2017.12.10
人物エッセイ その7 Gene Clark考

 ジーン・クラーク、1944年11月17日、北米はミズーリ州 Tipton生まれ。
本名、Harold Eugene Clark。ゲルマン、アイリッシュ、アメリカンインディアン*の家系である。
Byrds、Dillard and Clark、およびソロ活動で知られるシンガーソングライターである。

 Byrds創設メンバー3人の中のひとりである。残りのロジャー・マッギンデイビッド・クロスビーについては既にエッセイで取り上げている。ジーンもファンが多く、幾つかの評伝で書かれているようにデビューヒットのMr. Tambourinman(ボブ・ディラン作)は別にして初期のByrdsの好印象はジーンの楽曲に因る所が大きいことは自分も同感である。 3人に共通するのはフォークシンガー出身でビートルズに覚醒されたところなのだが、ジーンの楽曲には二つの特徴があると思う。

 一つ目はマイナーコードの使い方である。グリーン・スリーブスやスカボロー・フェアのようなブリティッシュ、アイリッシュではなく、どこかエイジアンの琴線に触れる。
 Byrds時代の"Here Without You"、"I Knew I'd Want You"、Dillard and Clark時代の、"The Radio Song"、"Polly" という曲ではメジャーコードからマイナー、あるいはその逆への進行が独特な雰囲気を醸し出しており、初めて聴いた時はどこへ導かれて行くのか判らなかった。ソロ時代の代表曲、"Silver Raven" では僅か二つのマイナーコードにそぎ落とされ、日本の数え歌のような印象である。Carla Olsonとのデュオ時代の"Gypsy Rider" は演歌が重なってきそうになる。
 無意識のフリギア旋法というか、どこか民族音楽のエッセンスを感じるのである。60年代頃からフォークシーンで誰もが普通に試みるようになったギターでコード進行を探って行くやり方で落ち着く所とはちょっと違う。 やはり、幼少期にアメリカンインディアンの歌謡を聴いた経験があるのだろうか?
 因みに、"Here Without You" のギターイントロは日本のGS、テンプターズの、”秘密の合い言葉”(1968年)でそっくりカバーされている。

 二つ目は歌詞であるが、そこに漂うのはマイナーコードに誘因されるような翳りと重さである。
ビートルズの自作自演に倣って60年代末頃からからシンガーソングライターが台頭し、私的で内省的、湿っぽい言葉は他の誰でも見られたものだが、メジャーコードに乗せてカウンター効果になっていることが多い。ところがジーンの場合はマイナーにはマイナー、心情にストレートというべきか。
 そして詩的であり、比喩が深く難解である。訳詞を試みたが大変骨が折れる。

 ジーンの楽曲のカバー例はそれほど多く聴いたことは無いが、”えっ!渋い選曲だね”と思わせる。
古くはイーグルス、ファースト*13(1972年リリース)の中の"Train Leaves Here This Morning"。近年ではロバート・プラント&アリソン・クラウスの"Raising Sand*14"(2007年リリース、グラミー賞最優秀アルバム他5部門獲得)の中の"Polly"、"Through the Morning, Through the Night" 等がそれである。

 これらは自分が青春時代に聴いた頃の印象なのだが、どういうわけか最近になって思い出す機会が多くなった次第である。自分が歳をとったせいなのか、ぽつっとジーンの楽曲を聴き直してみたくなったのである。 そしてネットで彼の評伝を読み、以下に記すような経歴を知る事でなんとなく腑に落ちた次第である。

