来生史雄 電脳書斎

ジュブナイルSFをこよなく愛する者の宴
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プロジェクト・エデン特別篇

                「帝国最大の作戦」

 

                 第一章        

           

  「のう、フェンリルよ」

  思えば、この一言こそが全ての始まりであった。

  「は、皇帝陛下。何でございましょうか?」

  定時報告を終えて、謁見の間を退出しようとしていたフェンリルは、

怪訝な顔で振り返った。

  報告はすでに終わっている。いつも通りの無能な部下たちの失敗

を陳謝したところである。ここ最近の報告はそればかりであった。

  臙脂色の絨毯の彼方に玉座する皇帝の反応もいつもと変わりない

ように思えたのだったが、今日は違っていたようだ。

  「私の報告に何か不備でも…?」

  フェンリル将軍は恐る恐る尋ねた。

  「フェンリル。御主、わしに隠してることはないか?」

  皇帝は、悪戯を咎めるような微笑を浮かべながら、言った。

  「いえ。私の失敗も先程、きちんと報告致しましたが…」

  フェンリルの失敗とは、少年野球団の一件に関するものであった。

  結果的には彼のプライドゆえの判断ミスによって、せっかく捕らえた

アスラをみすみす釈放しなければならなくなったのである。現場のフレ

イヤやロキにしてみれば、不承不承であったに違いない。

  「そうではない。あの一件に関しては、余も将軍と同意見だ」

  皇帝は、首を振りながら答えた。

  「では、一体?」

  「先日起きたタイムマシンの事故に関してだ」

  「スキールニルの事故で、ございますか?」

  フェンリルはさらに怪訝そうな表情を浮かべる。

  現在稼動しているタイムマシン「スキールニル」が事故を起こしたの

は、つい先月のことであった。時空間移送を行っていたマシンが突如

として火を噴き、あやうく大爆発を起こしそうになったのだ。

  かって実験用として稼動していた初号機「スレイヴニル」が多くの事故

を繰り返し、それに倍する人数を時空の彼方へ消し去って以来、タイ

ムマシンの稼動に関しては、最大の注意が払われてきた。にもかかわ

らず、実用機である「スキールニル」が事故を起こしたことに、帝国は

大きなショックを受けていたのだった。

  「あれは報告書の通りでございます。移送しようとした際に、何らかの

異物が混ざり、機械に深刻なダメージを与えたと…」

  「その部分だ!」

  皇帝の声が、フェンリルの言葉を遮るように響いた。

  「は?」

  「何らかの異物とは、一体何だったのだ?」

  皇帝の問いに、フェンリルの顔に明らかな動揺が見えた。

  「そ、それは…」

  フェンリルは困ったような表情で、額の汗をぬぐった。

  「では、余が答えよう。それは20世紀の食べ物であろう」

  「こ、皇帝陛下!」

  驚くフェンリルに、皇帝はニヤリとした笑いを浮かべた。

  「余が知らないとでも思ったのか?」

  「い、いえ…」

  「タコヤキ…とか言うそうだな。その食べ物…」

  「御意…」

  フェンリルのこめこみを、ツツッと冷たい汗が伝った。

  皇帝の言うように、タイムマシンの事故原因はロキが移送しようとした

たこ焼によるものであった。時空転移の衝撃に耐えられずに、マシンの

内部で爆発し、飛び散ったのである。精密な基盤へと付着した破片に

よって、時空転移システムに重大な損傷が生じ、あわや大事故になりか

けたのである。

  この事態を知ったタイムマシン開発者のフレイヤが激怒し、ロキに対す

る「たこ焼禁止命令」を出したほどである。もっとも、それを守るようなロキ

ではなかったようだが…。

    「それで、フェンリル。その食べ物は美味いものなのか?」

  皇帝が興味深そうに聞く。

  「さあ、転送されたタコヤキは飛び散ってしまいましたし…」

  「ことのほか、美味なるものと噂されておるではないか」

  「統合作戦本部の者たちのつまらぬ噂を耳にされたのですか?」

  「うむ。ロキからの報告には、必ずタコヤキの言葉が入っていると聞く」

  「・・・・・・」

  フェンリルは困ったという表情を浮かべている。

  1997年から届く通信には、定時報告が含まれている。

  ほとんどはキルケウイルスの発生状況や、アスラたちの動向について

