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見出し4


2017年12月31日(日曜日)

新しい年の最初に読了する本は、けっこうこだわっている。別になんの根 拠があるわけではないのだが。最初に読み終わった本は、楽しみの本とい うより、最初に読み終わる本は、ちょっと前向きな本の方が新年にふさわ しいかなと思っている。で、あんまり敷居を高くすると、途中で掘り投げ てしまう。身の丈にあったものでないと、新年から挫折してしまうのも情 けないからね。この何年かの最初に読了したものを書いてみよう。2011年 三浦展著「高円寺東京女子街」、2012年長谷川祐子著「なぜ?」から始める現 代アート」、2013年内田繁著「普通のデザイン」、2014年千宗屋著「もしも利 休があなたを招いたら」、2015年好井裕明著「あたりまえ」を疑う社会学」、 2016年西加奈子著「炎上する君」、2017年糸井重里著「抱きしめられたい」と いうところだ。2018年は、佐藤雅彦さんの「新しい分かり方」にしようかと 思っている。出てすぐに買った本で、すぐ読みたいと思っていたのだが、 寝て読むには大きくて今まで読まないできたものだ。悪くない選択だと思 うのだがどうだろう。紅白歌合戦の晦日だが、このところ見ていないな。


2017年12月28日(木曜日)

今年最後の定期診断で病院へ行ってきた。ついでに理髪店に寄ってきた。 なんだか町もあわただしい気配がただよっている。スーパーあたりでわさ わさしているが、町も同じ感じだ。だいたい自分が落ちつきのない性格な どで、影響されやすいので、こんな雰囲気はよりこちらもわさわさしてし まう。だからあまり好きではない。こんな雰囲気が好きな人もいるんだろ うな。そんな雰囲気が影響したのかなあ、いやそれだけでもなさそうだが メガネを、成田山参堂の豆屋さんに忘れてきてしまった。豆を親戚に送ろ うとして、宅急便の伝票を書く時はずして、そのまま帰ってきてしまった のだ。弱い近眼なので家ではメガネをかけない。出かけるときだけメガネ をしようする。だからメガネがなくてもなにも、不自然だとは思わないの だ。だから、理髪店などでも終わったときに、「お客さん、メガネメガネ」 と注意されることがたびたびある。メガネで、もうひとつ思いだすことが ある。どこか出かけたおり、老眼をなくしてしまった。どこかへ落とした のかなとあきらめていた。ずいぶんたってからクルマが車検から戻ってき たら、そこに落としてしまっていた老眼が、フロントの上に置いてあった。 落としたのが、家のクルマのなかだったのだ。てっきり電車のなかだと思 い込んでいたのだが。その後、老眼は手元にあ、活躍してもらっている。




2017年12月24日(日曜日)

2:22、5:55。これは、偶然に見たデジタル時計の表示です。おなじ数字 がならぶことを、ぞろ目なんていいますが、まさにそれです。デジタル時 計には、ほかに1:11、3:33、4:44などがありますが、このみっつはまだ 目にしたことがありません。不思議なもので、こんな偶然にあうと出会っ たときは、いつもと違った感情をもたらします。ちょっとラッキー!なん てうれしくなる。なんの得があるわけでもないのですが。ささやかな幸福 感などもまじっているような。道端で楚々とした花をみたときとか、笑顔 の素敵な人を街で見かけたときとか、道で10円玉を拾ったときとか、赤信 号に合うことなく横断歩道をいくつか渡れたときとか、ささやかな幸運を 感じたりしたときの方が、嫌なことを気にするよりも、けっこう精神的に もいいみたいだし、こんなことをこころがけていれば、嫌なこと思い出し たりして、イライラすることもない。きっと、楽しい時間を少しは持てる かなあ。すべてが能天気ということが、いいわけではないのだけれど…。




2017年12月21日(木曜日)

昨日は、毎年ささやかだけれど、千葉県の名産と言っていいのかな、ピー ナッツを贈り物をしている。で、その手配に成田山参道の豆屋さんへ行っ たきた。おいしそうな加工品が、いっぱいならんでいる。少ないくらいの 方が美味しさも増す。なんて言い訳しながら、ささやかに贈っている。昔 は、正月用の本を買っていたけど、このところは、そんなこともなくなっ ている。今でも読みかけや、まったく手をつけていない本が数冊ある。ま あ、これを徐々に片づけていこうと思っているので、特別に買い本もない かな。でも、毎年恒例となっている本に、糸井重里さんの、あちこちに書 いたりしゃべったりしたコトバを、集めた本の10冊目が出たのでネットと 注文する。どちらかというと一気に読み通してしまういというより、拾い 読みするという本だと思う。読書が寝てよむというスタイルなので、寒い とどうしても手が冷たくなるので、はかどらない。少し布団のなかで、手 を暖めていると、いつの間にか眠っていたりする。そんなわけで"今、読ん だり、見たり、聴いたりしているもの。"も変わりばえがしない。でも、これ からが冬の本番だと思うと、少し憂鬱になる。気が早いけれど春を待つこ とにしよう。待てない性格だが、自然だけはどうしようも出来ないからね。




