。 其御腹に王子五人在ます。 此の后かくれさせ玉ひぬれば、嫡子も次郎も二人手に手を取合思死に終らせ玉ひ、石となりて兄弟の尊とて立玉へり。 二人は未た幼少にて蔵させ給ぬ。 五郎の王子計澳島にて在ます。
[中略]
爰に一つの不思議有り。 箱根の湖の辺に翁と姥有、夫婦同年にて三百七十歳に成りけるが、女子三人持たり。 [中略] 去程に三女は富士の絶頂の岩の中に隠てをはしませしが、折節大明神も富士の絶頂に登せ玉ひて、彼の三女を御覧じ如何成る人ぞと尋させ玉へは、三女申させ給は、我は是箱根の湖にカキノオウヂと申者の三女也。 オウヂ唐土に有ける時は八大執金剛童子と申けるが、地神五代天津彦根の尊の御時、余に垂迹の珍しさに此の国へ渡けるが、地神の御遺言に任せ、天地尊とかたらひ教られけると承りぬ。 亦母は斯羅奈国の王の三女なり。 父の歳は三百七十歳、母も亦同歳にておはしき。 此頃父箱根の湖へ出釣を垂れ玉へとも、魚一つも釣得ず。 余りの事に何と心無、此湖の底に主有ば魚を得させ玉へ。 其悦には三人の娘の中にて何れ共とも心に任与へんとありければ、水神是を聞さらばとて魚を与へ、其後約束とて迎に来ぬる故爰へ飛来ると雖、定て此へも来べし。 如何はせんとうちしをれ給へば、大明神仰有けるは、吾を頼み玉ふべし。 隠し参せんと有しかば、如何様にも御計らひに任せ奉らんと有し時、大蛇其儘来りて富士の腰へのたりかかれば、其時三人を打つれ大島へ飛玉へば、大蛇も亦大島へ御後を追ひ来り、亦三人打連三宅島へ飛せ給て、三女をば御嶽に隠参せて、見目若宮に向ひ如何せんと仰有ければ、易き御事とて、大成る穴を二つ堀、一の穴には飯を積てアンネヰゴに預け玉へ、是れ飯の王子也。 亦一の穴には酒を漂へマンネイゴに預けさせ玉へ、是れ酒の王子也。 是の如く御計り、大蛇来なば見目御出合、飯酒を進め、大蛇酔たる処を剣の宮に切せ参せんと支度有。 去程に島々の王子達も后達も入せ玉ひぬ。 新島の大三王子も剣の宮を具して入せ給ぬ。 残の后は、王子の親の敵打給ふを見んとて、イガイ(伊ヶ谷)の浦の石の陰にかくれて御覧じける。 爾る処へ大蛇来り腹を立て、御嶽へ上らんとしけるを、見目出て向、様々になだめて先々飯酒を参せんと有れば、大蛇も彼の穴へ向けり。 兼て支度の事なれば、飯の王子は飯をしひ、酒の王子は酒を進め給ば、大蛇忽に酔て鱗を立て眠りける。 其時一番に剣の御子切り給ば、二番に大三の王子切玉ひ、三番に弟三の王子切玉ふ。 大蛇切られ尾を震けるに、水戸口の后石の陰より見給けるが、大蛇の尾左の御目に当り打ち潰させ玉ひぬ。 大蛇をやすやすと伐ちすまし、后も王子も島々へ帰らせ玉ぬ。
[中略]
亦大明神見目に仰けるは、此の后の姉御達は何国に渡らせ玉ふぞ。 尋ね参せられよと仰有ければ、見目仰に任立出て尋玉へば、白根が嶽に在しき。 大明神の仰なれば入せ玉へと有ければ、叶間敷との御事を、見目様々宥だめ、二人とも誘ひ参れければ、大明神大に喜多間ひて御妻愛有けり。 かくて嫡女をば島の西の方に置玉ふ。 此の御腹に王子四人在しき。 此后ミトノ口(水戸口)の后を嫉み玉て、幼少の王子を抱き参せて、イガイ(伊ヶ谷)の海へ飛入給ひて石となり海中におわしけり。 今二人の王子、一人は彼の島の丑寅の方にて海へ入せ給、一人は辰巳の方の沖にて思ひ死に失せ給。 残一人の王子は大明神に付参せてぞ在き。 亦次の后は彼の島の未の方に置き参せ玉ふ。 此御腹に王子二人在き。 一人ウラミ子とて大明神の御身を離ず在き。 又一人は二ノ宮とて母御前の元とにて在しけり。 扨三女をば彼の島の丑寅の方に置玉へり。 此の御腹に王子八人一度に産給へり。 一番はナゴ・二番はカネ・三番はヤス・四番はテヰ・五番はシダヰ・六番はクラヰ・七番はカタスゲ・八番はヘンズ(ヒンスケ)とぞ申ける。 彼の王子達産み給ふ処は島の丑寅の方カマヅケ(神着)と申所也。 亦七柱と云ふ処にて育て玉へり。 所々に宮作り有て、王子王子を宮々に置き玉へり。
[中略]
