2022.8.23
重力波と文学

 アインシュタインは1905年に特殊相対性理論、続いて1916年に一般相対性理論を発表している。
当時から相対性理論は諸学者の理解の範囲を超えており、何の専門知識を持たない一般人に説明することも難儀だったようである。
この時代の日本を見ると、1906年に夏目漱石は草枕を発表し、冒頭の
 ”智に働けば角が立つ 情に棹させば流される”
に頷いた人は多かったと思われる。
以前の
ESSAYで取り上げたが、特殊相対性理論と一般相対性理論は重さ(質量)と柔らかさ(柔性)についてのアインシュタイン流の物の見方であり、お互いに対になっている点が草枕の一節と似ている。
アインシュタイン自身がそう感じていたかどうかは確かめようがないのだが、特殊相対性理論だけでは片手落ちで、その続編として11年の歳月を費やして一般相対性理論を発表したのかもしれない。
これも以前のESSAYで取り上げたが、草枕の冒頭の一節は理性と感性の対についての言及だが、漱石はどのくらいの時間をかけて生み出したのだろうか?

 さて、ウィキペディアによるとアインシュタインは一般相対性理論を基に発表から2年後の1918年に重力波なるものを予言している。
ブラックホールのような巨大な質量を持つ天体同士が合体した時に発生するとの事。
そして一般相対性理論発表から丁度100年後の2016年、米カリフォルニア工科大と同マサチューセッツ工科大などの研究チームが観測したものが重力波であり、それが13億光年先から伝わったものである事も判った。
科学は文学のようにすんなりと人を頷かせる事は苦手であろうか?

 筆者流の感性だが、重力波とはオーラのようなものではないだろうか?
例えば、劇画や映画にオーラを発するような主役が二人、登場するとしよう。
両者はどちらもいわゆる大物であり、その二人がビルの一室で対峙するシーン。
偶然、そこに会議室を間違えてドアを開けてしまった準主役の若いサラリーマンが、”ん、なんだこの空気は?”
重力波とは ”気配” と言えば良いだろうか?
そういう ”気配” を見ている人に感じてもらえるように作者や監督、役者は工夫するのではないだろうか?
映画ならカメラで撮影した画像にはそうした ”気配” は見えないかもしれないが、昨今のデジタル技術を駆使して分析すれば、陽炎が立ち上るような揺らぎが主役の背後に見えるかもしれない。
劇画ならそうした揺らぎを線画で描きこんだり、スクリーントーンを貼って表現するかもしれない。
気配は科学のテーマになるのだろうか? では、文学はどうか?

 思い出したのは小説家、中里介山の大菩薩峠である。
ウィキペディアによると大菩薩峠は1913年から1941年の約30年に渡り、都、毎日、読売各新聞に連載されたものの作者の死によって未完の大作となったとの事。
幕末の剣士・机竜之介が甲州裏街道(現在の青梅街道)の峠で老巡礼を理由もなく斬殺するのだが、読んでいて殺伐とした空気を感じた次第である。
こうしてみると、我々凡人は感性という仕組みはしっかりしているようである。
しかしながら、重力波を理性=理詰めで説明しようとすると100年以上の歳月を費やしてしまうのかもしれない。
理詰めは検証されなければならない宿命なのだろうか?
アインシュタインは言うかもしれない。”1年も100年も同じかもしれない。なぜなら物体も周囲の空間も時間と供に伸縮するのだから”

 筆者もここでもう一度、理性と感性に挑戦してみようと思う。
・重力波とは物体の伸縮が周囲の空間に引き移され、空間中を伝播する現象である。
 電磁気学に於ける電磁波に相当する。
・重力波とは飛び立ったセミの抜け殻=痕跡のようなものかもしれない。

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