来生史雄 電脳書斎

ジュブナイルSFをこよなく愛する者の宴
悪魔島横浜 第三章 悪魔島横浜 第四章 悪魔島横浜 第五章 悪魔島横浜 第六章 悪魔島横浜 第七章 悪魔島横浜 第八章 悪魔島横浜 第九章 悪魔島横浜 第十章 悪魔島横浜 最終章

 

  悪魔島   横浜

 

    

 

      第一章

 

 シトシトと雨が路面を濡らしていく。細き

水の流れは幾つかが一つとなり、路傍にある

排水口に吸い込まれ、地下へと消えていく。

 視界は雨靄に霞み、静寂の中に雨音だけが

響いていた…。

 その夜、横浜には雨が降っていた。

 

 横浜の雨。それは妖物質含有率99%と言わ

れる「魔雨」である。空気中に漂う妖気、あ

るいは未確認因子を持つ遺伝子サンプル、あ

るいは妖植物が振りまいた胞子や種子をその

ままに取り込み、雨となって地上に降り注い

でいくものであった。

 その結果、何が起こるのか…?

 裂けたアスファルトの亀裂から、白い花弁

を付けた植物が現れる。根元には緑色の蔦が

不気味に蠢いているのが見えた。その横を大

ネズミが通りかかった瞬間、植物とは思えぬ

スピードで蔦が大ネズミに巻きつき、開いた

花弁の中央へと運び入れてしまう。花の中央

には微細な牙を備えた口があり、大ネズミを

待っていた。キィーッという悲鳴が細く長く

尾を引いた後、肉を噛みきる音と骨を砕く音

が聞こえだす…。

 横浜の降雨時にのみ出現すると言われてい

る食肉花「ホワイトレディー」であった。

 雨の雫が溜まった小さな大地の窪み…。

 そこにある水たまりにしか見えないもの。

 だが、その水面が妙にザワめき、かつ粘着

質に見えるのは、それが体成分の99%が水分

とされる肉食アメーバの群体であるからだ。

 さらに水が豊富な場所でしか生息できない

妖生物も、降雨時ともなれば下水道の奥底か

ら這い上がってくる。体皮の色が鮮やかなプ

ルシアンブルーの「水トカゲ」は青酸性の毒

を有しており、体長1mの「大ナメクジ」は

酸を分泌しながら土中を掘り進み、獲物を地

下から狙っている…。

 魔雨…。それはこの横浜という街ならでは

の、死の匂いを漂わせた雨なのであった。

 

 この危険極まりない雨の中を一人の男が息

を切らせながら、走っていた。後ろをしきり

に気にしているところを見ると、何者かに追

われているようであった。

 「ハアハア…、ま、まいたか…?」

 苦しそうな息づかいの中でもれた呟きは、

彼の願望とも言うべきものであった。耳を澄

ませても、雨音に紛れ、迫り来る足音を聞き

取ることはできなかった。

 「と、とにかく、雨の中はマズい…!」

 その男も横浜に降る雨の危険性は十分に知

り尽くしているようであった。この雨の中に

いることは、生命の存亡にかかわると…。

 焦る彼の目の前に大きな建物がそびえたっ

ていた。半壊しているようだが、人の気配も

なく、何よりも隠れるのには適しているよう

に感じられた。

 「よし、ここだ」

 慌てて、建物の中に飛び込んでいく。しか

し、彼が追われる身でなかったら、この建物

の名称に気づき、入ろうという気持ちは少し

も起きなかったに違いない。その場所が、雨

の中よりも危険であるということは横浜に住

む人間ならば誰でも知っているからだ。そし

て、追われる獲物と化した彼の運命はこの時

点で決まったのかもしれなかった…。

 ピチョーン、ピチョーン…。

 崩れた壁や天井の隙間から漏れる雨垂れの

音が、建物の空間に不気味なエコーとなって

響きわたっていた。コンクリートの壁はひび

割れ、崩れ落ち、中に張ってあった鉄骨は捩

じれてはみ出している。階段であった場所に

は、上から雨の水流が流れ落ちて滝を作って

いた。完全な廃墟と化した空間には、かって

の人々の生活の名残のように、スタンド式の

灰皿や缶ジュースの空き缶、そして白骨がい

たるところに散らばっていた。

 「ここは…?」

 そう言いながら、男は用心深く辺りを見回

した。片隅に積み重なっているコンクリート

の隙間には、ホワイトレディーと並ぶ横浜の

危険植物であるスリーピングビューティーが

咲いているのが見えた。その催眠性の花粉に

侵されたのだろうか、傍らには根に巻きつか

れた大ネズミの死骸が横たわっている。

 「ちっ、けたくそ悪い所だぜ…」

 唾を吐き捨てながら、その死骸を蹴飛ばそ

うとした時、ふと壁面に何かの文字盤がある

のが目に入った。それは小さな数字が並んだ

時刻表のようなものであった。ガラスはすで

に割れてしまい、かなり汚れているが、明ら

かにそれは列車の時刻表であった。

 「ま、まさか…!」

 男が驚愕の声を上げた瞬間、彼の鼓膜は静

寂の空間に響いてくる靴音を捉えた。ビクッ

として手に持っていた巨大な武器を足音が聞

こえてくる方向へと向ける。そこには闇が広

がっていた。

 「そんな物騒な物は下げて、おとなしくし

てもらえないかな…。これ以上、手間を取ら

せないで欲しいんですがね…」

 闇の奥から、静かな声が聞こえた。それは

優しい口調だったが、聞く者を凍りつかせて

しまうような冷たさを漂わせていた。

 「う、うるせえっ!」

 男が手にした6砲身ガトリングキャノンが

殺意と憎悪の雄叫びを上げた!

 グオオオオッッという鈍い炸裂音と空気を

揺るがす振動が、静寂を引き裂いた。轟音と

共にコンクリートの壁が砕け、スリーピング

ビューティーの花弁が舞った。通常はアメリ

カ陸軍のA10陸上攻撃機や、AH−1S対戦

車ヘリコプターに搭載される筈の重火器を軽

々と抱え込んでいるところを見ると、恐らく

彼は一種の改造手術を受けた強化人間なので

あろう。横浜では、それほど珍しくもないこ

とである。

 「く、くたばりやがれ。俺は絶対に捕まり

はしねえぞ!」

 男がわめき、乱射を続ける。20ミリ炸裂弾

に粉砕される目標に何があると言うのか?