記されたものだ。しかし、ロキからの報告には必ずタコヤキの情報が含ま

れていた。「駅前のタコヤキはチーズ入り」だとか、「フレンチソースタイプ

が発売された」とか、そういった趣味的な内容である。

  この報告が、連絡を受け取る統合作戦本部のオペレーターたちの間で

大変な話題となっていたのである。まさにカルチャーショックともいうべき

「タコヤキシンドローム」が帝国を密かに席捲しはじめていたのだ。

  フェンリルは、この対応に思わぬ苦労を強いられる有り様であった。

  「余も、タコヤキを食してみたいものだ」

  ついに皇帝は言ってしまった。それは、話の流れから、フェンリルが最も

恐れていた言葉であった。

  「し、しかし、前回の事故から考えるに、もう一度転送させるわけにはまいり

ません。今一度、御再考ください」

  フェンリルは必死になって、皇帝に訴えた。

  「例の大型タイムマシンは完成していないのか?」

  「最新型のミッドガルト型は完成しておりません。さすがにフレイヤがいなくて

は開発もままならず…」

  「彼の弟がいたであろう」

  「バルドル博士は、非協力的でして。さらに、その動向に不穏な動きが見ら

れますので、中枢部の作業からは遠ざけております」

  「ふむ…、では大型タイムマシンによる輸送は不可能か…」

  皇帝の残念そうな声に、フェンリルは心の中で胸を撫で下ろした。

  しかし、それは一瞬の安らぎに過ぎなかった。

  「そうだ。破片が残っていると言っておったな」

皇帝がハタと気づいたように叫んだ。

  「機械に付着した破片のことですか?」

  「うむ。それだ!」

  「一応、分析のために科学技術センターに保管してありますが」

  「その破片から、タコヤキを再生するのだ!」

  皇帝の一言は、天の雷のごとくフェンリルを打ちのめした。

  「タ、タコヤキをですか?」

  フェンリルの声も落ち着きを失ってしまっている。

  「その通り。ただちにプロジェクトを実行するのだ!」

  「し、しかし、今はプロジェクト・エデンの方が最優先項目です!」

  「それは現場のフレイヤたちに任せておけばよい。これは余のわがま

まではなく、20世紀の失われた文明を再生させる重要な計画に他なら

ない」

  無茶苦茶な論理である。だが、神聖、絶対不可侵である皇帝の言葉

に逆らうわけにはいかなかった。「そりゃ、あんたのわがままだ」という声

を胸の奥に呑み込み、フェンリルは黙って一礼を返すのだった。

  「では、このプロジェクトをエデンに連なるものとし、プロジェクト・エヴァ

と命名する」

  「ちょ、ちょっとお待ちください。それは、マズいのでは…」

  「どうしてじゃ?」

  「色々と著作権上の問題が…」

  フェンリルは自分でも訳のわからぬ言葉で反論する。あたかも眼に見

えぬ何かに操られているような感覚であった。

  「そうか。そう言われると、余もマズいような気がしてきた」

  「そうですとも…」

  安堵のため息をついたのは、フェンリルだけではなかった。

  「では、プロジェクト・タコヤキというのはどうだ?」

  「・・・・・・」

  豪奢に彩られた空間を、寒い風が吹きぬけていく。

  「面白くなかったか?」

  やや不機嫌そうな声で、皇帝が問いかける。

  「いえ…、滅相もございません」

  フェンリルは答えた。

  しつこいようだが、皇帝の言葉は神聖なるもの。絶対不可侵の

存在なのである。

  「では、すぐにプロジェクト・タコヤキを実行に移すのだ!」

  「かしこまりました。ただちに作戦を実行いたします…」

   フェンリルはそう言い残し、謁見の間を後にした。

  その背中は哀しいまでに、中間管理職の苦悩を漂わせていた。

  「タコヤキか…」

  大きくため息をつくフェンリル。

  だが、このことが帝国を震撼させる大事件に発展しようとは…。

  この時点で、それに気づく者はまだ、誰一人として、いなかった…。

 

                         第二章

 

  ミレニアム帝都の東部郊外にある第21研究地区。

  そこに巨大なドーム状の建造物が存在する。「帝国生化学研究所」

というのが、その建造物の名称であった。

  主にキルケウイルスの生化学構造の解明と抗ウイルス剤の開発研究

に従事している帝国最重要施設の一つでもあった。

  そして、ここにフェンリル将軍を乗せた漆黒の機動車両が現れたの

は、将軍と皇帝の会見が行われた2日後のことであった…。

 

