来生史雄 電脳書斎

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天正妖戦記

  十蔵の剣

 

   第一回 不死兵団

 

 天は紅蓮に染まっていた。

 聞こえるのは、悲鳴、絶叫、怒号ばかりで

ある。時折混じるのは、肉を断つ鈍い音と刀

を斬り結ぶ甲高い響きであった。

 炎に照らされた地面には無数の死体が転が

り、首がなくなっているのも少なくない。

 辺りに漂うのは、濃厚な死の匂いだった。

 「うおおおおっっ!」

 「斬れ、斬れ、斬れぇぇい!」

 「ギャアアアッッ!」

 今なお、城内のあちこちからは怒号と絶叫

が聞こえている。落城寸前の状況にありなが

らも、なおもわずかな生に執着する城兵たち

の最後のあがきが続けられていた。

 「よぉく狙え。無駄に矢を放つな!」

 侍大将が太刀を振りかざし、弓弦を引き絞

る弓足軽たちに注意を促す。とは言え、追い

詰められた兵士たちに、ゆっくりと待つだけ

の余裕はない。少しでも遠くにいるうちに、

敵を斃してしまいたかった。乱戦となれば、

それだけ死への確率が高くなる。

 「ううう…、来るな…、来るな…」

 弓を構える足軽の一人がうわ言のようにつ

ぶやいていた。誰もが同じ気持ちであり、そ

れが無意味な願いであっても、口にしないで

はいられないのである。

 ザッザッザッザッザッ………!

 規則正しい足音が近づいてくる。妙にゆっ

くりとした足取りが不気味であった。

 普通、攻め寄せる側にしても、駆け足にな

るものだ。「死にたくない」という思いは、

「早く敵を斃さねば」という思いと表裏一体

になっており、戦いを終わらせるための狂騒

に取り憑かれているはずだ。だが、迫り来る

足音には、それがなかった。

 ただ、ヒタヒタと迫り来る恐怖。吹きつけ

てくる殺気は、何の感情も持たない殺戮への

飢えだけであった…。

 やがて、黒い一団が姿を現す。それは陣笠

を被った足軽装束の一団だったが、妙にゆっ

くりとした足取りである。まさに狙い撃ちし

てくださいと言わんばかりだ。

 「あ、朝倉の兵ではないかっっ?」

 現れた兵を見て、侍大将が驚く。黒い一団

には、落とされた城を守っていたはずの朝倉

方の兵士たちの姿が混じっていたからだ。

 「あ、あいつは彦六じゃないか! とっく

に討ち死にしたはずじゃぞ!」

 知人の姿を見つけた兵士が絶叫する。その

恐怖の叫びはたちまち、周囲に伝染した。

 「は、放てえぇぇぇ!」

 侍大将が絶叫し、太刀を振り下ろす。

 弓弦を離れた矢は、唸りと共に足軽たちへ

と飛んでいく。空を埋めるように飛ぶ矢の先

端は、黒い矢尻が鈍い光を放っている。

 ドシュッッ! ドシュッ! ズサッ!

 無数の矢は陣笠を貫き、顔の真ん中に突き

立ち、首を射抜いていく。迫り来る足軽たち

は、一瞬に針ネズミのようになった。

 …が、その歩みは止まらなかった。以前と

同じように…。そう…。まったく何事もなか

ったかのように、なおも進んでくる。

 「な、何故じゃ…? 何故、倒れぬ…?」

 侍大将が、信じられないといった表情でつ

ぶやいた。そのつぶやきは、瞬く間に恐怖と

なって、兵たちの心を侵していった。

 「ひいいっ! やはり駄目じゃあ!」

 「奴らは死なない…。悪魔の兵じゃ!」

 「に、逃げろ…。逃げるんだ…」

 手にしていた弓を落とし、矢筒を投げ捨て

て、兵たちが逃げだす。一人が走りはじめて

しまうと、もう止められない。誰もが持ち場

を離れて、一目散に駆けだした。

 「ま、待て! 逃げるなぁぁ!」

 必死に侍大将が制止を試みるも、それを聞

く耳を持った者はいない。完全な潰走にと事

態は推移していった。

 「お、おのれ…。織田の悪鬼どもが…」

 太刀を抜き、振り向いた侍大将の目前に矢

が刺さったままの足軽が迫っていた。それは

先刻の「彦六」と呼ばれていた兵だった。

 「ひ…ひいいいっっっ!」

 恐怖に歪んだ侍大将の顔を、槍の穂先が呆

気なく貫いた。鮮血が飛び散る。

 ガクリと崩れ落ちる侍大将の姿を、虚ろな

瞳が見つめていた。…が、それは生の輝きを

持たない亡者の目であった。

 