 靄があった。霧なのかもしれない。真夏に

浮かび上がる陽炎のようにも見えた。その中

には人影があった。

 「無駄なことを…。57人もの女性を暴行の

末に惨殺した凶悪犯の割りには、気が小さい

んですね」

 人影は静かに声を発した。それはガトリン

グキャノンが放つ轟音の中でもハッキリと聞

こえた。

 「て、てめえっ!」

 「それとも、こう呼んだ方がいいかな。在

日米軍特殊部隊の脱走兵、ジェームズ・エル

フマンと…」

 人影の問いに対して答えたのは、殺意を込

めた砲声であった。だが、その戦車をも破壊

する火線の先で起きるはずの爆発はなく、靄

の奥に立つ人影も倒れはしなかった。

 「ヒイイイッ、近寄るな。この化け物!」

 ついにエルフマンは悲鳴を上げた。

 「人を化け物と呼ぶ前に、自分を見つめな

おすべきだと思うがね。私は、分別もつかな

いヤツ、人間と呼べないような残虐非道の輩

に、化け物呼ばわりされるのは嫌いだ」

 靄の奥の声の質が変わる。それは氷点下の

冷たさを持った響きであった。靄が近づき、

人影が近づく。それに伴って、冷やかな空気

が伝わってきた。

 「く、くそったれー!」

 エルフマンが引き金を引く。だが、撃鉄は

虚しくカチリと音をたてた。ガトリングキャ

ノンはその全弾を撃ち尽くしてしまっていた

のであった。恐怖がエルフマンを突き上げ、

彼はガラクタとなった砲身を靄に向かって投

げつけた。ブウンと唸りを上げて、靄へとぶ

つかった砲身は一瞬にしてグニャリとひね曲

がり、潰れた。

 「ど、どういう事だ…?」

 今までの弾丸もそうだったのか…?

 愕然とするエルフマンの疑問を察したよう

に靄の中の人影が答えた。

 「私を包む霧には、深海4千メートルと同

じだけの圧力と濃密度が備わっている。どの

ような物体も圧潰し、粉となる…」

 声の語る言葉の意味を、エルフマンはどう

理解したのだろうか。いや、理解できるもの

ではない。但し、恐怖だけは理解できた。

 「くっそおぉぉ、横浜警察の鳴海!やはり

噂通りの化け物だぜ!」

 腰にぶら下げていた手榴弾をまとめて引き

ちぎると、一斉に投げる。ベトナム戦争など

で使われていたM3パイナップル手榴弾の7

倍の破壊力を誇る炸裂手榴弾であった。

 ドグワァァァン!

 一気に6個もの炸裂手榴弾が爆発した。そ

れは紅蓮の炎となって、空間を舐める。

 「こ、これで、殺ったぜ!」

 だが、彼の兵士としての本能は死体を確認

することよりも、この場所からの逃走を命じ

たのであった。そして、エルフマンは一目散

にこの場を離れることにしたのだった。

 崩れることなく残っていた階段を一気に駆

け登り、上へと向かう。踏みしめたステップ

が崩れ、手をかけた手すりがもぎ取れても、

エルフマンは上へと向かった。それは、いま

だなお怯えた獲物の姿であった。

 ハアハアと息をきらしながら、彼はやがて

開けた場所へと出た。それは一目でどのよう

な場所かを示すような光景であった。

 「な、何てこった…」

 彼が呆然とつぶやく。ヨロヨロと進んだ足

が何かを踏んで、カランという音を立てた。

 それは錆びた看板であった。その表面には

「かんない」と書かれていた。

    JR関内駅。

 それがこの建物の名称であった。そして人

は呼ぶ。「最高危険地域」と…。

 1999年の、あの悪夢の日。その日に崩

壊して以来、十数年の月日が流れてもなお、

使用されることのない駅であった。

 あの悲劇は、この駅にも尋常ではない被害

をもたらしていたのだ。側にあった横浜セン

タービルは倒壊し、駅舎に半分めりこんだ形

で残っている。関内駅前第1ビル、第2ビル

や中央ビルなども完全倒壊してしまっている

様子がホームから見える。多くの建物が無秩

序に残存した中で、このように無残な状態の

建物も存在する不思議な状況も、横浜を覆っ

た怪異の一つとして特筆されるであろう。

 ねじ切れた線路、二度と灯の灯ることのな

い自動券売機、人が通ることもなくなった自

動改札機、訪れるはずのない列車を待つ無人

のホーム…。全てが1999年のあの日、あ

の時刻に死に絶えた場所であった。

 「……」

 無言のまま立ち尽くすエルフマンが、ゴク

リと唾を飲み込んだ瞬間。

 フィーッ、フィーッ、フィーッ!

 急に聞こえたサイレンの音が、彼を驚かせ

た。思わず、腰からジャングルナイフを抜い

て構えてしまったエルフマンが苦笑する。

 横浜中央気象台にある時計塔が鳴らす時報

であった。横浜では深夜でも時報を鳴らすこ

とになっている。一日24時間の間に0、3、

6、9、12、15、18、21の各時間において行

われる妖気濃度警報を兼ねているからだ。横

浜全域の122箇所に設置された妖気検出計

は、半永久性核融合炉によって動き、間断な

き情報を市民に伝える。妖気濃度が30%を超

えれば注意報となり、50%を超えれば警報と

なる。そして、午前3時の今、それは警報を

発していた。

 「エルフマン。ここが、お前の終着駅とな

ったようだな…」

 静かな声が鼓膜を打ち、エルフマンは驚愕

の表情で振り向いた。そこには、先程の爆発

で死んだはずの鳴海が立っていた。

 美しき顔がまず目に入る。冷たく澄んだ瞳

は誰も知らない湖の深淵を思わせ、白き肌は

誰も近寄ることのない北の果ての海の白さを

想像させ、その優雅な容姿は見る者を凍りつ

かせるようであった。これほどに美しい男が

存在するのであろうか。思わずエルフマンの

感情の奥に欲情とも、恋慕とも知れぬものが

沸き起こる。ホームを吹き抜ける風になびく

髪は水色をしていた。長い髪のそれ自体には

厚さはないと信じられる。厚さもないのに、

それは美しく流れる。いや、流れていると誰

もが思いたくなるに違いない。疑いもなく、

神の造形とも思える美…。

 だが、その中身は…?

