2008.2.2
ソバージュゆらぎ

 一年ほど前のこと、街を歩いていて、前を行くご婦人のソバージュに目が惹かれた。髪の一本一本のsin波形を目で追っていくうちにそのゆらぎ方になにやら胸騒ぎを覚えてしまった。 春の風が強い日で、その適度に不規則なsin波形が今度は風の適度なゆらぎに乗って舞っている。風のゆらぎに舞う髪のなんと演技派なことか。怪しく誘っているかと思えば、ふいにそっぽを向いてしまう。
ところで、髪の毛の長さとその誘惑の度合いは比例関係にあるように思える。長いほど風のゆらぎや、その人の仕草、身体の動きが髪の毛に反映しやすいからであろう。以前、相方がレド・ツェッぺリンのDVDを見せてくれたことがあって、ロバート・プラントのソバージュを思い出したのだが、振り乱す男性の長い髪も女性を誘惑するのだろうか? パフォーマーにとって、髪は重要な小道具なのかもしれない。
一方、小道具とは反対に、そこになんの意図も無いのに、風になびく獅子のたてがみは美しく凛々しさを感じる。
 さて、最近は水族館が癒しのスペースとしても流行っているらしい。波のゆらぎに舞うクラゲの触手や海藻を見ていると、人間もストレスから解放される。 イソギンチャクは潮のゆらぎに触手を舞わせる。魚は目が効くのかどうかよくわからないが、その触手のゆらぎに誘惑されて近寄ってしまうのではないだろうか?イソギンチャクの触手の中には微細な毒針が仕込まれていて、近づいた魚を槍で突くかのごとく刺すのだそうだ。刺された魚は麻痺してゆっくりとイソギンチャクに飲み込まれて行くそうである。
そんなふうにご婦人には刺されたくないが、ゆらぎは生命の維持に不可欠なものに思えてくる。
しかしながら、相方が髪の形を変えたというようなゆらぎにはどうも鈍感な私である。

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