 越前国・一乗谷(いちじょうだに)城。

 越前を支配する戦国大名「朝倉義景(あさ

くらよしかげ)」の居城であり、北陸最大の

戦略拠点でもある。堅牢な城郭として知られ、

現在の福井県福井市の辺りに位置する。

 かねてより、織田包囲網の一角として機能

していた朝倉氏を、織田信長が本格的に攻撃

しはじめたのは一五七〇年の四月である。

 時の室町幕府将軍「足利義昭(あしかがよ

しあき)」を傀儡にまつりあげて実権を奪い

さり、天下布武の道を歩みはじめた信長は、

越前の朝倉が将軍に通じているではないかと

疑っていた。そこで、一五六九年末に朝倉義

景に上洛を促したが、義景はこれを拒絶。信

長は「朝倉の敵対」を確信すると共に、これ

を討伐する決意を固めたのであった。

 だが、最初の戦いにおいて、信長は屈辱的

な敗北を喫することになる。当初は破竹の勢

いで進撃を続けた織田軍団だったが、同盟国

だったはずの近江の戦国大名「浅井長政(あ

さいながまさ)」が裏切るという緊急事態が

発生したのである。

 この頃、浅井家には信長の実妹である「市

姫(いちひめ)」が嫁いでおり、両家は姻戚

関係にあった。だが、朝倉家と結託した浅井

家は朝倉家救援のために織田軍団の背後から

挟撃する構えを見せたのだった。これによっ

て、織田軍団は有力武将を失いながらの撤退

を強いられることになった。戦国時代ならで

はの、「食うか食われるか」の掟である。

 こうして、当初は織田軍を追い詰めた浅井

と朝倉の連合軍だったのだが、同年の「姉川

合戦」で大敗を喫してしまう。

 織田軍団は浅井家が領する近江を執拗に攻

撃する一方で、越前への侵攻をも着実に進め

ていった。次々に城は攻め落とされ、朝倉に

仕える多くの武将の首がはねられ、加担する

兵士たちの躯が量産されていった。さらには

朝倉の武将たちも次々に離反し、すでに所領

である越前国の大半が制圧され、朝倉家の運

命は風前の灯火となっていたのである。

 一五七三年、八月二〇日。織田軍団は、柴

田勝家(しばたかついえ)、前田利家(まえ

だとしいえ)らに美濃(岐阜)の軍勢を加え

た大軍で、ついに一乗谷城への総攻撃を開始

したのであった。

 一乗谷城を守るのは、大名の朝倉義景を始

めとする数千名であった。だが、すでに大手

門は破られ、各部署を守っていた兵たちもこ

とごとく討ち死に。放たれた炎は城を焼き尽

くしながら、最後の本丸へと迫っていた。

 

 その炎を眺めながら、織田軍団を指揮する

柴田勝家は複雑な思いを抱いていた。

 「大殿(おおとの)の下知とは言え、これ

が戦と呼べるのだろうか…」

 そうつぶやいてしまう。

 「殿。言葉に出しては…!」

 側近の佐久間安政(さくまやすまさ)が、

周囲を気にしながらたしなめる。信長批判と

取られれば、いかに軍団を預かる柴田と言え

ども重罪となる。下手をすれば、切腹だ。

 「くだらん…。いかに大殿の指示とは言え

ども、あのような化け物どもが戦を左右して

いいものではないわ」

 「しかし、あの化け物どもがいてこそ、織

田軍団は戦国最強と言えるのです」

 「所詮はバテレンどもの入れ知恵よ。人の

命を弄ぶ悪魔どものな…」

 そう言って、勝家は唾を吐き捨てた。

 佐久間安政は何も言えずに、燃える城の方

へと目を移す。そこでは「人にあらざる者」

の戦いが繰り広げられているはずであった。

 「申し上げますっっ!」

 そこへ伝令の声が響いた。

 「何じゃっっ?」

 駆け込んできた伝令をギロリと睨む。顔の

大半が剛毛の髭に覆われているだけに、勝家

の睨む形相は鬼にも等しい。

 「はっ。敵の城主、朝倉義景は本丸に火を

放ちました。もはや、近づけません!」

 「あの化け物どもでも近づけぬか?」

 「はっ。屍人兵(しびとへい)は火に弱い

というのもありまして…」

 「まあいい…。放っておいても、焼け死ぬ

だけだ。それも武士の情けよ…」

 勝家がそう言った途端、すぐ傍でククク…

という不気味な笑いが聞こえた。

 「何を笑う…?」

 陣幕の傍らにいた男に、勝家がギロリと目

を向ける。頭からスッポリと黒布を被った不

気味な男である。どちらかと言うと、西洋の

ローブと呼ばれる僧服に似ている。

 「鬼柴田と言われた御方も、存外お優しい

ことだと思いましてな…」

 皮肉をたっぷりと込めた揶揄を、黒装束の

男は勝家に浴びせた。

 「何じゃとっっ!」

 顔を怒りで真っ赤にした勝家が刀の柄に手

をかける。斬り捨てんばかりの勢いだが、黒

装束はそれに動じる様子もなく、

 「私が首を取って参りましょう…」

 こともなげに言う。

 そのアッサリとした口調に、勝家の方が面

食らってしまった。何しろ、本丸はすでに炎

に包まれており、誰も近づけぬ有り様だ。

 「この…、たわけが! あのような炎の中

にどうやって行くつもりじゃ?」

 当然のごとく、勝家が怒号を発する。から

かわれたと思ったようだ。

 だが、当の黒装束の方は冗談を言っている

つもりはないらしい。むしろ、その表情には

「この猪武者が…」という嘲弄の雰囲気すら

漂わせていた。

 「こうやって…でござる!」

 そう言った途端、黒装束の男の背から翼の

ようなものが広がった。それはコウモリの羽

のようにも見えた。…いや、そもそも翼を持

った人間がいるのだろうか…?