 「素直に捕まっていればよいものを…」

 「う、うるせえ…。この化け物が!」

 「その言葉は聞きたくないと言った…」

 さらに声の温度が下がった。エルフマンは

恐怖と混乱の中で、手にしたジャングルナイ

フを鳴海へと向けた。それを神への冒涜と採

るのは、無理なことなのだろうか…。

 「切り裂いてやるぜ。ズタズタにな!」

 「もう捕まえようとは思わないよ。これか

ら先は、暗い監獄での生活を心配する必要は

ないから、安心したまえ…」

 「ガッデム!くたばりやがれっっ!」

 エルフマンは鳴海の声に反応し、ジャング

ルナイフを振りかぶり、一気になぎ払った。

 あらゆるジャングル戦で鍛え上げ、多くの

敵兵の血を吸い取った戦闘技術の全てを込め

た一撃であった。それが改造手術によって強

化された筋肉の爆発力とミックスされて、襲

いかかるのである。それを避けることは不可

能なはずであった。・・・・だが!

 そのナイフが砕け散ると誰が予想しただろ

うか。ダイヤモンドを超える硬度を持ったハ

イパーモリブデン綱のナイフの刃が…!

 そして気づいた。鳴海の手に透明な剣が握

られていることに。それと噛み合った瞬間、

超硬度のナイフは無残に砕け散ったのだ。

 「ど、どういう事だぁっ!」

 折れたナイフを見つめ、エルフマンは叫ん

だ。

 「この水の剣、『氷雨』には湖一つ分に匹

敵するだけの水が凝縮されている。ダイヤモ

ンドを超える刃であろうとも、太刀打ちする

ことはできない」

 僅かに60cm程の剣に、それだけの水を込め

ていると誰が理解できるのか。そして、水の

剣とは…。それよりも言葉通りなら、鳴海は

何処からそれだけの水を集めたと言うのか。

 だが、目の前にあるものは事実だ。

 「さて、ジェームズ・エルフマン軍曹。い

や、元軍曹と呼ぶべきかな。覚悟は出来てい

るだろうな?」

 エルフマンの目に絶望の光が宿る。不可避

な死を目の前にした者の瞳だった。

 鳴海の手がピクリと動いた瞬間。

 ポーン!

 無人の駅に突如としてチャイムが鳴った。

 反射的に鳴海とエルフマンは構内に目を走

らせていた。頭の芯が急速に冷えていく。

 ホームには誰もいない。いるはずもない。

 そして列車が来るはずもない。全ての電気

系統が寸断されたチャイムが鳴るはずもなか

った。それが列車の到着を告げるものとなれ

ば、なおさらである…。

 だが、チャイムは鳴った。夜の静寂を破る

ように、新たな闇の訪れを告げるように。

 カチッ…。

 ホームに取り付けられている電光表示盤に

灯が灯った。

   「一番線に列車が参ります」

 何処から来ると言うのか。鉄骨は、あの日

の苦悶を語るかのように捩じれ、雨に霞むそ

の先はすでに途切れているはずなのだ。市街

の上を走っていた高架は、その大重量と共に

下にあった全てを押し潰したはずであった。

 「お、おい…。何が来るんだ、何がこの駅

に来るって言うんだよ!」

 エルフマンの声が震えていた。歴戦の強者

であり、多くの罪なき女性を欲望の赴くまま

に惨殺した凶悪な強化人間が怯えていた。

 12階に及んだ関内センタービルは一瞬にし

て倒壊し、6階より上の部分が線路を両断す

る形で、今もその残骸を晒しているのは衆知

の事実である。

 「さあな…」

 鳴海はそう言って、雨靄に霞む彼方を見つ

めるが、そこは逢魔ヶ刻ならではの漆黒の闇

に包まれている。何も見えない。いや、見え

るものがあった。青く輝く信号だった。

    (横浜に何を招く…?)

 無残に曲がり、錆びついた表面に雨の細い

水流を蛇のようにまとわりつかせながら、闇

に輝いていた。あの日以来、一度も点くこと

のなかった信号は、闇の彼方より何かを導き

入れようとしていた。

 「一番線に列車が参ります。白線の内側ま

で下がって、お待ちください」

 女性の声のアナウンスが構内に流れた…。

 テープに収録されたものだろうが、誰が何

処で流しているのか。あるいは闇を彷徨う亡

者の声とでも言うのであろうか…。そのアナ

ウンスがあまりに普通で、自然だからこそ、

凄まじい不気味さを演出していた。

 キーッ、キーッ!

 肉食ネズミや吸血コウモリたちが、一斉に

構内から逃亡を図った。線路の脇に咲いてい

た蒼い花弁の死美人草や、赤い斑模様の吸血

花アントワネットまでが、闇の到来を恐れる

ように、その花弁を閉じていく。

 「来る…」

 鳴海の声が、正確に状況を伝えていた。

 ゴトトン…、ゴトトン…、ゴトトン…。

 列車の音が段々と近づきつつあった。重々

しい音であった。

 「あ、ありゃあ、何なんだ?」

 エルフマンが叫んだ。その声は、見てはな

らないものを見たような畏怖を秘めていた。

 暗き彼方に光が見えた。光源は一つ。恐ら

くは列車のヘッドライトであろう。

 ゴオオオオオオオオオオオ…!

 列車の地響きがはっきりと構内に響き、そ

の轟音に混じって、蒸気の音が聞こえた。

 シュッ、シュッ、シュッ、シュッ…。

 まさかとは思うが、やってくる列車とは蒸

気で動いているとでも言うのだろうか。

   ピィィィィィィィィィィ・・・・・・!

 警笛が鳴り響いた。鮮烈な光が闇に輝く。

 耳をつんざくような轟音と共に、一台の列

車が闇から滑りだしてきた。

 「こ、こりゃあ、バ、バカな…!」

 「蒸気機関車か…」

 混乱の極みを感じさせるエルフマンの声と

冷静というよりは冷たすぎる鳴海の声が同時

に出た。

 明らかに形状は蒸気機関車のそれだが、そ

の全身にまとわりつく不可思議な器械や表面

の銅板に細かく施された不気味なレリーフ、

そして黒一色の塗装…。それはまさに、「魔

列車」と呼ぶに相応しい存在であった。

 暗黒の色彩の中で、それだけは白い蒸気を

吹き出しながら、列車はホームに停まった。

 プシュウゥゥゥ…!