  「なんとおっしゃられたのですか、フェンリル将軍?」

  20世紀に比べて約1.5倍強力な紫外線をカットする特殊偏光素材

を組み込んだ銀縁の眼鏡をきらめかせて、白衣の男が問い返した。

  「今言った通りだ。皇帝の勅命により、プロジェクト・タコヤキと呼称さ

れる新たな極秘計画を実行に移すことになったのだ」

  フェンリルが感情を殺した表情で、淡々と語る。そうでもしなければ、

こんな命令を下せるものではないからだ。

  「将軍。そんな余裕がこの研究所にあるとでも思っているのですか?」

  「これは勅命だ。議論を差し挟む余地などはありはしないのだ。そこ

をわかってもらいたい、シンドゥリ博士」

  「…余りにも、御無体なお言葉ですな。将軍…」

  勅命という言葉に、シンドゥリ博士が力なく肩を落とした。

  「博士…」

  博士の傍らに寄り添う白衣の女性が、そっと博士の肩に手を添える。

  この研究室で助手を務めているペイオス助教授である。年齢は21歳と

若いが、フレイヤやシグルドに匹敵する才能の持ち主と知られている。

  「ペイオス、心配するな。キルケウイルスの研究は、新たなプロジェクトを

終えれば、すぐにでも再開できるはずだ」

  シンドゥリ博士は、優しく言った。それはまるで、自分自身に言い聞かせる

かのようでもあった。

  「すまぬ、博士…。この火急の時に、このような命令を伝えねばならないの

は私としても、本当に心苦しいばかりなのだ…」

  本当に申しわけなさそうに、フェンリルは言葉をかけるのだった。

  「わかっております、将軍。それで、私は何をすれば?」

  「うむ。このわずかな細胞片から、ある生物を再現させてもらいたい」

  そう言って、フェンリルは小さなチタン合金製のボックスを取り出した。

  蓋が開くと、そこには淡いピンク色の塊が見えた。

  「これは…、一体どんな生物の細胞なのですか?」

  「20世紀までに存在した海洋生物の一種で、タコと言うらしい」

  「タコ?」

  シンドゥリが首をかしげる。無理も無いことであった。

  「罪深き白夜」と呼ばれた最終戦争によって地球環境は激変し、およそ

それ以前に存在した生態系の8割が失われてしまっているのである。当然

のことながら、30世紀にタコなど存在しない。そればかりか、例え優秀な科

学者であっても、その存在すらも知らないのである。

  「それは、どのような生物なのでしょうか?」

  横からペイオスが尋ねる。当然、彼女も知らないのである。

  「うむ…。詳しくはわからんのだが、美味なる食べ物であるようだ」

  「と言うことは、家畜の一種だったのですね」

  「そうだったのかもしれん。この30世紀でも復元再生されている牛やブタ

のような食用家畜として飼育されていた可能性はある」

  重ねて言っておくが、フェンリルたちはタコを知らない。

  「しかし、海洋生物だったというのが不可解ですな」

  シンドゥリが頭をひねらせる。彼の脳裏には、海底に放牧される数百頭の

牛やブタのイメージが広がっていた。

  「どんな形状の生物だったのでしょう?」

  ペイオスの質問に、さらにフェンリルは困ったように記憶をたどる。

  「うーむ…。たしか、ロキの報告では骨がなく、足が8本だったか、10本だ

ったか…。きわめて不可解な形をした生き物だったようだ」

  「・・・・」

  現在、シンドゥリやペイオスの脳裏には、骨がなく、足を8本か10本備えた

牛やブタが海底を歩き回っている光景が浮かんでいることは言うまでもない。

  「そんな生き物を、20世紀の人間たちは食用に放牧していたのですか?」

  ゲンナリした表情でシンドゥリが問い返す。

  「うーむ。20世紀の人間の考えることは、我々には計り知れん・・・」

  フェンリルも疲れた表情で、こめかみに指を当てるのだった。

  「・・・・・・・」

  「・・・・・・・」

  沈黙が研究室を支配する。余りにも不可解かつ奇怪なイメージのために

彼らの思考はパニックに陥っていたのだ。無数の足をそなえた骨のないブタ

をテーブルに並べて食事をしている20世紀人の行動が理解不可能だったの

である。

  「とにかくだ。この細胞を至急に分析し、この30世紀のクローン技術を駆使

して、見事にタコをよみがえらせて欲しい」

  フェンリルが沈黙を破るようにして、言葉を放つ。

  「それは良いのですが、もう少し資料となる情報を20世紀に赴いている部下

の方から取り寄せてもらえませんか?」

  シンドゥリが言うと、フェンリルは慌てて首を横に振った。

  「それは出来ぬ。フレイヤに知れたら、30世紀では何をしているのかと私が

責められることになる。これはあくまで極秘なのだ!」

  「しかし、情報が余りに不足しております」

  「帝国情報省や中央コンピューターにバンクされている全ての情報をフルに

活用し、それを補って欲しい。私の権限で、全ての情報を最優先に回すように

手配するから、何とかガンバッてくれ」

  「将軍…」

  「頼む。私に出来ることはそれぐらいしかないのだ・・・」

  フレイヤたちの前にいる時の威厳あふれる姿を知っている者にとっては、この

ような将軍の姿を見るとは想像できないであろう。

  彼もまた、組織の中で苦渋する管理職の一人なのであった。

  「わかりました。気は進みませんが、最善の努力を尽くします」

  シンドゥリはそう答えるのだった…。

 