 バサバサバサ…!

 不気味な羽音を響かせながら、黒装束の男

は燃える本丸へと飛んでいく。赤々とした炎

に浮かぶ黒いシルエットは、正に地獄の悪魔

を彷彿とさせるものだった。

 「妖忍衆(ようにんしゅう)か…」

 勝家が苦々しげにつぶやく。不気味な黒装

束の男こそ、勝家に付随させられた信長直属

の隠密軍団「妖忍衆」である。

 その詳細は武将たちには知らされていない

が、不気味な能力を秘めた異形の忍者集団で

あると噂されていた。信長が好んで迎え入れ

た西洋のバテレンたちの力を借りて、生み出

された化け物たちとも言われている。

 主だった武将たちは、それぞれに妖忍衆を

授けられている。だが、その真の目的が武将

たちの監視にあるのは暗黙の了解である。だ

からこそ、勝家のような古参武将には疎まれ

ていたのである。それは妖忍衆と同じく、現

在の織田軍団の重要戦力になっている屍人兵

もそうである。

 「やはり、人にあらざる者ですな…」

 佐久間安政が苦いつぶやきを漏らす。

 やがて、燃えさかる本丸の方角から、長く

尾を引くような絶叫が聞こえた。

 それが、この悲惨な城攻めの終わりを告げ

る合図となったのだった…。

 

 一五七三年、八月二十七日。

 朝倉を滅ぼした織田軍団は、浅井家を滅ぼ

すためにに近江に転戦していた。

 織田信長の朝倉家に対する怨念はすさまじ

く、一族の女子供に至るまでがことごとく処

刑されたと伝えられている。

 今、戦乱が過ぎ去った一乗谷城は不気味な

静寂に包まれている。人の声はおろか、微か

な気配すらも感じられない。それは単に「戦

が終わったのだから」という言葉では、説明

しきれないほどの異様さであった…。

 ジャリ…ッッ…、ジャリ…ッ。

 一人の男が開け放たれたままになっている

門をくぐり、城内へと入っていった。踏みし

める足元には、焼け焦げた木材の炭片や瓦礫

が散らばっている。それを踏む足音だけが城

に響く唯一の音であった。

 「やはり…、ここもか…」

 男は静まり返った城を見渡しながら、ため

息まじりにつぶやいた。しかし、それは意外

ではなく、この状況を予想していたかのよう

な響きが感じられた。

 「……」

 大きく息を吐くと、再び歩きだす。

 男は20歳ぐらいの若さである。重い鎧や兜

を身につけることもなく、着物に「胴当て」

と呼ばれる簡単な防具を着けているだけだ。

 胴当ては、身体の前面と左右の側面を守る

だけの防具である。平安の頃より、下級武士

である足軽の装備として普及している。

 腰に付けた大刀を見た感じでは、戦場を脱

走した野武士のようにも見える。…が、そう

とは言い切れない気品があった。

 ひきしまった身体は、それなりの鍛練を積

んでいるように見える。だが、その精悍な顔

つきは、どこか青白く見える…。

 さらに奥へと進んでいくが、そこには人影

も見えない。所々に戦の名残のように血が石

垣や城壁にこびりついていた。折れた刀や火

縄銃の弾痕などもあちこちに見える。

 「何故だ…?」

 ポツリと男がつぶやく。何か、不思議に思

うことでもあるのだろうか…。

 「何故、見当たらぬ…」

 男は城内を見回し、もう一度つぶやく。

 その目は「あるもの」を探していた。それ

は戦が終わった城内に、なくてはならないも

のであった。滅ぼされた城には、必ずあるは

ずのものであった。

 「どうして、死体が一つもないんだ…」

 胸にわだかまっていた疑問を、男は口にせ

ずにはいられなかった。それこそが「なくて

はならないもの」だったのである。

 城内に血の跡は残っているが、それを流し

たはずの死体が、何処にも見えないのだ。

 戦闘が終了したのは数日前のことである。

 わずか数日で、何もかもが無くなってしま

うはずがなかった。だいたい、城の中が完全

に無人になっていることも異常である。

 ようやく落とした要衝とも言うべき城であ

る。そこに守備の兵も置かず、完全に放棄し

てしまうなど考えられない。よしんば、放棄

するとなれば、敵に利用されないように打ち

壊し、廃城としてしまわなければ、落とした

意味がないのである。

 それにだいたい、朝倉一族は抹殺されたに

しても、生き残った兵がいるはずである。負

傷した兵たちだって、残されているはずだ。

 城に一人も残っていないのは、常識でも考

えられないことなのである。

 八月二十七日の時点で、戦線は近江へと完

全に移っている。敵対する大名、浅井長政の

本拠である小谷(おだに)城への総攻撃が開

始され、すでに城を守る重要拠点は羽柴秀吉

(はしばひでよし)に占領されていた。本丸

に立てこもっている浅井長政の手勢は、すで

に一五〇〇名ほどしかおらず、落とされるの

も時間の問題となっていた。その段階におい

ても、織田軍団は完全包囲の上での徹底的な

殲滅戦を仕掛けている…。

 それは紛れもない事実であった。

 百歩譲って、生き残りの兵を全て動員した

と考えてもいい。

  だが、死体はどうなる?