 一瞬の静寂の後、ドアが開いた。

 「うわああああっ!」

 恐怖に耐えきれず、エルフマンがホームの

出口へと走りだした。だが、その姿が階段へ

とたどり着く寸前、開いたドアの奥から何か

が宙を走った。その何かは、一瞬にしてエル

フマンの首をはねてしまう。

 「!」

 絶叫する間もなく、エルフマンの生首が血

潮を振りまきながら、ホームへと転がった。

 首を失った残りの体は、しばし階段を下り

るように駆け、やがて首の喪失に気づいたか

のように身を震わせると、階段の下へと転げ

落ちていった。後には、死の瞬間を刻みつけ

たエルフマンの首だけが残っていた。

 「ククククククク…」

 隠々とした笑い声が聞こえた。鳴海が見て

いると、ドアから黒い影がホームへと滑り出

てきた。まるで闇が抜け出してきたようだ。

 「横浜へようこそ」

 鳴海の言葉は、美しいクィーンズ・イング

リッシュであった。闇としか見えない相手を

一瞬にして英語圏の存在と見抜いたのだろう

か。それは相手も同じだったらしい。

 「ほお…、これはこれは。我々の来訪を歓

迎してくれる人がいたとは、気づかなかった

よ。世界はやはり広いものだ」

 答えた声も非の打ち所のないようなクィー

ンズ・イングリッシュであった。ただし、こ

ちらには驚愕まじりであった。

 「東洋の島国とは言え、侮ってはいけない

と日頃から言っているではありませんか」

 次に下りてきた闇が、女性の声で言った。

 声からすると、かなり若い感じがする。

 「だけど、この男は面白いよ。僕たちのこ

とを見ても、驚いた様子がないんだもん」

 小柄な闇がホームに下りてくる。まるで子

供のような幼い声であった。

 「そうね。それに美しい…」

 女の闇がつぶやく。その声にはっきりとし

た欲情の響きが取れた。鳴海の顔を見た者の

宿命とも言えるだろう。

 「いつもの悪い癖が出たね」

 子供が揶揄のイントネーションを込めて言

うと、女の闇に微かな鬼気が芽生えた。

 「……」

 続いて降り立ったノッポとデブの闇は無言

のままであった。ノッポの身長は恐らく3M

近いだろう。デブの方は、相撲取りになれば

横綱は間違いないと思えるほどの巨体であっ

た。そのパワーも推して知るべし…。

 「伯爵様。横浜に着きました!」

 一番最初の闇が、列車へと呼びかけた。と

同時に、これまでとは違う凄まじい妖気が、

ドアの中からこぼれ出る。

 「これが横浜か…。ロンドンとはさすがに

比べ物にならぬ程の妖気に満ちておる。これ

ならば、我等の求めるモノもすぐに手に入る

ことであろう…」

 最後に列車から降りた闇が言った。落ちつ

いた声であり、そこには先の5人とは格段の

差を感じさせる威厳とも、威圧ともつかぬ迫

力があった。恐らくは、このグループのリー

ダー役とも言うべき存在なのだろう。

 「伯爵様。この男が、我々の来訪に居合わ

せてしまったようです。もう一人は始末しま

したが、如何いたしましょう」

 最初の闇の言葉に、伯爵は鳴海を見た。そ

して驚愕と言えないまでも、興味を感じ取っ

たような雰囲気が見えた。

 「名は何と言うのだ?、美しき男よ…」

 威厳の塊の闇が、静かに問いかけてきた。

 「鳴海…。鳴海章一郎だ」

 鳴海が名乗り、伯爵がその闇の奥からジッ

と見つめてくるのが分かった。そしてフウッ

と微かなため息を漏らした。

 「鳴海章一郎…、美しき男よ。ここで死な

せてしまうのは惜しいが、生かしておけば、

後の災いとなると儂の五感が告げておる」

 「私も死にたくはないがね…。ただ追って

いた殺人犯を目の前で殺されてしまった以上

は、あなたたちを殺人の現行犯として逮捕し

なければならない」

 「ウフフフフ。私たちを捕まえるって?」

 女が揶揄するように笑った。

 「やれるものなら、やってみろ!」

 子供が叫ぶと同時に、何かが宙を走った。

 さっきエルフマンの首を両断した何かと同

じものであろう。それは正確無比に鳴海の首

を狙っていた。だが、それが到達する寸前に

鳴海の手がピクリと反応し、目にも止まらぬ

スピードで飛来するそれを捕らえたのであっ

た。頸動脈の直前でそれは二本の指に挟まれ

て、停止した。それはクリスタル製の三日月

の形をしたブーメランのようだった。

 「へえ、僕のクレッセントを指で受け止め

た男なんて初めてだよ」

 子供は感嘆の声を上げた。それほどの魔技

であり、それを止めた鳴海の技もまた神の成

せるものであったのだ。

 クレッセントとは、クリスタルを技術の限

界に至るまで研磨し、その薄さは1ミリもな

いほどのブーメランであった。三日月の形を

したそれは空気抵抗を最小限度にまで抑え、

目にも止まらぬスピードを実現させると同時

に、クリスタルの透明度のために事実上視覚

として捉えることは不可能なのである。

 「ならば、今度はこっちから行かせてもら

うことにしよう」

 鳴海の声が氷点下にまで下がった。水の剣

である「氷雨」を手に構える。

 「チャーリーのクレッセントを止めたぐら

いで、いい気になるんじゃないよ!」

 闇から抜け出した妖艶な美女が叫んだ。そ

の美しいブロンドの長い髪を抜くと、鳴海に

向かって投げつけた。数条の閃光が、鳴海へ

と飛ぶ。

 「…!」

 鳴海が剣を振るい、飛来した髪を次々にた

たき落とす。それは髪の毛にもかかわらず、

カーンという金属音をたてた。

 「髪の毛を針に変えたか…」

 地面へと突き刺さった髪を見て、鳴海は感

心したように言う。ブロンドの髪の毛であっ

たはずのそれは、超硬度の針となっていた。

 「クゥ…! よくも私を…!」

 女が呻いた。よく見れば、その首を自分が

放ったはずの髪の毛針に貫かれているのだ。

 「ケイト!」

 チャーリーと呼ばれていた子供が叫んだ。

 すでに闇から抜け出し、声からイメージさ

れた通りの愛らしい男の子の姿となっていた

が、その中身が外見と同じものであるはずが

ない。そして彼に、鳴海がケイトに突き刺さ

るように跳ね返したと理解できただろうか。

 「おのれ、東洋の島国に住む猿が…」

 チャーリーが怨嗟の籠もった言葉を鳴海に

向ける。白人というのは、日本人を侮蔑する

時にどうしてもこういう言葉を使いたがるら

しい。だが、鳴海は冷静だった。

 「恨み言の一言ぐらいは聞いてやろう。そ

れが死刑囚に対する憐れみというものだ」

 そう言うや、鳴海が素早くケイトへと駆け

寄り、水の剣をその首筋に振るう。

 まさに必殺の瞬間、いきなり轟音と紅蓮の

炎が横殴りに襲いかかってきた。

 ドグワアアアアン!