  「バイオアナライザー始動。VT型アクチュエーター、臨界機動よし」

  「ケミカルバイオウェーブ照射装置準備よし。出力0.3」

  「第1から第14までのモニターに異常なし。第15から第30までをチェック」

  「全モニター異常なし。細胞周波数、プラスマイナス0.02で変動」

  「DNA構造検出器、セントラルドグマへと到達。検査を開始します」

  「SR8型ナノマシン、細胞核およびミトコンドリアの抽出を開始!」

  十数人のスタッフが口々に復唱しながら、コンピューター操作に取り組ん

でいる。数十個のモニターがエメラルドグリーンに輝き、操作版のスイッチが

激しく点滅を繰り返している様子が見えた。

  帝国生化学研究所の中央研究室である。今まさにわずかに残されたタコ

の細胞から、その生体構造を導き出そうとする試みが行われているのだ。

  「DNA構造検出、10、15、20・・・、損傷率21%」

  オペレーターの声に、中央の指揮デスクにいるシンドゥリは顔を曇らせた。

  「マズイな…。DNAの損傷率が予想よりも大きい」

  「完全な復元は難しいですか?」

  横にいるペイオスが心配そうな表情で聞く。

  「うむ。特に重要なセントラルドグマの部分に損傷が大きい。このままでは

完全なクローン再生を行うのは不可能だな」

  ちなみにセントラルドグマとは某アニメに登場する地下研究施設のことでは

ない。DNAにおける遺伝情報の交換の流通経路を指す遺伝学用語である。

  これが損傷していると、正しい遺伝情報の伝達が行われずに生物は原形を

とどめることが出来なくなってしまうのである。

  「他の生物の遺伝情報を使って、損傷部分を埋めますか?」

  ペイオスの言葉にシンドゥリがうなずく。

  「それしかないだろう。帝国の情報バンクに残ったデータには、20世紀では

琥珀に閉じ込められた虫の体内から取り出した恐竜のDNAを使って、見事に

再生させたという記録がある。その時も、他の生物のDNAで補ったらしい」

  「20世紀の科学技術は、そんなに進んでいたのですか?」

  「あくまで情報のみの記録だがな…。スピーバークとかいう博士が実現し、

再生した恐竜たちを集めて{怪獣ランド}なる施設を作ったとのことだ」

  「それは…、20世紀の科学もあなどれませんね」

  ペイオスが感心する。

  この30世紀において、最終戦争以前の情報は極めて混乱している。

  生き残った人間やあらゆる機械からかき集めたデータを基に、30世紀の人

が再構成したものばかりである。関連しそうなものや、関係ありそうな情報を

ランダムにつなぎあわせているために、その中には非常に大きな誤解をした

情報も含まれているのである。その結果、20世紀の現状を誤解したままでい

る人間も少なくはない。

  例えば、キルケウイルスの発生源と思われる日本はたびたび巨大な怪獣に

蹂躪されている事になっており、それを知ったロキがノイローゼに陥るという事件

もあった。また、大軍団を送り込んだ場合は、不良少年が操縦する巨大ロボット

を迎撃に出動させる秘密基地が存在するらしい未確認情報もあり、帝国首脳部

を非常に悩ませたという記録もある。

  「DNA構造検出完了。完全検出率は47%、未確認検出率24%」

  オペレーターの声が研究室に響いた。

  「合わせて71%か…。損傷率から考えると、立派なものだ」

  シンドゥリがデータの表示されているモニターを見つめながら、つぶやいた。

  「しかし、完全検出率が50%以下です」

  ペイオスが復元作業の危険性を指摘した。

  「だが、やめるわけにもいくまい。これは勅命なのだ」

  「どうします?」

  「他の生物のDNAで補正するしかあるまい。帝国の情報バンクから集めた

タコに関するデータはどうなっている?」

  「それが変な情報ばかりです。タコというキーワードで検索したのですが…」

