2018.1.1
年頭所感:相対性理論とは何か?

 昨年の年頭所感は、マーフィーの法則とは何か?であったが、エネルギ保存則とその双対にあるエネルギ漏洩則について書いた。
 これは○○の法則とは何を表しているのか?ということではなく、物の見方について感じたことであった。 マーフィーの法則はアメリカ空軍の軍事研究のような立場では、”最悪の事態を想定せよ”、”起きて欲しく無い事は必ず起きる” そういう物の見方をせよということであろう。 しかしながらマーフィー大尉も家に帰って奥さんに、”バターを塗ったトーストを誤って落とした場合、塗った面がカーペットに触れるんだ” と言ったら、”そんな心配なんかしないわ、私はバターじゃなくて蜂蜜を塗りたいわ” と奥さんが応えたとしよう。彼女は ”信じる者は救われる” 派なのかもしれない。
 これは英語の諺、”Two Sides to Every Story” =物事には二つの見方があるということなのだと思う。 昨年、エネルギ保存則はで、保存されるという理想派と、洩れるという現実派があるという事。そしてそれはお互いに双対の関係にあると考えた。原発しかり。

 さて、昨年も梅雨頃になると ”万物は双対である” という思いがだんだん強くなってきた次第である。 双対という言葉は2000年に仕事の上でお世話になっているS氏とN先生から教わったもので、それについては2012年の年頭所感:双対ということで触れている。 自分にとって双対元年を2000年とすると今年で18年目になるわけだが、年を追うごとに、”万物は双対である” は確信に近づいてきた次第である。

 昨年の11月に偶々ネットで相対性理論にまつわるサイトを閲覧していたら、これも双対だと思えてきた次第である。アインシュタインは、”重力によって空間が曲がっているという見方をした” ということが素人向けに記されている。
これは従来の物理学では、”空間が曲がるなんてことは無い” と言うよりは、”空間は曲がらないものと考える” という事だと思う。 アインシュタインの主旨は、”立場によって空間は曲がらないと考えても良いし、曲がると考えても良い”、”眼前の現象に当てはまるように物事を見ても良いでしょ” だと感じた次第である。 ”巨大な重力によって空間が曲がった=ブラックホールは存在する” という物の見方は否定されないということである。

 ところで、”曲がる” という言葉で連想するのがバネである。 バネは柔らかさ=柔性を持っているのだが、S氏とN先生から教わったのは、”万物は質量と柔性を持っている” ”両者はお互いに双対の関係にある” である。 空間が曲がるなら空間はバネ=柔性を持っているという物の見方は否定されないだろう。

 先に挙げた相対性理論は一般相対性理論だそうだが、アインシュタインは特殊相対性理論と称して ”質量とエネルギーは同じもの” という事も言っている。
これは高校の物理で習う、E=mC^2から導き出されるもので、一般相対性理論に比べると少し学問的かもしれない。一般向けと学んだ人向けというニュアンスの違いを感じるのだが、アインシュタインは一般相対性理論と特殊相対性理論は二つでセットと感じていたのではないだろうか?こちらの特殊相対性理論では ”質量” について言及しているのである。

 ”万物は質量と柔性を持っている” というのは、
・質量はエネルギを速度の形で蓄えることが出来る。
・柔性はエネルギを力の形で蓄えることが出来る。

という” ことなのだが、一般相対性理論は ”柔性” についての理論であり、特殊相対性理論は ”質量” についての理論に思える。
今、高校物理を思い出してみると、

・ニュートン:力=質量 × 加速度 のように ”質量” についての法則を唱えており、
・フック  :力=バネ剛性 × 撓み のように ”柔性=1/剛性” についての法則を唱えている。

アルベルト・アインシュタインはアイザック・ニュートンとロバート・フックの二人が唱えた法則がお互いに双対関係にあると考えていたのだろうか?

 さて、アインシュタインは娘、リーゼルにも膨大な数の手紙を送っていたそうだが、その動機を想像してみた。
彼は自分の理論を誰にでも判り易く伝えたかったのではないだろうか?
○○の理論というのは学者や専門家だけではなく、子供でも判るように説明できないと不完全だと思っていたのではないだろうか?これも双対に思える次第である。
 私の娘は子供の頃、どこかに出かけると必ず出て来る口癖があった。”あとどのくらい?” 私は、”あと30分” ではなく、”あと半分くらい” と応えたのだが...
そう言えば自分が子供の頃も同じだった。電車から外の景色を眺めていても単調な光景だと暇を持て余して親に尋ねていた。これは言い換えると時間の経つのが遅いと感じていたのかもしれない。
これが大人になるにつれて車窓の景色を眺める事は少なくなり、新聞や本を読んだり日常のあれこれを思い出しているうちに目的地に着くものである。
子供から大人に成長する過程で脳の中では、時間に対する変化を捉える性質=感性が占めている比率が減り、時間の経過には関係しない論理性=理性が増えてゆくように思う。
理性とは心の質量に相当し、感性とは心の柔性に相当するのかもしれない。
 ○○の理論を理性の領域が未発達な子供の脳でも判るようにするにはどうすれば良いのか?
おそらく、判るのではなく感じる=感性に訴えるように言い換える=見方を変えてみることが必要なのでは?
 ところで、大人も子供もスターウォーズの様なスペクタクルな=変化、起伏に富んだ光景を見ていた場合、気が付けば時間はあっという間に過ぎているではないか?
アインシュタインが言うように確かに時間は伸び縮みしている。

 アインシュタインは、”万物は双対である” と確信していたかどうかは判らないが、相対性理論の ”相対” は物の見方は様々で絶対というものではなく、あくまでも相対的なものであるという意味なのだろう。万物、人や立場によって様々な物の見方があるが、突き詰めると相対は双対に繋がってゆくのではないだろうか? ジレンマ=dilemmaしかり。

 彼は科学者というより哲学者やブッダに近いのかもしれない。彼の脳はジレンマで自殺しないように物事を相対的に見たり、二つの見方をする事によって救われたのではないかと思う次第である。
神社の ”阿吽の狛犬” はそういう事なのかもしれない。これから近所の浅間様に初詣に行ってみようか。

法則には二つある。
双対=物事は二つ揃わないと成り立たない。
本質は二つ揃わないと見えてこない。
ジレンマは両方受け入れれば救われる。


Two Sides to Every Story

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参考サイト:
世界一わかりやすい一般相対性理論

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