2022.1.1
年頭所感:ランダムとは何か?

 ここ数年来のライフワーク・テーマである双対性だが、昨年は二人のこころ模様柔らかい力士とは?をアップロードすることが出来、自分にとっては大きな進捗があった。
二人のこころ模様では心の重さと柔らかさが異なる人間が出会った時のストレスを可視化してみたのだが、予想通りチリヂリの模様が出てきた。マンガで気まずい二人の間に描かれるモヤモヤである。
チリヂリという表現だが、規則性の反意語としてのランダムというニュアンスかもしれない。
また、"心のもつれ"というキーワードが頭の中にあったのでネット検索していたところ、"量子もつれ"という量子力学上の課題があることを知った。
おかげでそちらに大きな興味をそそられ、すっかりハマってしまった。量子力学は電子の挙動のような目に見えないミクロな分野なのだが、電子は自分自身が回転=スピンしながら運動するというモデルがあるものの、そのスピンの仕組みや向きが解明出来ておらず、ランダムな向きを持つという見方をするそうである。
このランダムだが、アインシュタインは亡くなるまでこの見方に異を唱え、"神はサイコロを振らない"という名言を残したそうだが、現時点では量子力学上のランダム性は覆っていないそうである。
そのような訳で昨年は、一見ランダムに見えるが実は規則性があるのではないか?という疑問が湧いていた次第である。

 まず、Fig.1を見て頂きたいのだが、一見ランダムに見える例である。
Fig.2はそれを遠くから俯瞰した全体像なのだが、フラクタル=部分と全体が相似の関係=自己相似という規則を使って計算したもので、縮尺の違う螺旋形のプロットの集合である。
Fig.1はFig.2をズームして見たという事なのだが、視野の中からデータの一部が欠落するとランダムに見えてしまうようである。
次にFig.3を見て頂きたいのだが、3段目左の模様はその上にある6種類の模様を重ね合わせた図である。3段目真ん中は色を全て白色に置き換えたものである。6種類はやはり螺旋形のプロットだが、重ね合わせるとランダムに見えてこないだろうか?
全ての波長=色の光を重ね合わせると白色=情報として価値が無くなるということを模したものである。
こうしたことはデータや情報の側に潜む性質なのだろうか? あるいは人間側に潜む錯覚? 私達はその場に都合の良いように見ていないだろうか?

 ランダムとは日本語で乱雑さと訳される場合もあるようだが、熱力学の分野では乱雑さの度合いを表すエントロピーなる物理量がある。
"君の机の中はエントロピーが高いんじゃない?"と言った使い方をすると、言われた本人は探し物を苦も無く見つけたりするので、エントロピーとは正しい物差しなのだろうか?と思ったりする。
イベント終演後の駅の混み具合のように規則性があると却って困るような場合、適度に乱雑であって欲しいような場合にはエントロピーの高さは意味があるのかもしれない。

 ここで思うのはやはり理性と感性の対である。
規則性が見える状態は理性的と言えるのかもしれない。そしてランダムに見えたり、何かのサインに見えるのは感性由来かもしれない。
筆者は最近、"ランダムという状態は存在しないのではないか?"と感じる事がある。
ランダムと言えば確率・統計なる学問が出てくる。 そのデータの採り方はランダム・サンプリング=無作為抽出が大前提だが、社会の中に暮らしているとそれはなかなか難しいようである。
規則性があるものを知らず知らずのうちに統計処理していないだろうか?
今年はこの辺りを注意してみようと思う次第である。

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