  ペイオスがコンソールを操作しながら、自信なさそうに言った。

  「変な情報?」

  シンドゥリがいぶかしげに、表示されるモニター情報に目を落とす。

  そして、呆気に取られたような表情を見せた。

  「風にのって空を飛ぶ飛行能力を備えているだと…?」

  「はい。タコというキーワードでは、そのように検出しました」

  「タコとは、海に住む生き物ではなかったのか?」

  「よくわかりませんが、海中にも、空中にも適応した生物だったのでは?」

  「うーむ。それが本当なら、タコとは恐るべき究極生物の一種だな…」

  もう一度、おさらいしておきましょう。30世紀における20世紀の情報は破損が

大きく、きわめて重大な誤解を招いているケースが少なくありません。

  シンドゥリは大きく首を振って、ため息をついた。

  「さらにこんな情報もありました」

  ペイオスがキーを叩いて、次のデータを画面に表示させた。

  「非常に知能が低く、間抜けな行動を取る場合が多い?」

  「はい。これは20世紀の慣用句に使われている情報からの推測ですが、

20世紀では間抜けな人間を指して、 「このタコ!」と言うことが多かったそう

です。これから推測しますに…」

  「知能は決して高くない。ということだな」

  「はい」

  ペイオスは短く答える。彼女もまた余り情報に自信がなかったのである。

  「よくわからん生物だな…。基本的に海洋生物でありながら、飛行能力を

兼ね備え、さらに間抜けな行動を取る。加えて言えば、20世紀の人間の

食用に放牧されていたことから、極めて繁殖性は高いと予想されるな…」

  シンドゥリが頭を抱えてしまう。当然の結果である。

  「と、とにかく、これらのデータを基に遺伝子を合成し、タコをクローニング

するしかあるまい」

  「ところが博士。もう一つ、特徴があるのです」

  「ま、まだあるのか?」

  「はい。データによると、口から何かを吐いたらしいのです」

  「何を吐いたというのだ?」

  「それに関しては、全くデータがありません」

  「現在判明しているDNAデータから推測することは不可能なのか?」

  「どうでしょう? やってみないことには…」

  ペイオスが実験データの資料を繰りながら、自信なさそうに答える。

  「口から何を吐いたのだ…。恐らくは防衛本能によるものだろうが…」

  シンドゥリが苦悩する。彼らの時代に墨などという概念は存在しない。

  「日本を度々襲ったとされる巨大生物は、放射能を吐いたという記録が

残っておりますが…」

  ペイオスが恐る恐る言う。何しろ、核戦争による人類崩壊を招いた以上は

放射能という言葉はタブーなのである。

  「それは危険すぎる。せめて、火を吐くぐらいにとどめねば…!」

  シンドゥリが慌てて言う。この言葉がさらなる悲劇の序曲であった。

  「では、火を吐く能力を遺伝子操作で組み込みますか?」

  「む…、しかし、ほ、放射能よりはマシだろう。やむを得まい…」

  シンドゥリの背筋を寒いものが突き抜ける。自分は本当に正しく「タコ」と

いう生物を再現しているのだろうかという疑問が浮かびあがる。そして、その

悪寒はきわめて悲劇的な形で的中することになるのだった。だが、それは

先の話である。

  「では、ただちにタコのクローン生成作業を開始するのだ」

  シンドゥリが研究室にいるスタッフ全員に指示を下した。

  ペイオスとシンドゥリの検討を見守っていたスタッフたちが慌ただしく動き

はじめる。無数のコンピューターのパネルが忙しく点滅を開始した。

  「当研究所は、これよりプロジェクト・タコヤキにおける第1級緊急体制に

移行いたします。各スタッフおよび責任者は、直ちに部署に就いてください!」

  響き渡るアナウンスを聞きながら、シンドゥリは激しい疲れを見せていた。

  そして、この事件は彼の運命を大きく変えるものとなるのである。

 