 死体までも連れていく訳がない。

 数日の内に全ての死体を埋葬してしまうと

いうのも、不思議な話である。連続で城攻め

を行っている織田軍団に、そのような余裕が

あろうはずがないのだ。

 では、死体はどこに消えてしまったのか?

 数百は生き残ったはずの城兵は、何処へと

消えてしまったのだろうか…?

 疑問は不安を呼び、不安は焦りを招くもの

である。特に不可解であれば、不可解である

ほど、その度合いは大きくなる。しかし、男

の表情に焦りはない。むしろ、やり切れない

といった表情をしている。彼の中では、一つ

の答えを用意しているかのようだった。

 ジャ…リ…ッッ…。

 微かに土を踏みしめる音が響いた。その音

を耳にした途端、バッと反射的に男は振り向

き、腰の刀を抜いていた。

 「………」

 男は刀を握りしめ、気配を探った。

 十メートルほど先の曲がり角の向こうに、

ユラリと人影が現れる。それは陣笠を被った

足軽のようであった。槍を手にしている。

 何処にも人影はなかったはずだ。何処にも

気配すら感じられなかったはずだった。

 しかし、現実に人影が近づいてくる。陣笠

を目深に被った表情は判然としない。ユラリ

ユラリと歩いてくる姿は、糸が切れたマリオ

ネットのようにも感じられた。

 「屍人兵か…」

 やはり…といった感じだ。男は憐憫の情感

を込めて、そう言葉にする。

 右上段に刀を構える。鈍い光を放つ大刀は

「胴太貫(どうたぬき)」と呼ばれる合戦用

の刀である。切れ味もさることながら、その

打撃力にも定評がある。「叩きつけるように

斬る」の言葉を実現したと名高い。

 迫り来る妖しい足軽の群れの人数は七、八

人といったところだろうか。残り五メートル

を越えた辺りで、槍を構えてくる。

 と同時に、陣笠の下の表情が見えた。しか

し、そこに見えたのは腐乱した死体の顔だっ

たのである。肉が削がれている者がおり、目

の無くなっている者がおり、血に塗れた者が

ほとんどであった。眼球を失った虚ろな眼窩

からは、白いウジがボタリと落ちる。

 白骨に限りなく近い風貌をした足軽の一人

が歯をカタカタと鳴らして、笑った…。

 

 屍人兵…。

 美濃を併呑し、伊勢を平定した頃から、織

田軍団の秘密兵器として、各地で凄惨な地獄

を創り出してきた「地獄の悪鬼」である。

 突如として、織田信長が戦場に投入しはじ

めた「屍人兵」は、その容姿や能力、行動な

どから、明らかに「一度死んだ人間」ではな

いかと噂されている。曰く…。

 「無数の矢に貫かれた足軽が、普段と変わ

らぬ速さで突っ込んできた」

 「首のなくなった武将が、落とされた首を

片手に相手を返り討ちにした」

 「内蔵をひきずった数百人の兵たちが、真

夜中を整然と行進していった」

 「屍人兵に殺された人間は、同じ屍人兵に

なって戦場に戻ってくる」

 目撃例は枚挙に暇がないものの、いまだに

全容はハッキリとしていない。数多くの証言

をつなぎ合わせることにより、憶測か推論と

いう形で屍人兵の噂は広がっている。

 だが、誰もが共通認識していることは「屍

人兵が不死身の兵である」ということだ。恐

らくは「死を迎えたはずの者たちが、再び戦

場に戻ってきたのだ」と考えられている。

 死を克服した、地獄からの帰還者たち。

 死んでいるが故に、恐怖はない。疲れるこ

ともない。矢に貫かれようが、刀で斬られよ

うが、ひるむことなどない。

 例えば、「これ以上のパワーを振るえば、

腕が折れてしまう」と思った人間は無意識の

うちにパワーを抑えてしまうものだ。

 自分自身を守るためにも、人はその能力の

全てを出し切ってしまうことはない。

 だが、その禁忌が失われた人間は、肉体の

限界を超えた動きが可能である。腕が折れよ

うが、身体の毛細血管の全てが破れようが、

可能な能力を使い尽くすことが出来る。想像

も出来ない化け物のような、戦うだけの兵隊

が生まれるのだ…。

 彼らの瞳に宿るのは、狂気の炎のみ。輝く

のは、生への飢えのみ。生み出すものは、破

壊と憎悪と、無残なる死でしかない…。

 それが「屍人兵」なのである…!