ジーンの家族は暖を取るための薪を切り、牛の乳を搾って生活する、いわゆる片田舎で暮らしていた。ドイツ系の父、アイルランド系の母のどちらかがアメリカンインディアンとの混血と思われる。ジーンは13人兄弟の3番目。
ミズーリはドイツ系移民が多く合衆国中、最も飲酒に寛容な州と言われている。
10代前には父からギターの弾き方を教わり、ハンク・ウィリアムスを聴いて育ち、エルビス、エバリー・ブラザースに憧れた。
フォークシーンの渦中、ニュークリスティ・ミンストレルズ(大勢で合唱するスタイル=Sing outと呼ばれた)に参加するもビートルズの洗礼を受け、類は友を呼びByrdsでデビュー。
飛行機恐怖症、閉所恐怖症からツアーに耐えられなくなりByrdsを脱退。脱退後にヒットした、”Eight Miles High” の歌詞はジーンの飛行機体験から出て来た一節にロジャー・マッギン、デイビッド・クロスビーが膨らませたものと言われている。
1967年、初ソロアルバム、"Gene Clark with the Gosdin Brothers*1" をByrdsと同じColumbiaレーベルからリリース。"カントリーミュージックがルーツ" を自覚しはじめる。
1968〜69年、同郷のブルーグラス・バンジョー奏者、ダグラス・ディラードとデュオを組み、A&Mレーベルから、"The Fantastic Expedition of Dillard & Clark*2"、"Through the Morning, Through the Night*3" なる2枚のアルバムをリリース。ダグラスの影響で時代的に蔓延しはじめたドラッグを使用し始める。
Byrds脱退以降、商業的成功は得られず。妻と二人の男の子と共に太平洋に面したカリフォルニア州北部のMendocinoに移り住み、版権収入で糊口を凌ぐ。
1971年、Mendocino時代に書かれた曲を基にアメリカンインディアンのJesse Ed Davisのプロデュースとサポートによりソロアルバム、"Gene Clark*4" をA&Mからリリース。オランダでは批評家によるアルバム・オブジ・イヤーに選ばれるがそれ以外のマーケットでは商業的成功は得られず。この頃からアルコール依存症となる。
1973年、”Roadmaster*5” をオランダA&Mでのみリリース。デイビッド・クロスビーのプロデュースによるリユニオンアルバム、”Byrds*6”(Asylumレーベル)で、“Full Circle" を再演。
1974年、AsylumレコードのDavid Geffenがジーンを支援すべく契約したアルバム、Thomas Jefferson Kayeプロデュースになる、”No Other*7” をリリース。著名な客演陣やバックコーラス、AORなアレンジメントにより10万$を越えるコストを費やしたが商業的成功は得られず。Asylumは1976年にはカタログから外す。
妻から申し立てられた離婚成立。二人の幼い息子との別離。
1977年、シンガーソングライターとしての再起を賭けてRSOレーベルから”Two Sides to Every Story*8” をリリースするも商業的成功は得られず。
1979年、Byrds時代のロジャー・マッギン、クリス・ヒルマンと共にMcGuinn, Clark and Hillman名義で、Capitolレーベルから、”McGuinn, Clark and Hillman*9”、”City*10” をリリース。時代が求めるAORとして一定の評価を受ける。
1981年、薬物依存症克服の為にJesse Ed Davisと共にハワイでリハビリ。
1984年、Takomaレーベルから、”Firebyrd*11” をリリースするも商業的成功は得られず。この頃からジーンの楽曲がTom PettyやLong Rydersといった次の世代から支持され始める。
1985年、Mr. Tambourine Manリリース20周年記念アクトを計画し、Byrds創設メンバーに呼びかけたが賛同を得られず。Byrdsゆかりのミュージシャン参加によるアクトを敢行するも、創設メンバーからByrds名義の使用に対して訴えられる。
1987年、Carla Olsonとデュオを組み、インディーレーベルから、”So Rebellious a Lover*12” をリリースするも商業的成功は得られず。アルコール依存症による潰瘍により胃と腸の大部分を摘出。
1991年1月、Byrds創設メンバーとしてRock and Roll Hall of Fame入りを果たす。同年5月24日、咽頭癌(薬物吸引によるストレス)により46歳で死去。Tom Pettyがジーンの、"I'll Feel a Whole Lot Better" をカバーしたアルバム、”Full Moon Fever(1989年)” のビッグヒットによってもたらされた10万$を越える版権料は薬物に費やされていたことが判明。

 ある評伝ではDillard and Clark時代の曲、"Something's Wrong" を引き合いにこんなことが書かれている。
”彼の楽曲というのは片田舎で子供の頃に感じたであろう、Something's Wrong〜絶望感のような感覚を引きずっているようだ。”

  Something's Wrong

楽しい事ばかりのガキの時分、
頭の上をトンビが舞い、小鳥がさえずるなんて悪いもんじゃなかった。
夏の早朝、あるいは昼下がりのトウモロコシ畑で、
人生、この先まだまだ続くのか?
あるいは、もうこれまでか?
俺はいったい何者なのか? 頭の中で浮かんでは消える。
そういう場所ってあるもんだ。
この土地で死ぬまで生きてゆく理由を探すなんてもうやめた。
Now something's Wrong=でも今も、何かおかしい。
Sherwoodのネオンサインを目の前にしていても同じだ。

written by Gene Clark
from "The Fantastic Expedition of Dillard & Clark*2"

ネオンサイン:原文では,"Neon brambles=ネオンの木いちご" だが、道路端に埋め込まれている発光式の標識を喩えたものらしい。
今では、"Neon brambles" はジーン・クラークファンの間では愛称のように使われている。