 魔列車が突如として爆発したのだった。黒

い巨体が四散し、奇怪なオブジェのようなパ

イプやら計器やらが吹き飛ぶ。漆黒の銅板が

コンクリートの壁に突き刺さった。

 「チッ!証拠を消すつもりか…」

 爆発の衝撃で崩れ落ちるホームから素早く

離脱した鳴海は、仕掛け人の意図を察して、

舌打ちした。

 「ハハハハハ…。中々、楽しませてくれる

男に出会ったものだ。今日は我等も旅の疲れ

が残っているようだし、この続きはまたの機

会とさせていただくとしよう」

 伯爵の笑い声が響いた。紅蓮の炎にシルエ

ットとして浮かび上がる伯爵と、それを取り

巻く5つの妖人の影。その凄絶な火炎絵巻の

中に鳴海はケイトが首から髪の毛針を引き抜

いて、妖艶に微笑むのを見た。だが、その瞳

には激しい憎悪の炎が、周囲の火炎地獄より

も鮮やかに揺らめいているのが判る。

   (この御礼は必ずさせてもらうわ…!)

 彼女の目は明らかにそう語っている。

 「鳴海章一郎。この横浜という街を私は非

常に気に入ったよ。空気に漂う妖気、天に渦

巻く鬼気、風に流れてくる怨みの声も心地よ

い音楽だ。そして君のような人物がいるのも

とても嬉しいよ」

 伯爵は笑った。鳴海に対する負け惜しみで

はない。心の底から笑っていた。

 「この街こそ、我等に相応しい…!」

 そう言葉を結んで、伯爵と5つの妖人の影

は炎に霞んだ。

 「また、逢おう…」

 炎の彼方から、声が聞こえた。鳴海は伯爵

らを追おうとはしなかった。追っても無駄な

ことは判っている。すでに気配は消え、遙か

な彼方へと失せていた。

 「彼らは何者だ…。そして何が目的だ?」

 鳴海は炎の中で呟いた。

 漆黒の魔列車で、列車が着くはずのない駅

へと降り立った妖人たち。そして、その底知

れぬ魔力を用いて、何を企むというのか。

 この街で…。この横浜で…。

 「横浜か…。つくづく闇を呼び寄せる街で

あることだ…」

 そう言って、鳴海は魔闘の繰り広げられた

関内駅のホームを後にした。

 魔列車を跡形もなく消滅させた爆発は、朽

ちていたホームを崩し、駅舎そのものを死の

断末魔に震わせていた。いや、もしあの日に

この駅が死んでいたとするならば、それは死

者に対する冒涜であったのかもしれない。

 紅蓮の炎は、数十年の日々に渡って遺骸を

晒してきた「関内駅」に対する壮大で、凄絶

な火葬であったとでも言うのだろうか。

 その葬送を悼むかのように、雨は振りつづ

ける。涙のように、静かに…。

 それは横浜のありふれた日常風景の一コマ

であり、この死を濃厚に漂わせた香りこそが

横浜の横浜たる所以であった。

 だからこそ、人は呼ぶ…。

 生けるものの赴く場所ではない地獄の島、

帰らざる人々の流刑島、三途の川の向こうに

浮かぶ冥府の島…。

 「悪魔島・横浜」と…。

 

 

 

 

     第二章

 

 風が、瓦礫の荒野を渡っていった。

 延々と連なるコンクリート壁と、無数の紅

い光点が死と生の境界線であった。すなわち

人の生ける場所と、死に彩られた場所を。

 時折、監獄のようなコンクリート壁の上に

きらめく青白い火花は、おそらく市外へと出

ようとした肉食鳥であろう。百万ボルトの超

高圧電流を流されたフェンスに触れた愚か者

の辿る宿命である。

 一面の廃墟はかって横浜市西区、あるいは

南区と呼ばれていた地域であり、そこには動

くものも見当たらない。そこは三途の川を渡

る直前の川原と同じ意味を持つからだ。

 では、三途の川を渡ってしまった向こう側

の世界とは何を意味するのであろうか。

 そこは、横浜市中区と呼ばれていた。

 だが、中区に行こうとする人間は本当に三

途の川を渡らなければならない。それは激流

の大河となって目の前に立ちはだかる。ある

いは荒れ狂う海峡と呼んでもいい。

 横浜市中区は現在、本土から切り離された

孤島と化してしまっているのである。巨大な

トーキョー湾に浮かぶ悪魔島として…。

 