 いかなる理由で、このような奇怪な現象が

起きるのかは分からない。噂では、信長が庇

護している西洋バテレンが怪しげな術を施し

たからだと言われている。各地の戦国大名は

秘密を探ろうと多くの忍者を放ったが、誰一

人として帰ってこなかった…。越後・上杉の

「軒猿(のきざる)」、信州・武田に名高い

「六連銭(ろくれんせん)」、相模の北条が

有する「風魔」、三河・徳川の「伊賀鍔隠れ

忍群」、安芸・毛利の「鉢屋(はちや)衆」

などなど。神出鬼没、百戦錬磨の忍者たちが

帰ってこない理由には、織田が「人にあらざ

る者たち」を忍びに使っているからとも言わ

れているのだった…。

 

 カタカタと歯を噛み鳴らしながら、白骨の

形相をした屍人兵が突っ込んでくる。向けら

れた槍の穂先がギラリと光る。

 「とおりゃああっっ!」

 気合一閃、突き出された槍を胴太貫が切り

落とす。勢い余った槍の穂先が飛んで、遠方

の地面にカランと音をたてた。

 その音が終わらぬ一瞬に、男の返す刀が白

骨屍人兵を真一文字に切り裂いていた。真っ

二つになった体が左右に分かれ、ドサリと地

面に横たわる。それでも、ガサガサと腕を動

かし、不気味に蠢き続けていた。

 「やはり、呪心臓を斬らねばならぬか…」

 男はそう言って、二つになっても蠢く屍人

兵の心臓に刀を突きたてた。と同時に、ピク

ピクと微かな痙攣を残し、屍人兵が動かなく

なる。それは、屍人兵がやっと安らかな死を

迎えたことを意味していた。

 男は屍人兵から刀を抜きながら、哀しそう

な眼差しを送った。深い哀しみと哀れみを混

ぜ合わせたような眼差しだった。望まぬ生を

与えられた者が辿る末路に、思いを馳せてい

るようにも見えた。

 そして、ゆっくりと屍人兵たちの方を振り

返る。太刀をゆっくりと構える…。

 「キシャアアアッッッ!」

 言葉をなさぬ奇怪な雄叫びが上がった。

 足軽具足を身に付けた屍人兵が槍をしごい

て、男へと突っ込んでくる。また別の屍人兵

は大刀を振りかざし、突き進んできた。

 「うおおおおっっ!」

 屍人兵のそれに負けない雄叫びと共に、男

が突っ込んでいく。

 槍が唸りを上げ、突き出される。笹の葉の

ような流線型をした穂先が、風を切り裂きな

がら、男の横顔をかすめた。

 刀と刀が斬り結び、刃が合わさった部分に

青白い火花が飛び散る。キィンという甲高い

金属音が、それに華を添えた。

 「とおりゃああっっ!」

 横なぎに繰り出された胴太貫が、具足を着

けた屍人兵の上半身に食い込む。正確に心臓

の位置を切り裂いた切っ先が反対側に抜け、

もう一人の屍人兵を斬り倒す。先の屍人兵の

上半身が落ちると同時に、もう一人の心臓に

は止めの一突きが浴びせられていた。

 この間、ほんの十秒もたっていない。まさ

に電光石火、瞬殺の剣技である。

 「来いっっ!」

 あっという間に二人の屍人兵を斬り捨てた

男は、残る屍人兵を誘った。その言葉に導か

れるように、屍人兵が前進する。

 「キシャアアアッッッ!」

 奇怪な雄叫びを発し、屍人兵の振るう凶刃

が男へと襲いかかった。

 男は見る。迫り来る刃の動きを、繰り出さ

れる槍の穂先を…。その軌道を見極めるかの

ように目をスッと細めた。そして…。

 ズガアァッッ!

 袈裟懸けに胴太貫が一閃する。

 バシュウウッッ!

 斬り飛ばされた首が、宙に舞った。

 ドシュッッ!

 心臓を貫いた刃が、背中に突き抜ける。

 シュバアアッッ!

 返す刀が屍人兵の体を裂き、その呪われた

生命の源を断ち切っていく…!

