2007.8.7
ゆらぎへの挑戦〜私は風になる

 最近、自転車にはまっている。 数年前、脂肪燃焼のために毎週日曜日に子供の水泳教室の付き添いを兼ねてプールで泳ぐことにしていた。 毎回1000mと決めて25mプールを20往復するのだが、見えるのはプールの底のラインが規則的に現れては消えることの繰り返しで、精神的に退屈なことこの上ない。 頭の中で好きなCDを最初から最後まで再生でもしないと続かない。
ところが、1年ほど前に相方が実家から愛用の自転車を持ってきたのがきっかけで、その自転車を借りて多摩川のサイクリングロードを走ってみたら、これが気持ちいい。 次々に変わって行く景色、風の匂い、草木のなびき、水のきらめき。 様々なゆらぎの中で漕ぐ自転車の楽しさ。 子供の頃はあんなに自転車と仲良しだったのにそんな実感をしたことは無かった。 脂肪燃焼だけでなく精神の充電もできて一石二鳥。
相方のマシンは94年型のマウンテンバイクをスリックタイヤに履き替えたランドナー仕様で、ことのほか軽い。 ランドナーなんていう言葉は高校生のころ自転車のカタログで見かけた程度で、マウンテンバイクなんて言葉も無かった。 最近になってインターネットで自転車用語を仕入れたばかりのにわかサイクリストである。
家のそばの丸子橋から登戸まで多摩川の右岸(川崎側)を往復して20Km強。 登戸での折り返し休憩を入れて1時間半。 最初はペースがつかめず、飛ばしてみたり、へなへなになったりだったが、最近いろいろなことが判ってきた。
機械では最も効率の良い運転条件というのがあるが、自転車を漕ぐときも同じことが実感できたのである。 相方のマシンにはサイクルコンピューターなるものが付いていて、走行距離やスピード表示の他にストップウオッチ機能もある。 自分の場合、時速23Km/hというのがこれで、漕ぐ速さは左右合わせて毎分150ストローク(フロントギヤで75rpm)。 このスピードで漕ぐと連続していつまでも漕いでいられる。 これが足への力の負担と漕ぐ速さが心肺能力との関係でバランスしているようである。
最初の頃、自分を追い越してゆくロードレーサーが恐らく30Km/hは超えているだろうが、自分より低速のギヤで速いストロークで漕いでいるのに気がついた。 アスリートは違うんだなと思っていたのだが、試しに1段低いギヤにして漕いでみると自分にはストロークが速すぎる。 それでもロードレーサー諸氏よりはるかに遅い。 なんであんなに速いストロークで漕げるのだろうか?  いろいろ試行錯誤していると、だんだん自分のストロークが速くなってきた。 不思議なもので、へたらない、むしろやめられなくなるスピードとストロークが身に付いてきた。 身体にかかる負荷を感覚的にゼロにしてしまう脳内麻薬と言われる物質が分泌されるのではないだろうか?機械のエンジンと人間エンジンの最大の違いはここにあるのだろう。 あらためて人間の不思議な"脳力"を実感した次第である。
さて、23Km/h、毎分150ストローク一定で漕ぎ続けたいのだが、これを邪魔するのが風である。 強くなったり、弱くなったり、自然界の風のゆらぎに対抗して一定でゆらぎのないスピードで走りたいのが自分の性分。 まだ自分の適正なスピードとストロークが判らなかった頃はギヤを最高段の7段目に入れて向かい風が強くなるとスピードをキープすべく、足に力を込めて頑張っていた。 しかしこれは筋肉にはきついというのが帰ってから足の疲労感がとれないことで判った。 最近、漕ぐストロークが速くなってもいいから風の強さに応じて積極的にギヤ段を落とした方が調子が良いことが判ってきた。 そしてもうひとつ実感したのは、風を受ける身体の面積の影響である。 ちょっと身体をかがめることで楽になる。 自動車は自ら形を変えることはできないが、自転車はこれが自在にできるのである。 人間の限られたエネルギを無駄無く使うという自転車の奥の深さにはまってしまった。
風が強くなればそれにまかせてゆっくり進むのもひとつのゆらぎ方だろう。 風のゆらぎに対抗して一定のスピードでゆらぐまいとしていても、ギヤ段を調節して漕ぐ速さを変えたり、身体をかがめるのは結局、風のゆらぎに自らもゆらいで適応していることになる。 何かのキャッチコピーではないが、"私は風になる"というのはこういうことだったのか。 と実感した次第である。

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