扨て年月を送りて在ける。 又壬生の御舘に仰ありけるは、爰に早や凡夫少々出来たり、丸が姿を見せん事彼が為に恐れ有ければ、凡夫の姿を石に写して垂迹と成べしとて、推古天皇五丁巳年正月三日、大明神壬生の御舘を召れて仰ありけるは、我已に劫つきて此八日に蔵るるとて、午の時計りに御嶽へ上り玉ひ、壬生に仰けるは、汝は神集島大別当の娘雨増の姫にとつぎ子をまうけて、我后々王子を守護せしめよ。 是を手印に与ふとて、天竺にて王子の体を石の笏にゑり入て、御身はなさす持玉ひけるを壬生御舘へ与へ、仰有けるは、我は是地神の仰により、今より五百歳を過ぎて日本之守護神と成べし。 朔日十五日は我が縁日也。 亦八日は本地日也。 此日に我社へ参者には、諸願満足せしめ日の難月の難を除き、病難に於は薬師の化現を以て是を治し、又他国より此処を奪んと襲来ば、我鎧腹巻弓箭と成て此難を払べし。 海中に荒き風吹て波の難有とも、吾神力を以て静べし。 亦命終ん時、薬師如来の誓を以て浄土へ引導致べしと御誓願有て、亦若宮・見目・壬生の御舘に仰有けるは、此の島を四つに分て、末の代に后王子王子の宮処を定んと思は如何と仰有りければ、如何様にも御計ひと申されければ、四に分け給ひて、一つをは神着と号し、二をば伊豆と号し、三は阿古と号し、四は坪田と号し、嫡女をば伊豆に入海有、爰に祝ひ参せ、亦次の女をは坪田に水海の並に峯有、それに祝ひ参せ、三女をは、神着に浦有しシトリ(椎取)と名付也。 是に祝ひ参せすべし。 亦阿古には末の代にハ丸が宮作あれかし。 重て壬生の御舘に仰有けるハ、丸が姿を石に写し置きては、能く能く精進有ん時声ばかりにて諌むべしと仰られけり。 推古天皇二甲寅年正月八日午の時、凡夫の姿を石に写して垂迹となり在す。 同王子二人の御姿を石に写し垂迹と成玉へり。 八王子の母御前も十一面の御姿に化現給へり。 見目も大弁才天と顕れ、若宮も御姿を石に写止めて隠れむとし給ひけるを、壬生の御舘申されけるは、抑も此の明神后々王子王子の御事どもを末世の衆生の為には如何とか申伝べきと申されけば、若宮の仰有けるは、夫れに着き参らせ給候ハぬ先きの御事をば、或は明神の御物語を記し、或は見参らせ給ひたる事を記し置きて末世の衆生に伝へ給とて若宮も普賢の御姿に顕へ玉ひける。
[中略]
扨て代々過る程に、文武元丁酉より大宝元辛丑年迄に、島々后々王子王子、大明神の御誓願の如く衆生の願ひを満足せんと、各御願を立て玉ふ御姿を石に写し顕玉ひぬ。 王子の体は皆薬師に顕玉ひぬ。 大島の后の御姿は千手観音と顕玉ひぬ。 水戸ノ口の大后の御姿は馬頭観音と顕玉ひぬ。 神集島の后[阿波命]は如意輪と顕玉ひぬ。 天地今宮の后は聖観音と顕玉ひぬ。 イナバヘ(八十八ヱ)の后も聖観音と顕玉ひぬ。 イガイ(伊ヶ谷)の后・ツボタ(坪田)の后は女躰に顕玉ひぬ。 是聊か衆生諸願満足せしめんが為也。
[中略]
我此の島を広く成んが為に常に焼べし。 末世の衆生おそるる事なかれと云伝べし。 此島焼時は丸も亦神々も其苦しみ有。 一日に三度御供参すべし。 此の事末世の衆生に伝べき也。 我れは常に(異本では「三年が程は」)白浜に在るべしとて白浜へ飛ばせ玉ふ。
神名式内社名比定社本地仏
三嶋大明神伊豆三嶋神社三嶋大社薬師如来
若宮 若宮神社普賢菩薩
剣の御子 差出神社不動明王
見目 火戸寄神社弁才天
羽分の大后波布比咩命神社波布比売命神社千手観音
王子太郎王子(オホヒ所)阿治古神社大宮神社薬師如来
次郎王子(スクナイ所)波知神社波知加麻神社
御途口の大后久爾都比咩命神社泊神社馬頭観音
王子大宮王子(大三王子)多祁美加々命神社大三王子神社薬師如来
弟三王子 
長浜の御前(神集島の后)阿波神社阿波命神社如意輪観音
王子タダナイ物忌奈命神社物忌奈命神社薬師如来
タウナイ(タフタイ) 日向神社
天地今宮の后伊古奈比咩命神社伊古奈比咩命神社聖観音
王子アンネヰゴ(飯王子)阿米都和気命神社富賀神社薬師如来
マンネイゴ(酒王子)穂都佐和気命神社 
八十八ヱの后優婆夷神社優婆夷宝明神社聖観音
王子四子(名称無し)  薬師如来
五郎王子許志伎命神社優婆夷宝明神社に合祀
伊ヶ谷の后伊賀牟比売命神社后神社女躰
王子四子(名称無し)  薬師如来
坪田の后(二宮御前)伊波乃比咩命神社二宮神社女躰
王子ウラミ子  薬師如来
二ノ宮 二宮神社に合祀
八王子の母御前佐伎多麻比咩命神社御笏神社十一面観音