 屍人兵たちの間を男が駆け抜ける。と同時

に、屍人兵たちは次々に倒れていった。

 地面に倒れていく様子に、ほとんどタイム

ラグはない。それは、男の剣技がいかに素早

いものだったかを物語っていた。

 「………」

 地面に横たわる屍人兵たちの躯を見つめ、

男は深くため息を漏らした。

 ……その時だった。

 「クククククク……」

 不気味な笑い声が城内に響きわたる。いつ

しか、殺気が周囲に満ちていた。

 「何者だっっ?」

 男が目をこらす。すると、先刻に屍人兵た

ちが現れた曲がり角の向こうから、一人の巨

漢が姿を見せた。その手には巨大な戦斧が握

られている。

 「ククク…。待ちかねておったぞ、十蔵」

 顔にボウボウと髭を生やした巨漢は、ニヤ

リと笑みを刻んだ。

 「貴様は…?」

 「お前を斃すために、遣わされた者。と言

えば、分かってもらえるかな?」

 「妖忍衆…か!」

 十蔵と呼ばれた男は、屍人兵を葬った血刀

を再び構えなおした。

 巨漢もまた、巨大な戦斧を片手でヒョイと

持ち上げる。その何気ない動作の中にも、巨

漢の持つ底知れないパワーと、卓越した戦闘

技術が感じられる。何しろ、隙がない。

 「十蔵よ。もう一度だけ、機会をやろう」

 巨漢がニヤニヤと笑いながら、言う。

 「機会だと…?」

 「そうだ。我等が主、信長さまに帰参する

のであれば命は取らぬ。この俺がとりなして

やるが、どうだ?」

 「笑止な…」

 十蔵は吐き捨てるように答えた。

 「ククク…、そうであろうな。そうでなけ

れば面白くないわい」

 巨漢は嬉しそうに笑った。その笑みは、血

に飢えているかのように残忍なものだ。

 「ならば、十蔵。貴様の命の火、この俺が

消し去ってくれようぞ」

 「フ…、願ってもないことだな。どのよう

に消してくれるか、楽しみだ」

 十蔵も負けずに、微笑を浮かべた。

 対する巨漢は、スッと目を閉じ、何やら口

の中で唱えはじめた。

 「エロイムエッサイム…、エロイムエッサ

イム…。蘇れ、内なる魔獣の魂よ…」

 巨漢の身体がブルブルと震え始める。筋肉

が盛り上がり、血管が浮き上がる。毛穴から

細く血流が噴き、髪の毛が逆立った。

 「化身するか…!」

 目の前の巨漢の変化に、十蔵は舌打ちする

かのように言う。だが、恐れのようなものは

感じられなかった。

 「グオオオオオッッッ!」

 城を震わせるような、すさまじい雄叫びが

こだました。巨漢の身体が青白い妖気に包ま

れると同時に、別の何かに変化する。

 「妖忍め…。それが貴様の正体か…」

 つぶやく十蔵の前には、異形の怪物が立っ

ている。手にした戦斧はそのままに、先程の

巨漢は、巨大な怪人と化していた。

 全体的は人間そのものだ。だが、頭部は別

の動物である。三角形の頭部は灰色がかった

ツルリとした皮膚で、鼻先には巨大な角がそ

びえたっている。細い目の周りには、皮膚の

硬さを示すような皺が刻まれている。

 それは犀であった。アフリカやインドなど

に生息する野獣である。この頃の日本にはま

だ存在しないはずの「草原の装甲車」が、そ

こにいた。犀の頭を持った人間、恐るべき怪

人が十蔵に向かい合っていたのである。

 「俺の名は、独角鬼(どっかくき)。信長

さまの命により、貴様を討つ!」

 犀男と化した巨漢=独角鬼が戦斧をブンブ

ンと振り回しながら、叫んだ。その怒号がビ

リビリと空気を震わせ、底知れないパワーを

感じさせるものだった。

 「いくぞぉぉぉっっ!」

 地響きをたてて、独角鬼が突進する。

 舞い上がる土煙は、重戦車そのものだ。

 「うおおおっっ」

 巨大な戦斧が水平になぎ払うように繰り出

され、ゴウと風を斬る唸りが轟く。

 「はああっっ!」

 十蔵が跳ぶ。後ろ飛びに空中を舞う十蔵が

さっきまでいた場所を、戦斧が通過する。

 ドガアアアッッンン!

 勢い余った戦斧は、反対側の城壁を粉微塵

に打ち砕いた。漆喰で出来た壁とは言え、そ

の一撃の凄まじさは人語に絶する。

 その一撃をかわした十蔵はヒラリと身を翻

し、5メートル程先に着地する。こちらの跳

躍も、人間とは思えない体技だった。

 「ほほぉ、なかなかやるのぉ…」

 打ち砕いた壁から、戦斧を引き抜きつつ、

独角鬼は余裕の笑みを浮かべた。

 「そちらこそ、大した膂力だな。だが、力

自慢だけでは、私は斃せんぞ」

 十蔵もまた余裕の表情で答え、愛刀の胴太

貫を右八双に構えた。

 「ほざくな!」

 独角鬼が再び、十蔵に突進を開始する。

 「食らえぃ、妖忍法『乱れ水車』!」

 その名のごとく、戦斧を水車のように振り

回し、続けざまに繰り出される斬撃。その半

径に入り、触れた城壁は弾ける水流のように

粉砕されていった。

 だが、その攻撃を十蔵は紙一重の見切りで

上手にかわしていく。右に左に、踊るような

ステップは戦斧の軌道を読み切っていた。

 「おのれ、チョコマカと…!」

 「動きに無駄が多いな…」

 そう言った十蔵の姿がフッと消える。

 「なにっっ?」

 独角鬼が驚愕した瞬間、消えたはずの十蔵

は独角鬼の背後に出現していた。

 「じゅ、十蔵? 貴様っっ!」

 「無駄な動きは相手に読まれる。戦いとは

もっと効率的に行うものだ」

 「ぬかせえっっ!」

 愕然とする独角鬼が戦斧を旋回させようと

するよりも早く、十蔵の胴太貫が閃いた。

 ガシッッッ!