2017年12月13日(水曜日)

"好きな人"なんていうコンテンツをつくっている。そして失礼を好きだか らという、といういいわけをしながら、ダジャレにしているわけだが、ど うしてもできない人がいる。リストアップしてあるのだけれどいるのだけ れど、どうしてもできない。たまに嫌いな人のダジャレができてしまうこ とが、あるが、それは無視することにしている。テレビなどで嫌いな人が 流れる機会が多い。好きも嫌いも、ほとんどあったことがない人なので、 マスコミ等で接したイメージだけで決めているので、本当にいい人なのか 嫌な人なのかはわからない。でもなんだかこの頃、嫌いな人が目につくよ うになっている。これは、私の方にも原因があるかもしれないな。重箱の 隅を突くような世の中に空気感染しているかもしれないのだ。嫌いな人よ り好きな人を見つける方が楽しいしい。嫌いな人を見つけても、嫌悪感が 蓄積されていいことはないはず。好きな人はテレビよりラジオや本の方が いるかもしれない。このところ読書量も減っているし、反省点ばかりだ。




2017年12月10日(日曜日)

「美しいことについての 感覚のまるでないひとたちが、日本の政治や経済 をうごかしているところに、いまの世の中の不幸がある。」これは、今読ん でいる、暮らしの手帖の編集者だった花森安治さんの1950年のコトバです。 今から67年くらい前の世の中と、ちっとも変わっていない。世の中は少し ずつよくなっていくものだと思っていた。能天気だったなと、今になって 思うのだが。世の中が良くなっていくには、牛の歩みだと思っていたが、 こんな悪い世の中になるなんて想像もしていなかった。恥ずかしいことだ よね。やっぱり先人の話を聞いたり読んだりすることが、あとに続く人た ちへの贈りものになるんだよね。前にも書いたが、歴史を知ることが大事 なんだと、つくづく思うね。今日は町にある、大鷲神社の酉の市に行って きた。屋台が出ていて久々にお祭気分を味わう。熊手は買わずに見るだけ で申し訳ない。目的は包丁研ぎ。年に何回か製造元から柏そごうデパート へ研ぎの案内状がきて、そこでずっと研いでもらっていたのだが、デパー トの閉店で、それがかなわなくなっていたのだ。それで包丁研ぎが神社の 前であるというので出かけてみた。包丁だけはいいものを使っていたのだ が、デパートの閉店がこんなところに、影響がでるとは思っていなかった。




2017年12月 6日(水曜日)

最近、テレビの報道番組を見ていて、うんざりしているのは、私だけでし ようか。引退した日馬富士の暴力事件関連の報道ばかりだ。それも専門家 を呼んでの推測ばかり話だ。暴力問題から、モンゴル出身の飲み会、相撲 協会の問題、横綱白鳳の態度や相撲のスタイル、貴花田親方のだんまり、 貴ノ岩の雲隠れ状態、横綱の品格の問題。なんだか話はどんどん脚色され ていく。これは今のマスコミのカタチを、如実にあらわしているように見 える。まず、時間を埋めなくてはいけない。これは視聴者は関係ないこと だ。番組をつくる方だけの問題になる。これだけの時間を埋めようとした ら、足上げをとったり、重箱の隅を突かなければならない。もっと大事な 事件や問題があると思うのだが、聴視者があたかも望んでいると勝手にお 思い込んでるわけではないだろうが、隣と同じことをやっとけば、ひと安心 という日本人のメンタリテーのなせるところだろう。コメンテーターだっ て、なにか言わなければいけない。うがったことをいえば、なるほどと感 心してくれる視聴者もいるだろう。冷たいなか、庭仕事のパート2をやる。


2017年12月3日(日曜日)

A4サイズからB5サイズになり、またA4サイズで季刊誌として復活し た資生堂のPR誌"花椿"をはじめて手にした。じっくりと読んだことはない のだが、なにか創作意欲をかきたてる小冊子で長い間、愛読というか見て きた。もちろんデパートなどへ行ったときにいただいてくるというカタチ だったので、毎号(当時は月刊だった)手にすることは出来なかったが。サ イズを変えたり、発行をやめてしまったり、電子版の"花椿"をスタートさ せたり、裏側でなにがあったんだろうね。さて、新生の季刊誌の"花椿"冬 号だが、特集"アール・ド・ヴィーヴル"。生活美学、暮らしの芸術、といっ フランス式のライフスタイルことだとか。資生堂において、過去に持って いた広告によるイメージの醸成は不可能だと考えているのかもしれない。 もう20余年ぐらいになるかな、資生堂の広告のカネボウ化してきたことを 感じたことがあった。広告の裏を読む広告から、表面だけを読むだけの広 告にしか反応しない、消費者の変化があったような気がする。東京の女の 子たちが、大阪化してきたときに連動しているような気がする。広告への 反応点が変わってきてしまった。で、従来持っている資生堂のイメージを 伝えていくのは、この"花椿"でしか方法がないというのが、このあたふた ぶりを見た私の推測であるのだが。送料を送って定期購読をしようかな。

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