                          第三章

 

  ゆるくのびた流水階段(カスケード)の源流にそびえたつ荘厳な建物。

  全面を覆う天然クリスタルガラスが陽光にきらめくビルを中心に、ギリシア神殿

を彷彿とさせる施設が完璧なまでのシンメトリーを形成している。

  この巨大な建造物こそ、ミレニアム帝国を支配統轄する統帥府なのであった。

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    この日、統帥府にあるミレニアム軍統合作戦本部は異様な緊張下にあった。

  誰一人私語を交わす者もなく、水を打ったように静まり返った本部内に集まった

人々の目は、たった一人の男の背中に注がれているのだった。

  男は白銀のマントを羽織り、静かに窓の外を眺めている。だが、その背中からは

重苦しいと表現するには余りあるほどの空気が漂ってきていた…。

  ミレニアム帝国軍の軍務尚書にして、最高司令官。多くの国民から尊敬と畏怖の

対象として慕われるフェンリル将軍は、険しい表情のままで窓を眺めている。

  「ふう…」

  そして、将軍は何十回目かの深いため息をついた。

  普段からは想像も出来ない様子に、フェンリル将軍に付き従ってきた幕僚たち

は緊張の限界に達していた。

  「これは余程の緊急事態が発生したに違いない…」

  一人の幕僚が囁くようにして、同僚に言った。

  「ああ…。もしかすると、レジスタンスが大規模な破壊活動を行うのかも…」

  「ま、まさか…。い…、いや、将軍のあの様子なら有り得るかもしれん…」

  なお一層の重苦しい雰囲気が場を覆っていく。その不安は口に出さないまで

も、そこにいる人々全員の共通した思いだったのだ。

  「ならば、ただちに第1級警戒態勢をしかなければ!」

  次席副官の男がうろたえたように言う。

  「うむ。将軍に指示を受ける前に、準備だけはしておこう!」

  先任参謀が思い切ったように言う。

  その言葉が合図となり、表向きは静かにだが、統合作戦本部内は慌ただしく

動き始めた。ある者は光ファイバー通信機に飛びつき、ある者はコンピューター

を臨戦モードへと切り替える作業を開始する。

  「第3機動警備隊は直ちに出撃準備に入れ!」

  「主要幹線道路に検問を配置。帝都に通じるゲートは封鎖しろ!」

  「ムスペルハイム地区のレジスタンス拠点に、偵察機を急派しろ!」

  「帝都防空システム、稼働率63%。対空レーダーサイト、異常なし!」

  次々に入ってくる報告をオペレーターたちが、死にもの狂いで処理していく。

  大型ディスプレイに表示される帝都周辺の地図に、治安部隊が続々と紅いポ

イントの形で配置されていく。帝都を完全に防衛するシフトであった。

  30世紀のミレニアム帝国は「永遠の平和」を掲げているために、「帝国軍」とい

う呼称であっても、あくまでも専守防衛の組織しか持っていない。

  各部隊の装備も大量殺戮兵器などではなく、小火器や迎撃ミサイル程度にと

どまっている。キルケウイルスに冒された人々が大半を占める30世紀では、そ

の程度で十分なのである。その意味では、「平和な国家」と呼べるかもしれない。

  ただ、レジスタンスの出現が「平和な国家」に大きな変化をもたらしたことだけは

間違いのない事実であった。最近では大型兵器の配備も、作戦本部の議題に

あがることがしばしばであった…。

  「帝都防衛体制は、あと30分で完了します!」

  オペレーターの一人が、先任参謀に駆け寄るように報告する。

  「うむ。では、フェンリル将軍の指示を仰ごう」

  そう言って、先任参謀は襟を正すと、フェンリル将軍の元へ向かった。

  彼が近づいていっても、将軍は背を向けたままの状態であった。

  (これは、遠大な戦略を練っておられるに違いない…)