 十蔵の一撃は、独角鬼の身体を真っ二つに

する…はずだった。だが、それは皮膚に食い

込んだ程度にしかならなかった。

 「!」

 十蔵がハッとした途端、独角鬼がクルリと

振り向く。その鼻面には、鋭い角があった。

 ドシュッッ!

 独角鬼の角が十蔵の腹部を貫いた。

 「カハッ…!」

 十蔵の口から、血の塊があふれた。恐らく

は内蔵を破られたに違いない。

 「俺の皮膚は、石の硬さよ…。そんな刀が

通るほど、ヤワではないわ」

 独角鬼の皮膚は、野性の犀のそれである。

 犀の皮膚は硬く、原住民の槍すらも通らな

いことが多い。そんな特性をも、この妖忍は

身に付けているらしかった。

 「死ねいっっ!」

 独角鬼はさらに頭を押しつけ、角を深々と

押し込もうとした。

 「くそっ…!」

 十蔵が慌てて、離れる。ズボッと鈍い音を

たてて、角が抜ける。だが、その痕からはお

びただしい血があふれた。

 「その傷では、さぞ苦しかろう。この俺が

楽にしてやるわい」

 独角鬼は巨大な戦斧を構えなおした。

 「お…、俺は死なぬ。貴様らを滅ぼし、こ

の悪夢に終止符を打つまではな…」

 十蔵は荒い息をつきながら、応えた。

 「滅ぼすだと…。貴様も、我等と同じ魔道

に生きる者ではないか?」

 「同じではない…!」

 十蔵の答えには、言い知れぬ拒絶と嫌悪の

響きがこもっていた。

 「馬鹿めが…。主家を滅ぼされ、武士とし

ての生きる道も絶たれた男が、何を求めてい

ると言うのだ?」

 「……人としての死だ」

 「死だと…?」

 独角鬼の表情に嘲りが浮かぶ。

 「そうだ…。貴様らに奪われた『人として

の死』を取り戻すまで、俺は戦う」

 そう言って、十蔵は腹部に当てていた手を

放した。不思議なことに、すでに出血が止ま

っているようにも見える。独角鬼はそれには

気づいていないようだった。

 「人としての死か…。くだらんな…」

 独角鬼が呆れたように言う。

 「俺が仕えていた斉藤家は、織田に滅ぼさ

れた。その時、俺は武士として生きる道を奪

われてしまった…」

 十蔵の脳裏には、燃え落ちる城の映像が昨

日のように浮かんでいた。

 「その後、さらに俺は人として生きる道す

らも、貴様らに奪われた…」

 苦渋に満ちた表情で、十蔵は続けた。忌ま

わしい記憶を辿るかのように…。

 十蔵が刀を構え直す。中段にゆっくりと持

ち上がった刀の切っ先が輝いた。

 「俺は貴様らを許さん…!」

 気迫の一言が、発せられた。十蔵の全身か

ら立ちのぼる闘気は、青白い炎のようだ。

 独角鬼がそれを見て、フッと笑う。

 「死ならば、俺が与えてくれるわっっ!」

 次の瞬間。ブウンッッと唸りを上げ、必殺

の戦斧が十蔵へと襲いかかった。

 十蔵の姿が消える。先程と同じように、跳

躍で戦斧をかわしたのだ。

 「十蔵! 同じ逃げ方は通用せん!」

 戦斧は急に軌道を変え、宙に舞った十蔵へ

と一直線に向かう。満身の力で振るった斧の

軌道を簡単に変えるとは、常人の力では考え

られないことであった。

 「とったぞ、十蔵!」

 勝利を確信した独角鬼の声が響く。

 だが、戦斧は十蔵の身体を通りすぎてしま

う。それもまた、残像だったのだ。

 「ば、馬鹿な…! あの傷でそのような動

きが出来るはずはない!」

 驚愕する独角鬼のすぐ横に、十蔵の姿が現

れる。必殺の間合いだった。

 「しまった…!」

 お互いの目が合う。それもほんの数秒のこ

とであった。

 「いええええいっっ!」

 十蔵の刀が一気に独角鬼へと走った。それ

を見た独角鬼が嘲るように笑う。

 「愚かな。刀など通じるわけが…」

 バシュッッ!