 1999・8月2日・月曜日。

 あの日が全ての始まりであった。

 20世紀最大の予言者と言われたノストラダ

ムスの「諸世紀」に書かれていた破滅の詩。

 その予言が示す7月はすでに過ぎ去ってお

り、人々は新たなる21世紀への希望に胸を膨

らませていた。打ち続いた不況の波を乗り越

えて、再び高度成長時代を築くために人々は

新たな時代を待ち望んでいた…。

 そんな人々の願いを一蹴するかのように、

惨事は訪れた。

 つまり1999年当時、東京と呼ばれてい

た地域を中心に、首都圏一帯を巨大地震が襲

ったのである。

 かねてより大地震の危機感はあった。伊豆

方面の群発地震に代表される東海大地震は、

80年代後半より盛んに予知を叫ばれていたも

のだし、6千人を超える死者を出してしまっ

た阪神大震災も記憶に新しかったはずだ。

 次は確実に東京が狙われる。そういう危機

感が、高層ビルを含むあらゆる建造物の耐震

構造チェックを行わせ、東京大学や東海大学

を中心にした地震予知連絡会の充実と情報網

の整備に国家予算を注ぎ込ませる結果となっ

た。だが、その全てが間に合わぬ内に地震は

起こってしまった。

 8月2日の正午。東京をマグニチュード7

という都市部直下型地震が襲ったのである。

 江東区、江戸川区、墨田区、葛飾区などの

住宅街は一瞬にして壊滅し、数万の死者を出

す結果となった。また新宿の高層ビルも崩壊

してしまい、多くの人がビルと運命を共にし

た。首都を縦横に走っていた高速道路は、そ

の上にいた自動車たちを周囲にまき散らし、

爆発の花を次々に咲かせた。

 被災地域は千葉、埼玉、神奈川にまで及ん

でおり、全被災地域において、死者20万人、

負傷者百万人という結果を生み出してしまっ

たのである。

 この「第2次関東大震災」と呼称された大

地震の中で、一つの奇跡が起こっていた。

 東京湾に面する多くの埋め立て地や臨海地

域では水没や液状化現象などにより大被害が

起こっていたが、横浜ではもっと異常な状況

が生み出されていたのだ。

 まるで荒れ狂う大地から避難させるかのよ

うに、中区の区線上をなぞるようにして生ま

れた地割れが本土から切り離し、横浜港湾地

域を島にしてしまったのである。しかも、該

当地域では、何かの超自然的パワーに守られ

ているかのように震度3程度の被害しか生じ

させなかったのである。結果として、横浜は

崩壊する首都圏の中で、唯一その原型を保っ

たのだった。

 この不可思議極まりない状況が、ある一つ

の結論にたどり着いたのは、それから10年も

経ってからのことであった。

 多くの人が知らない事ではあったが、横浜

は京都などと並ぶ風水の原理を応用した呪術

都市であったのだ。

 横浜がまだ小さな港町であった明治の初め

に、高島嘉右衛門という人物がいた。この人

物が国際都市・横浜の基礎を作った人物であ

り、横浜という街の繁栄を築いた男であった

のだ。高島屋グループを築き上げた明治の大

実業家であった彼の功績は、「高島埠頭」や

「高島町」といった地名となって、横浜の街

に残されている。そして横浜駅に燦然と威容

を放つ高島屋デパートとして…。

 ただの材木問屋であった高島嘉右衛門が事

業に成功したのは、陰陽道の術を用いた易に

よる結果であった。そして彼は横浜という街

を築くのに際し、その陰陽の秘術の全てと中

国に伝わっていた風水学の全てを投じたので

あった。その後の横浜の隆盛は特記するまで

もないであろう。

 世界に名だたる国際港として君臨した横浜

を守る陰陽道の力と風水のパワーは、第2次

関東大震災に対しても、その全てを放出して

見事に横浜を守り抜いたのであった。

 だが、それこそが悪魔の狡猾な罠であった

のかもしれない。その後の状況を見る限りで

は、そう言われても仕方がなかった。

 全てのパワーを使い果たし、しかも地脈か

ら切り離すという離れ業で横浜を守ったこと

が、より大きな悲劇をもたらすとは高島嘉右

衛門ですらも予想にしなかったであろう。

 古来、そうした呪術都市は複雑な呪術方程

式によって、都市を守り、活性化させる力を

地脈や大気から吸収し続けている。だが、一

度そのバランスが崩れた途端、それはマイナ

スのパワースポットとなって、ありとあらゆ

る災いを呼び込んでしまうと言われている。

 横浜はまさにそれを実践する形となった。

 被災地を逃れるようにして、人々が横浜へ

と集まりはじめ、そして被災地の復興計画が

徐々に立てられはじめた頃…。

 1999年・8月13日・金曜日。

 第2次関東大震災から2週間も経たないそ

の日の午前3時。多くの避難民が疲れと絶望

を癒すために、安らかな眠りにおちていた時

刻に、横浜をマグニチュード8の都市部直下

型地震が襲ったのである。

 しかも、島と化していた横浜だけを…。

 結果として、市街地の67%が壊滅し、横浜

にいた人間の82%が死亡することになる。

 余りにも悲劇的な事件であった。しかも、

横浜開港当初から存在していた建物や、古い

建物の多くが残ったのに対し、新しいビルや

新興住宅街の多くが潰滅的被害を被った無秩

序な破壊状況が人々を戦慄させた。

 それは僅かに残っていた高島嘉右衛門の用

いた陰陽学と風水学の最後の抵抗だったが、

この時点では、誰も知るはずもない。

 そして、この大地震は「横浜大震災」の名

と共に原因不明と記されて、国立地震研究所

の機密ファイルに記録されたのである。

 

