2020.4.25
理性と感性の往来

 夏目漱石が草枕で記したように、”智に働けば角が立つ 情に棹させば流される”

以前のESSAYで書いたが、
智=理性
情=感性
と言い換えることができると思う。
この二つは ”双対関係=二つでセット” にあると言えるのだが、力学の世界では力と速度の関係に相当する。
ニュートンとフックの時代の力学=理論の世界ではこの二つで物理現象を語っているのだが、日常の現実世界ではもう一つの性質が必要になる。それが粘性である。
工学は日常に起こる現象を相手にするのだが、この粘性という性質は力→速度、速度→力のようにお互いに変換できるものである。
粘性とは ”ねばっこい” という意味合いがあるが、例えばお餅やゼリー、液体に備わっている性質と言えば判りやすい。
工学の世界ではこの粘性を、”粘性係数”、”粘性抵抗係数” と呼んでいる。単位は(N/m/s)となる。
力(N)を速度(m/s)で除している訳である。
すなわち、力と速度の比率という意味合いと言える。
お餅を例に説明すると、温めたお餅を速く引っ張ると硬いと感じるが、ゆっくり引っ張ると硬さを殆ど感じない。
速さに応じて硬さ=必要な力が違うという性質である。
あるいは、鍋に入っているシチューを掻きまわすときに、速く掻きまわすと大きな力が必要になり、ゆっくり掻きまわすと力は弱くてすむということである。
粘性という性質はこのように日常の現実世界において説明することが出来るのだが、ではどこからこの粘性は現れるのか?
そのメカニズムを考えている方は居るが未だ解明されていないようである。
解明しなくとも力と速度の比率として捉えることでとりあえず困っていないと言えるかもしれない。
日常の現実世界では力、速度、粘性の三対=三つ巴になっていると言えるかもしれない。

 このように考えるなら、夏目漱石が言った、智と情に加えてもうひとつの性質があるように思える。
ならば工学に倣って、智と情、理性と感性の比率というものを考えてみたい。
理性と感性は白黒に切り分けられるものではなく、お互いに変換=往来できるということを漱石は感じていたのではないだろうか?

 白と黒、ONとOFF、有るか無いか、のように二者択一は従来のコンピューターの基本原理だが、最近話題の量子コンピューターでは白でもない黒でもない、ONでもな いOFFでもない、そうしたどっち付かずが重ね合わさった状態と捉えることで能力が飛躍的に向上するらしい。
このように考えるなら、量子コンピューターを漱石型コンピューターと呼んでみようか。
これはAI=人口知能とは少し違うようである。

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参考文献:
機械の力学 長松昭男 著

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