  先任参謀は将軍の様子から、そのように判断した。より気持ちを引き締めなが

ら、将軍のそばへと近づいていく。相変わらず、背を向けたままだ。

  「将軍…」

  恐る恐る声をかけた時、先任参謀は将軍が何やら呟いていることに気づいた。

  「…?」

  そっと聞き耳をたててみる。その鼓膜に不思議な言葉の羅列が飛び込んできた。

  「タコ…、タコ…、タコ…、タコタコタコタコタコ…」

  先任参謀は自分の耳を疑った。だが、確かにそう聞こえたのだった。

  (タコ…? 何だ、それは…? 新しい作戦の暗号名なのだろうか?)

  先任参謀は、もう一度耳をすませた。

  「タコ…、タコ…、タコ…、タコ…、タコォォォ!」

  やはり、そう聞こえた。

  将軍はうめくように言い続けている。その状況を異様と言わずして、何を異様と

言うのであろうか。

  想像していただきたい。ただ一人、ハイテクビルの窓に向かって「タコ」と呟き続

けている威厳あふれる中年男の姿を…! なんと、恐ろしい光景であろうか!

  「しょ、将軍…!」

  先任参謀が引きつった声で、将軍を呼ぶ。…その時だった!

  「うぉぉっ! タコって、何なんだぁっ!」

  将軍が雄叫びを上げるように叫んだ。

  「ヒイイィィィッ!」

  さすがに先任参謀も腰を抜かすようにして、後ろへと倒れこんでしまう。

  「・・・・・・・・・・・・・」

  統合作戦本部内が、全ての音を失ったかのように静まり返る…。

  「うん? 先任参謀、どうしたのだ?」

  初めて周囲の状況に気づいたかのように、フェンリル将軍が言った。

  「・・・・・・」

  先任参謀は青ざめた表情のまま、何も口にすることは出来なかった。

  「他の者たちも…、一体どうしたというのだ?」

  一人、状況を飲み込めぬフェンリルが怪訝な表情を集まった幕僚たちに向ける。

  その誰もが、戦慄と恐怖を刻み付けた表情のまま沈黙している。

  あの瞬間、彼らは真っ白な灰となって燃え尽きてしまったのであった…。

  「おい。お前たち…?」

  本部の空間に、フェンリルの声だけが虚しく響く。

  そして、統合作戦本部は以前に倍する重苦しい雰囲気に沈んでいくのだった…。

 