 しかし、横浜の悲劇はここから始まる。

 狂った横浜の風水メカニズムは、ありとあ

らゆるマイナスエネルギーを呼び込み始め、

戦慄の魔都へと変貌していったのである。

 文明の崩壊と発展は表裏一体となっている

のは、過去の事例からも明らかである。関東

大震災によって、大正文化が昭和の工業文化

へと進歩し、太平洋戦争の荒廃が日本の高度

成長時代を招いたことも、その一つだ。

 第2次関東大震災によって崩壊した東京は

被災地となった埼玉、神奈川、千葉などの周

辺都市を吸収しながら復興し、「トーキョー

シティ」として、さらなる発展を遂げた。

 だが、横浜だけは違った。度重なる怪現象

によって復興計画はことごとく頓挫し、多く

の犠牲者を出していったのである。

 倒壊していたビルの撤去作業を行っていた

十数台のクレーンやブルドーザーが、突如と

して出現したすり鉢状の穴に転落し、穴の底

から現れた巨大なアリジゴクに食われた事件

などはまだ初期の段階であった。

 災害避難地域に指定されていながら、生存

者ゼロという結果になった「横浜公園」に投

入された自衛隊の死体回収部隊が未帰還とな

る事件が発生。さらなる救助のために派遣さ

れた自衛隊の一個中隊までもが、「われ、誤

まてり」という連絡を最後に全滅した。戦車

8両を含む機械化中隊を襲った敵は、表現不

可能な容姿を持つ怪物の群れだったと言う。

 被災地調査のために、横浜上空に進入した

在日米軍のグラマンE2ホークアイ電子哨戒

機は、奇怪な雨雲に突入すると同時に消息を

絶ち、丸二日の空白を経て、青森の三沢基地

へと帰還した。ただし無人で…。その機体は

何かの爪でズタズタに引き裂かれていた。

 島となった横浜を取り巻いている異常高速

水流を調査するために海上突破を図った海上

自衛隊のフリゲート艦「まきぐも」は、水流

へ突入するとの連絡を最後に消滅、その消滅

から2時間後にアメリカのネバダ砂漠で発見

された。乗員は全員ミイラ化していた。

 横浜大震災と同時に運行停止となっている

市営地下鉄3号線。その地下鉄から夜中に運

行音が聞こえると聞いて、地下へ潜った調査

班は全員が食い殺された死体となって、伊勢

佐木町の路上にばら撒かれた。その犯人を見

た者は誰もいなかった。

 治安維持のために全国からかき集められた

警察官で、横浜に派遣されたのは三百人であ

る。ただし、生きて横浜から出る事が出来た

のは18人であった。残りは全員殉職。そのい

ずれもが尋常ではない死に様であった。外傷

もないままに内臓器官の全てを溶かされた死

体、全身を植物に占領された死体、3人の体

が一つにされて奇怪なオブジェと化した者な

ど、その犯人は悪魔としか考えられない。

 あまりにも異様な二次災害の多さに、政府

が横浜復興計画を断念したのが、大震災の日

から三ヵ月を経過した頃であった。

 そして、さらに時間が流れた。

 西暦2020年の世になり、世界最大のメ

ガロポリスとなった「ビッグトーキョー」の

郊外に、戦慄の犯罪都市になった横浜の姿が

あった。

 横浜全域に跳梁跋扈する妖生物の群れ、そ

して全世界から集まったのではないかと思え

るほどの凶悪な犯罪者たち。マッドサイエン

ティスト、サイボーグ、犯罪サイキック、薬

物や改造手術による強化人間…。科学と文明

の進歩を最も速やかに確実に反映するのが犯

罪の分野であるのならば、この横浜はその総

合見本市会場であると言えるだろう。

 さらには歴史の闇から抜け出してきたよう

な魔術師、妖術師、魔導師、錬金術師、破戒

僧、邪教集団、呪術師、風水師などなどのオ

カルティストたち…。または、呪われたアイ

テムの放逐場所として、あるいは新兵器の実

験場として…。つまりは世の中に受け入れら

れない者や、世に出してはいけない物の一大

集積場と横浜は化していたのだった。

 全てはマイナスエネルギーを呼び集める横

浜の地の仕業であった。それが判明したのは

2010年ごろのことであったが、判ったと

ころでどうしようもなかった。何度となく、

中国から呼ばれた風水師らによって、リカバ

リーが試みられたが、いずれも凄惨な死を遂

げる結果となった。

 もはや誰にも手出しの出来ない魔都となっ

た横浜は、いつの頃からか「悪魔島」と呼ば

れるようになった。政府は、その隣接地域に

巨大なコンクリート壁を万里の長城のごとく

設置し、常時百万ボルトの超高圧電流をフェ

ンスに流すことによって、横浜を隔離すると

いう消極的解決を選択した。それでも人権な

どの問題から、横浜に3つの橋を架橋し、交

通手段を確保したのだった。

 旧桜木町駅の部分には「桜木町ブリッジ」

を設置、さらに伊勢佐木町付近には、かって

の横浜高速2号線の部分に「伊勢佐木町ゲー

ト」という形で。そして根岸の国道16号線の

辺りに「根岸ブリッジ」を架橋した。

 その橋を渡って、今も多くの人々が横浜へ

と足を踏み入れる。だが、帰ってくる人はほ

とんど皆無であった…。

 

