2021.3.16
昼のいこいとブルーグラスの関係

 古関裕而作曲のテーマ曲で知られているNHKラジオ第一放送の超長寿番組。
ウィキペディアによると、今から69年前の1952年11月17日に放送を開始したそうだが、”農家のいこい” なる前身番組があるそうで、1949年7月放送開始とのこと。
それが終戦後にGHQの指導により開始したRFD(Radio Farm Director)とのこと。
思わず "Farm and Fun Time" という名前を思い出した。
これはBob Artis著、東理夫訳による"ブルーグラス"を読んで記憶していたのである。
それによると、"Farm and Fun Time" とはテネシー州とバージニア州にまたがるBristolという街にある放送局、WCYBが1946年頃に始めた番組であった。
農家向けのラジオ番組で、野良仕事に出る前の早朝と昼休みの時間帯に放送され、気象情報、作付けや種まきのタイミング、収穫のお知らせに加えて生の音楽をお届けするものだそうである。 そして当時のブルーグラスバンドがほとんど出演していたとのこと。
これはまさしく現在でも続いている昼のいこいと同じではないか!
”農家のいこい” とは当時のNHKが "Farm and Fun Time" をそう訳したのであろう。
GHQは当時なんでも米国流を押し付けたと言われるようだが、自分の顔が思わず緩んでしまった。
文化が育まれてきた過程や背景というものを顧みず、自国の文化を押し付けたのかもしれないが憤慨には至らないのである。

 ブルーグラスは終戦からおよそ25年、自分が高校生の時に気に入ったジャンルであり、初めて口にしたフラ印のポテトチップスのように♪やめられない、止まらない...かったのである。
ブルーグラスは1950年代に入った頃、米国でそのように呼ばれ始めたのだが、当時人気だったビル・モンロー&ザ・ブルーグラス・ボーイズから来ているのである。
ただ、聴き手が1840年代の飢饉によってアパラチアン山脈周辺に移住してきたアイリッシュなので広いアメリカ大陸の中ではローカル色が濃く、日本に進駐してきた米軍兵もなじみが薄かったようである。
米軍基地に入り込んで米兵相手にジャズやスイングなどを演奏していた和製バンドのメンバー達はなおさらであろう。
恐らくGHQのディレクターはBristol出身だったのかもしれない。
 こんなやりとりを想像してしまう。

ボス:なあ、君、日本はゼロ戦や大和を作るような工業国と思って来てみたら自然が豊かで地方は田舎なんだねえ。
ディレクター:そうですね、自分も故郷が恋しくなってホームシックです。
ボス:君の故郷は?
ディレクター:テネシーのBristolという街です。アパラチアンのヒルビリー(いなかっぺ)ですよ。
ボス:どうする、ラジオ番組も米国流で行くかい?
ディレクター:そうですね、日本の気候はBristolと良く似ているんですよ。四季があって美しい。秋は
コオロギだって聞こえるんですよ。
ボス:俺の故郷はアリゾナだから砂漠だよ。暑いばかりでね。
ディレクター:故郷では"Farm and Fun Time"っていうラジオ番組があるんだけど、これ日本に持ってきちゃおうかな?
ボス:君に任せるよ。日本でもヒルビ...失礼、のような音楽流すのかい?
ディレクター:親や祖父母、先祖代々から伝わってきたアイリッシュの慰みですよ。でも今時のカントリー&ウェスタンに押されっぱなしで...
ボス:ああ、FENで流しているね。口当たりがいいしスイングしてるしね。
ディレクター:でも、Tokyoの西に陽が沈むと山並みが見えるでしょ。故郷のあの侘しい感じが恋しくてね。

 ところで、昼のいこいで流れる音楽はどんなものだったか?
終戦時の並木路子のリンゴの唄や1952年の美空ひばりのリンゴ追分はきっと流れていたであろう。
1960年頃は三橋美智也も常連だった思われるが、民謡歌謡という点でブルーグラスと似ている。
その後、流行りの歌謡曲やニュー・ミュージックと呼ばれたジャンルも流れていた。
ブルーグラスは流れたことがあるのか?と思い出してみると、1970年にありました! 山本コウタローが在籍したソルティー・シュガーの”走れコウタロー”である。
彼らは学生ブルーグラースバンド出身であり、日本で初めて一般に認知されたブルーグラス・スタイルのヒット曲であったわけである。
NHKアーカイブスで検索してみたのだが、残念ながら、昼のいこいで流れたという記録は出てこなかった。
しかしながら、当時あれだけ大ヒットしたのだから流れていてもおかしくないと思われるのだが、如何だろうか?

 GHQのディレクターが画策しなくとも、ローカルな音楽はコロナ・ウィルスのようにいつか地球上に拡散してゆくらしい。

Japanese Bluegrass ! in 1970

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