 独角鬼の言葉が途切れると同時に、鈍い斬

撃音が響いた。

 「ギャアアアアッッッ!」

 独角鬼が絶叫した。なんと、十蔵の一撃は

見事に独角鬼の身体を裂いていたのだ。

 おびただしい血をふりまき、独角鬼が倒れ

ていく。ドドゥ…という地響きと共に、巨体

が地面に沈んだ。

 巨大な戦斧もすでに手を離れ、むなしく地

面に転がっていた。

 「な…、何故…。貴様、何故…」

 のたうちながら、独角鬼があえぐ。恐らく

は「何故、動けるのだ」という疑問と、「何

故、自分を斬ることが出来たのか」という疑

問を同時に合わせているのだろう。

 「神陰流、『斬鬼剣』…」

 十蔵がつぶやく。それこそが刀が通らぬ皮

膚を切り裂いた秘剣の名であった。

 「ざ、斬鬼剣だと…?」

 「あらゆる魔を断つ剣に、魔の力を借りた

貴様らが勝てる訳はなかろう…」

 十蔵は刀に付いた血を振り払うと、ゆっく

りと独角鬼に近づいていく。与えた傷は致命

傷であり、すでに戦斧を握る力すらも失われ

ているのは確かだった。

 「それに…。貴様らが、俺の身体をこんな

ものに作り変えたのだ。それなのに、何故は

ないだろう…」

 十蔵が腹を撫でながら、言う。身に着けた

胴当てには大きな穴が開いたままになってい

るが、その奥の傷がなくなっていた。あのわ

ずかな時間の間に回復するとは…。考えられ

ないような治癒力である。いや、再生力と言

った方がいいかもしれない。

 「や…やはり…、貴様も化け物さ…」

 死に向かいつつ、独角鬼が笑う。

 「……」

 「あ…、あらゆる魔を断つだと…。な、な

らば…、の…呪われた己の命を真っ先に断て

ばよかろ…う…」

 「……そうかもしれんな。だが…」

 十蔵が静かに刀の切っ先を、独角鬼の心臓

の上へと移動させる。

 「俺が死ぬのは、貴様らを根絶やしにした

時だ!」

 刀が振り下ろされる。それは独角鬼の心臓

を真っ直ぐに貫き通した。

 「ギャアアッ!」

 独角鬼が絶命の叫びを上げる。と同時に、

全身から白い煙が立ちのぼった。

 「……」

 見つめる十蔵の前で、独角鬼の身体がみる

みる溶けていく。やがて、一塊の粘土のよう

になって、独角鬼は消滅した。

 「さらばだ…」

 十蔵は刀の汚れを拭うと、それを鞘へと収

めた。見渡せば、以前に斃した屍人兵たちも

すでに粘塊と化していた。

 やがて、十蔵の姿は城内から消えていた。

 後は、何事もなかったように、城内には静

寂だけが残されていた…。

 

 暗い部屋の中に蝋燭の炎が揺れている。

 石で組まれた地下室のような場所に、黒い

僧服を纏った男が立っている。その足元には

不気味な魔方陣が描かれていた。

 「独角鬼が斃されたようです…」

 男がつぶやく。その手には、燃えかすのよ

うな紙片が握られていた。

 「どういうことです…?」

 闇の中でもう一つの声が響く。鈴を転がし

たような美しい声だった。

 「まったく…。犀のように日本にいない動

物の細胞は貴重なのに…」

 無くした物を惜しむかのように、黒僧服の

男はつぶやいた。

 「細胞? 西洋の人間が使う言葉は理解し

がたいものが多いですね…」

 「いえ、何でもありませぬ」

 黒僧服男が、恐縮したように言う。だが、

その表情には科学を知らぬ蛮人への侮蔑のよ

うな笑みが密かに刻まれていた。

 「それにしても…」

 闇の中の声が、困惑したように言う。

 「妖忍衆は無敵ではなかったのですか?」

 「やはり、十蔵は問題のようです…」

 「たった一人の完成品ですか…。よくよく

とんでもない者を作ってくれたものです」

 「申し訳ございません。奴がこれほどの能

力を持っているとは…」

 「オルガンティーノ殿。言い訳は無用です」

 美しいが、凛とした響きだった。少年の声

のようにも聞こえる。

 それにしても、オルガンティーノとは聞き

流せない名前である。イエズス会の宣教師と

して来日し、織田信長にさまざまな知識や技

術を伝授した西洋人として名高い。

 キリストの教えを広げようとしている者で

ありながら、妖しい魔方陣の上に立っている

ことも解せないことだった。彼の真意はどこ

にあると言うのだろうか…。

 「十蔵を斃せるのか、斃せないのか?」

 少年の声が問いかける。

 「斃してごらんに入れます。私が生み出し

ました妖忍の力を持ってすれば…」

 「妖忍ですか…。あのような化け物を生み

出す医学とは恐ろしいものですね」

 「医学だけではありませぬ。私が信仰する

神の力があってこその妖忍です」

 「地の底の神でしたか…?」

 「はい。信長さまが天下を統一されたあか

つきには、ぜひとも布教の自由を…」

 オルガンティーノがここぞとばかりに詰め

寄る。それこそが彼の悲願であった。

 「それは、天下を取ってからの話。その前

に、自分の仕事を果していただきたい」

 「……」

 「必ず、十蔵を殺しなさい。妖忍と渡り合

える男など、あってはならないのです」

 「わかっております」

 「新たな妖忍を差し向け、必ず仕留めるの

です。信長さまの覇道を妨げる存在を許す訳

には参りません…!」

 「かしこまりました…、蘭丸さま」

 オルガンティーノが平伏すると、闇の中の

少年の気配がフッと遠ざかっていった。

 残されたオルガンティーノが不気味な笑い

を刻む。それは限りない野望と邪悪を秘めた

悪魔の笑み以外の何物でもなかった。

 

                              つづく