  フェンリル将軍が統合作戦本部を壊滅状態に追い込んだ同刻。

  第21研究地区にある「生化学研究所」では、タコのクローニング作業が必死に続

けられていた。

  「おい、担架だ! 急いで担架を持ってこい!」

  過労のために倒れた同僚を抱き起こしながら、白衣の研究員が叫んでいる。

  まさに締め切りに追われるマンガ家のような修羅場が繰り広げられていた。

  「また一人倒れたか…」

  目の下にどす黒いクマを浮かべたシンドゥリ博士が疲れた声でつぶやく。

  すでに不眠不休の作業に倒れた研究員は、かなりの数字に上っていた。

  「やはり、この再生作業は難しすぎるのです」

  横に立つペイオス助教授が、吐き捨てるように言う。

  「そう言うな、ペイオス。これは勅命なのだよ」

  「しかし、タコという生物がどんなモノなのかも判らずに作業しているのですよ!」

  ペイオスが手にした資料をドサリと投げ出す。

  「だから、フェンリル将軍にも資料を送って意見を求めているところだ」

  シンドゥリが眼鏡を外し、疲れた目を揉むようにして答える。

  フェンリル将軍に送った資料。それこそが統合作戦本部の悲劇を招いた原因な

のであった。そこには「基本的に海洋生物」「無数の触手を備える」「飛行能力を有

する」「知能は低い」「繁殖能力は旺盛」「口から炎を吐く」などといったデータが無数

に並べられているのである。常識を持った人間が読めば、発狂してしまいそうなデタ

ラメな生態を持った生物であることに間違いない。

  だが、帝国はその奇怪な生物「タコ」を全力を挙げて、生み出そうとしているのだ。

  フェンリルの異様な様子も、納得できるというものだ。

  「どうせ、ロクな回答は返ってきませんわ」

  ペイオスが悲観的に言う。

  「かもしれんな…。だが、やらなければならん」

  シンドゥリが眼鏡をかけ直しながら、立ち上がった。

  「このタコなる生物をよみがえらせるのが、我々に課せられた仕事だ!」

  そう言ったシンドゥリの目の前には、巨大な円筒形の水槽がある。

  その中にグロテスクな姿の生物が、ユラユラと培養液に浮かんでいる。

  「…現在の復元率は、43%です。ほぼ外見は、こんな感じでしょうか?」

  「たぶんな…」

  自信なさそうに答えるシンドゥリであった。

  水槽に浮かぶ生物の外見は、確かに「タコ」に似ている。

  だが、チューブのような口があったはずのそこには、奇妙な節くれを備えた

火炎放射器のような管がニュウと伸びていた。

  さらに足とおぼしき触手は10本、いや15本はあるだろうか。不気味な吸盤が並ん

でいる様子は、確かにタコに似ているのだが…。

  他にも全身に不気味な斑紋が浮かんでいるのも奇妙だし、異様に大きい目玉も変

な印象であった。ただ、タコだと言われれば、タコのような気もする…。

  とにかく、どう表現すればいいのかを悩んでしまうような醜怪な怪物であった。

  「ところで、ペイオス」

  シンドゥリが声をかける。

  「何でしょう、博士?」

  「例の飛行能力の件だが、何か解決策は見つかったか?」

  「いいえ。この生物の形状では不可能に近いと思われます」

  ペイオスが大きくため息をつくようにして答えた。

  「どこかに翼を付けることは無理かな?」

  「そ、そんなの無理ですよ!」

  「だろうなぁ…」

  シンドゥリが当然といった感じに、頭を抱えた。

  「くそぉ、こうなりゃジェットエンジンでも装備させるか!」

  ほとんどキレたように叫ぶ。

  「博士、落ち着いてください。タコをサイボーグにでもする気ですか?」

  ペイオスが必死になだめた。

  「サイボーグでも、ロボットでも構わん。問題はどうやってタコを飛ばす

かなのだ!」

  シンドゥリが怒鳴るように言う。先刻、「勅命だ」と言ってペイオスをなだ

めていたことを忘れてしまっているかのようだ。

  「博士。私に一つ、考えがあります」

  ペイオスが思い付いたように言った。

  「何だ?」

  「あの触手の間に薄い膜を張るのです」

  「膜?」

  「はい。タコのデータによれば、風に乗って舞い上がったとのこと。もし

かすると、薄い膜に風をはらませて、飛び上がったのかもしれません」

  「うむ。それだ! それにしよう!」

  シンドゥリが目を輝かせて、叫んだ。

  もう、完全に行き当たりばったりである。

  だが、それによって、またも「本当のタコ」から遠ざかってしまったのは

疑いようのない事実でもあった。

  「はい、判りました。すぐに手配します」

  素直に答えるペイオスもペイオスである。

  もはや連日連夜の疲れのために正常な思考能力を失っているとしか

思えなかった。シンドゥリやペイオスだけでなく、研究員の誰もがすでに

キレてしまっているのだった。

  ある研究員が叫んでいる。

  「火炎を吐くためのメタンガス発生機能を、内臓に付加しろ!」

  別の研究員が怒鳴っている。

  「知能を高くするな。脳細胞数を制限して、間抜けにするんだ!」

  その指示のいずれに対しても、誰からも疑問の声が上がらない。

  末期的症状の中で、黙々とタコなる生物を復活させる作業が続く…。

  そう、すでに研究所全体が一つの雰囲気に包まれていたのだ。

  つまり、

  笑いたければ、笑うがいい!

  もはや、誰にも我々はとめられーん!

  という状態に陥っていたのである。

  まさにバイオテクノロジーの同人誌状態である。

  そして、その完成は刻一刻と近づきつつあった。

  今まさに、恐るべき誤解の末に「全く新種のタコ」が生まれようとしてい

るのであった。

 

  すでに話の展開は、「怒涛の雪ダルマ」となって突き進んでいる。

  この結末のない事件の果てに何が待っているのか?

  それはすでに作者の手すら、離れようとしていた…。

ワハハハハハ!

  もはや、誰にもとめられーん!!

 

                                                          つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

来生史雄電脳書斎