王子ナゴ南子神社南子神社薬師如来
カネ加弥命神社二宮神社
(御笏神社に合祀)
ヤス夜須命神社御嶽神社
(二宮神社に合祀)
テヰ氐良命神社神沢神社
シダヰ志理太宜命椎取神社
クラヰ久良恵命神社倉浜神社
(二宮神社に合祀)
カタスゲ片菅命神社勝祖神社
(御笏神社に合祀)
ヘンズ(ヒンスケ)波夜志命神社峯指神社
(御笏神社に合祀)
式内社の比定は萩原正夫「事代主神事蹟考」による。

「伊古奈比咩命神社」[LINK]

本地垂跡の完成

 三宅記は前記の如く一名「三宅島薬師縁起」とも称せられ、その内容は天竺某王の王子たる一大薬師(三嶋大明神)の霊徳を讃仰したもので、これを中心とする一族や随臣等、何れも各々その本地を有し、垂跡の意義が語られてゐる。 即ち主要なものを列挙すれば、先づ三嶋大明神は本地を薬師とし、その御影を石に写して垂跡となり給ふと見え、次で三宅島を始め諸島に坐す大明神の妃等も亦次の如くに現れ給ふとある。
  三宅島
 天地今宮の后(伊古奈比咩命)--聖観音
 ゑがいの后(伊賀牟比売命)--女躰
 二の宮御前又坪田の后(伊波乃比咩命)--女躰
 八王子の母御前(佐伎多麻比咩命)--十一面観音
  神集島
 七浜御前(阿波命)--如意輪観音
  新島
 みとのくちの大后(波布比売命)--千手観音
  沖島(八丈島)
 いなばいの后(優婆夷命)--聖観音
以上の外諸王子は何れも薬師と現ぜられ、又随臣中最も功績を樹てられた三神も
 若宮--普賢菩薩
 剣宮--不動明王
 見目--弁財天
となつている。 如上の垂迹説に関する成立の事由に就いての詳細を知ることは出来ないが、恐らく東海に碁布する伊豆諸島を、薬師如来の浄瑠璃世界と観じ、その造地開拓たる神威を示し給ふた三嶋神を以て薬師如来の垂迹としたものであらう。 我が国に於ける薬師信仰は仏教渡来の初期から行はれ、平安時代を通じて広く流布したものであるから、神仏混淆が熟し、本地仏の設定が見られる頃、国内の霊神にして薬師如来の垂迹と説かるるに至つたものは一二に止まらない。 殊に三嶋神御稜威の最とする島焼が、薬師如来の霊力と考へたことは、相当に古いころからの思想であつたらしく、平安時代の初期承和五年上津島噴火の記事中に、「十二童子相接取炬、下海附火」とある一齣がそれで、恐らく熔岩が海中に流入する形容を、薬師十二神将に象つた十二童子と観じたらしく考へられる点からも推定し得られるものである。 強いて憶測を回すならば、薬師十二本願中の一項目たる、その光明熾然として無量の世界を照曜するとあるものに該当するとも言い得られよう。 次に観音に対する信仰も、我国の古代より通じて行はれた現象に属し、慈悲を具象する形像が女性的なる為めに、女神の垂迹とせられたことは多数の例によつて窺ひ得られるが、殊に此の場合においては、薬師如来の眷属中、八大菩薩の一に聖観音が加へられてゐる所からしても、伊古奈比咩命の本地を以てそれとするに応しいと感じたのであろう。
 次に本書成立の年代を考へると、先づ内容から検討して第一に注目されるのは、既に述べた宴曲三嶋詣であらう。 本書は三嶋市所在の同明神及び附属諸神の功徳を仏説を交へて説いたもので、三宅記の如き各種の物語類は存しないが、三嶋明神を薬師とし、他の諸神にもそれぞれ本地を定めて功徳を述べてゐる。 又その内容は後出の伊予三島縁起や予章記等と類似してゐるので、本書が一の根據となつた--或は他に本書の根據となるべきものがあつたかもしれないが--ことは想定に難くない。 又併せて考慮せられるものは神道集である。 同書中に「三島之大明神之事」と題して記載せられてゐる伊予三嶋の縁起は、三宅記の一駒に存する同神の伊豆来訪中、太郎王子に物語る縁起と全く同じであるから、恐らくは同書の内容を知つてゐたか、或は同じ伝へを聞いてゐたことが知り得られる。 その他本書中随所に見られる各種の物語は、当時行はれてゐた垂迹譚と共通的なものがあり、または伊豆国に特有な民俗伝承等が認められるので、それ等が種々織り込まれて本書の成立を見たものであらうが、大体の成立年代は恐らくかかる垂迹譚が完成流行した室町時代の一時期であるたらうと推定せらるるのである。