 閑静な住宅街として知られた山手。

 その山手の代官坂を登ったところに、ユニ

オン教会という小綺麗な教会が建っている。

 横浜大震災によっても倒壊をまぬがれ、ほ

ぼ原型を保った数少ない建物の一つである。

 教会を取り囲む白い壁には、幾重にも緑の

蔦がまきつき、中世イングランドの洋館を思

わせる雰囲気があった。

 そこに妖気を伴った闇が現れたのは、関内

駅での死闘が繰り広げられてから、わずかに

一時間も経たない頃であった。

 「フフフ。あの男らしい趣味の家だな」

 そう言ったのは、関内駅に魔列車から最初

に降り立った男であった。あの魔闘から、少

ししか経っていないというのに、この山手の

地で何をしようと言うのだろうか…。

 「とにかく、まずはご挨拶といくか…」

 男は白く塗装された門へと手をかけ、それ

を押し開こうとした。だが、門に触れた途端

に、その手にビュルンと巻きついたものがあ

る。ウネウネと動く緑の蛇は、門や壁に絡み

ついていた蔦であった。

 「ムゥ…、こ、これは…!」

 振りほどこうとする男だったが、蔦はまる

で獲物を狙う蛇のように、次々と襲いかかり

男の四肢の自由を奪っていく。やがて、男の

腕も足も、その指の一本に至るまでが蔦に絡

み捕られてしまっていた。

 「お、おのれぇ、これも奴の仕業なのか」

 男が呻いた時、その耳の鼓膜を何処からか

響いてくる低い笑い声が打った。

 「フフフフフ…。久しぶりだな、と言いた

い所だが、妙な場所で逢うものよ…」

 いつの間にか、門の正面に黒い神父の服を

纏った男が立っていた。銀色に髪を染めた初

老の紳士であった。だが、身につけた聖職の

服装に似つかわしくない鬼気が、その全身か

ら吹きつけてくる。

 「ウ、ウィリアム・ハールマンか?」

 「そうだ。もっとも、俺を訪ねてきてくれ

たんだろう。え、ジョン・バランタイン?」

 ハールマンは、目の前で緑の蔦に絡み捕ら

れている男=バランタインを眺めながら、冷

やかに笑った。

 「それにしても、ロンドンにいるはずの君

が、こんな東洋の島国にいるとはな。一体、

何が目的で、この横浜へ来た?」

 「フン。それを言うなら、魔都ロンドンで

その名を知られた希代の魔術師ハールマンと

もあろう者が、何故このような場所に住んで

いるのかを聞きたいな」

 「先に質問したのは、私だよ」

 ハールマンが言った途端、バランタインを

締めつける蔦の力が増した。ギリギリと肉に

食い込む痛みが、バランタインの顔を苦しげ

に歪めた。

 「くそ…。タングル・ウィードを護衛にし

ていたとは迂闊だった…!」

 「ここは横浜だよ。それなりの自衛手段を

用意していなければ、一日だって生きてはい

られない街なのだ」

 ハールマンは子供に諭すように言った。

 タングル・ウィードとは、日本語で書けば

「人食い蔦」とでも言うのだろうか。魔術に

よって育てられた怪奇植物であり、絵本など

に描かれている魔法使いの住む屋敷の壁にま

とわりついている緑の蔦がそうである。魔術

師の使役する使い魔の一種であり、侵入者を

捕らえる護衛役として用いられる。

 「さて、答えてもらおうか。何が目的でこ

の横浜へ来たのかをな…」

 「……、そう簡単には答えられないな」

 バランタインがニヤリと笑った。その途端

に、彼の体が白い靄のように霞んだのだ。

 「ムムッ!」

 ハールマンが唸ったのも無理はない。タン

グル・ウィードに絡み捕られていた筈のバラ

ンタインの身体が、霧と化したのである。そ

して、緑の蔦の間を抜けると、一気に門をも

抜けて敷地内へと進入を果してしまったので

あった。

 「ミストマン(霧男)か…。さすがに一筋

縄ではいかんと見える」

 目の前で霧から人間へと実体化していくバ

ランタインの姿を見ながら、ハールマンは呻

いた。ミストマンとは、自分の身体を自由に

霧に変化させることの出来る魔術の一種だ。

 「霧に変化する魔術は、ロンドンの魔術師

のお家芸だぜ。ハールマンともあろう者が、

知らぬはずはあるまい」

 完全に人間の形へと戻ったバランタインは

不敵に笑うのだった。

 「なるほど…。少々、甘く見ていたか」

 「フフフ…。死にゆく者への情けとして、

教えてやろう。我々はある物が欲しくて、こ

の街へやって来たのだ」

 「我々…?、お前、一人ではないのか?」

 バランタインの言葉にハールマンの顔がい

ぶかしげに歪む。

 「偉大なる指導者のもと、大いなる目的を

果たすために我等は集ったのだ」

 「誰だ。その指導者というのは…?」

 ハールマンの声は乾いていた。緊張が声帯

をカラカラにしていく。まるで、この後のバ

ランタインが告げる名を知っているように。

 「フフフフ…。伯爵さまよ…」

 「は、伯爵!ならば、お前たちの求める物

とは、やはりアレか!」

 「これ以上は言えないな」

 バランタインはそう短く答え、その全身か

ら殺気を発散させ始める。

 「だから、邪魔な輩は排除せねばな…」

 「お前たちの目的を知ったからには、こち

らも容赦はせぬぞ!」

 驚愕の表情を一変させると、ハールマンは

闘志をその目に宿らせた。ゆっくりと胸の前

にかざした手が動き、幾何学模様を空中に描

きだした。

 「デルフィム、デルフィロム、リドリル、

漆黒の闇に浮かぶ銀色の月。その冥府の輝き

を借りて、我が敵を討ち滅ぼしたまえ…」

 不気味な呪文の詠唱が聞こえ、ハールマン

の手に青白い光が宿った。それは巨大な光の

槍であった。

 「フフフ…。グングニルの槍か…」

 ハールマンの魔術を目の当たりにしながら

バランタインが低く笑う。その声に恐れたと

ころは少しも感じられなかった。むしろ、命

のやり取りを楽しんでいる趣さえある。

 「死ね、バランタイン!」

 ハールマンの手から槍が離れた。それは光

の筋となって、真っ直ぐにバランタインへと

向かう。その瞬間、バランタインの身体は再

び霧へと変化した。

 「馬鹿の一つ覚えだな、バランタイン!」

 霧と化したバランタインの身体ならば、槍

は突き抜けてしまうはずである。それと知り

ながら、ハールマンには勝算があるのか。

 グングニルの槍は、バランタインへと突き

刺さるや弾け、大爆発を起こした。強烈な光

と音の万華鏡が現出し、霧と化していたバラ

ンタインを吹き飛ばしたのである。文字通り

に霧散してしまったバランタインの身体は、

エメラルド色の靄となって、空中に拡散して

いく。

 「バランタインめ。このハールマンを甘く

みた報いと知れ!」

 ハールマンは霧散したバランタインに対し

て、皮肉な笑いを浮かべながらつぶやいた。

 「いいや。甘く見ているのは、そっちじゃ

ないのかな…?」

 急に声がした。バランタインの声だった。

 ハッとするハールマンの前で、霧散したは

ずの霧塊が集まっていく。それはやがて一つ

の塊となって、復元を果たした。

 「バ、バカな。貴様、いつの間にそれほど

の魔力を身につけたと言うのだ!」

 「今度はこっちの番だな…」

 エメラルド色の放電が霧を包み始めた。バ

ランタインの霧は、強く帯電しているのだっ

た。そして、そのパワーは徐々に強くなって

いくのが判る。

 「おのれ…。タングル・ウィードっ!」

 ハールマンが叫ぶと同時に、緑色の人食い

蔦がワーッとバランタインの霧へと襲いかか

っていった。獰猛な飢えに狂う怪奇植物の攻

撃に、バランタインは…!

 「無駄なあがきは、見苦しいぞ。その名に

恥じぬような死に方をしてもらいたいな」

 ガッカリしたような声がすると、霧を包み

込んだはずのタングル・ウィードは一瞬にし

て炎に包まれ、焼き切られていった。恐らく

は数百万ボルトの超高圧電流の洗礼を受けた

のであろう。そして、タングル・ウィードを

始末したバランタインの霧は、次の獲物であ

るハールマンを襲った。

 「我等の目的のために、この横浜にいる霊

能力者や魔術師などは全て始末する。それが

伯爵さまの意思だ!」

 「ギャアアアアアアッ!」

 断末魔が長い尾を引いて、横浜の夜にこだ

ました。それはロンドン屈指の魔術師と呼ば

れたウイリアム・ハールマンの最期を示すも

のであった。

 「フフフフ…。これで一人、他の連中も首

尾よくやってくれていればよいがな…」

 黒焦げになった死体を見下ろしながら、バ

ランタインは笑う。

 凄惨な死闘が行われたにもかかわらず、雨

上がりの晴々とした夜空が、横浜の空を美し

く彩っていたのだった。

 

                                                          つづく

 

  来生史雄電脳書斎