For a Spanish Guitar

海鳴りは深さの違いで不協和音を奏でる。
近からず遠からず、時代の歌が入れ替わっていくように。

波濤は年老いた主人のラッパのごとく、
自由な人間と奴隷を選り分け、
彼らは互いに判らないようにささやきあう。

太陽と雨の営みと、
思い描いた夢は未だ消えず。
スパニッシュギターには脳を突き抜けるような魂の鼓動がある。

通りに座り込む乞食は王位失墜のごとく惨めだ。
やつにそんな富があったなんて思いもよらない。

子供達の笑い声は未だファンタジーが壊れていない証だ
そして説教が通じない証だ

善なのか悪なのか狂気なのか
答えは見つからない
スパニッシュギターには脳を突き抜けるような魂の鼓動がある

スパニッシュギターを弾いてみる
君がスキップしながら歌う箇所を一小節毎に太陽が照らすごとく
木立の中から笑い声が起こるごとく
かもめがそよ風に乗って舞い上がるごとく
君が望むように、あるいは気付かれないように雨の中に立ち尽くすごとく

written by Gene Clark
from "Gene Clark*4"


Silver Raven

ワタリカラスを見たか?
天翔る翼を持ち
遥か暗い海の上を、遥か荒れた空の上を
川が移ろいゆくのを見たか?
死期が訪れるのを待つように
やがて潮の流れとなり、海が泣き出すのを

星空と海の境が移ろい行くのを見たか?
陽光が空を区切り、世界はお前の夢で区切られる
古い言葉は朽ち
新しい言葉で生まれ変わる
ワタリカラスを見たか?
微かにきらりと輝く翼を持ち

微かに、ほんとうに微かにきらりとさせる
太陽が弧を描きながら通り過ぎてゆくのを待ち構えて
そうやって彼女の妹達に伝えんと試み始める

written by Gene Clark
from "No Other*7"

アメリカンインディアンでは、カラスは知性と創造の象徴とされ、伝説の重要な主とのこと。


Gypsy Rider

もう一度マシーンのエンジンをかけ
ほおを風にさらし
まだ尋ねたことのない道を探して
カセットが奏でるメロディーを口ずさめば
ハイウェイのシンフォニーだ
女にはけして判るまい

ジプシーライダーはカセットのシンフォニーに合わせて歌うだって?
言わなくたって判るさ
お前のやっていることは浮浪者と同じだと、彼女だってもはや判っているさ
お前はこの道を二度と通ることはあるまい

不吉の予兆
壁の張り紙はやがて剥がれる
お前は、お前が書き残した通りになっている
それを受け入れると決めたならやり通せるだろう
受けるに値する物は受け取り、残すべき物には手を付けるな

written by Gene Clark
from "So Rebellious a Lover*12"

カセット:原文では,"2-wheeled melody" だが、これはバイクの2輪に重ねたカセットテープの中で回る2つのリールの事と思われる。
恐らくハーレー・デイビッドソンに装備されていたオーディオ装置の意味とホームレスが携えているラジカセの意味と思われる。



 歌詞に出て来る、"miserable=惨め"、"beggar=乞食"、"vagabond=浮浪者" なる単語。
ジーンは自らをそう喩えたのだろうか?
 かような経緯を知るほど彼がどのようなシンガーソングライターであったかを評することは重苦しい。
楽曲は次の世代にカバーされることで作者の価値は没後に語られる。そういうシンガーソングライターであったのだろう。

 因果応報=努力は必ず報われるという意味の裏には、必ずしもそうとは限らないという意味も透けて見えるような気がする。 ”Two Sides to Every Story*8=どんな話にもふたつの見方がある” もそれに近いように思う。
初めてこのアルバムを聴いた当時は愛聴版ではなかったのだが、38年経った今、アメリカ大陸が遺したひとつの偉大な寓話だと思う次第である。

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参考サイト:
Perfect Sound Forever GENE CLARK

*アメリカンインディアンという呼称について:
 ネットで検索すると、Indian、 american indian、 native american、 indigenous american、等様々な呼称があり、定まっていないようです。本人がどう呼ばれたいか?、どういう立場の人がそう呼んでいるか?、一般的に通じるか? 等考え出すと難しいです。本エッセイではジーン・クラークの個人的な出自について触れたかったのですが、広大な北米大陸のスケールでは○○州と同じレベルで○○族というふうに呼ばないと失礼な気がしました。残念ながら族までは遡れなかったのでこの呼称を使いました。

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