2023.4.9
理解すると腑に落ちるの違い

 近年、還暦を迎える少し前から少しずつ見えてきた話である。
切っ掛けは仕事上の失敗、そして再発防止がことごとく上手く行かなかった事である。
失敗の度にその原因を究明し、同じ過ちを繰り返さないように再発防止策を策定して来た。
様々な失敗があり、夫々に原因は異なっていたのだが、ウィキペディアでとある記事を読んだら、自分が犯した同じ失敗をおよそ半世紀前の1960年代に既に経験しているものだった。
そして異なる原因と判断していたものが、実は全く同じ一つの原因を起点とする二次現象だった事もショックだった。

 歴史は繰り返すと言うが、その失敗はなぜ筆者の耳に入って来なかったのだろうか?
ウィキペディアで読んだ失敗は筆者が中学生の頃であるから、無理からぬ事だと思う。
ただ、その記事で気になったのは暴露調になっていた事である。
”〇〇は決定的な失敗作”という表現である。
”これで行けるだろう”はモノづくりの現場では誰しも通過する過程であろう。
”行けるかどうか自信が無い”は責められるものではなく、検証=腕試し=試験をすれば良い。
試験項目は複数あり、夫々に規準がある。
それは数字になっており、誰がやっても判断を間違える事は無い。
責められるのはそのうちの一部を都合で省略してしまった場合であり、それは論外である。
筆者が気が付いたのは、数字に表れない目標がある事である。

 様々な条件を勘案して先人は試験規準を定めていたが、筆者が新たな失敗をする度に網の目を細かくするように規準を細分化して来た。
そこではたと思ったのが、試験規準は永遠に増え続けていくのだろうか?
筆者が犯した過ちは、規準という物の見方が間違っていたのである。
筆者が辿り着いた結論は次のようなものである。
 ”自分がこしらえたモノの身なりにどこか整っていない部分があれば、それは将来、失敗する可能性を示唆している”
”整っていない”とは風体と言うようなものだが、これは数字で表す事は出来ない。
しかしながら、このように書いてしまうと、”彼の人相は悪い、いずれ何か問題を起こすんじゃないか?”
これは差別であり、今の世の中なら多様性を認めない危険な見方と言われてしまう。

 整っているかどうか?は好きか嫌いか?と違い、答えに詰まる問いであり、AIでも不得意な課題ではないだろうか?
つまり、感性の物差しという事である。
昨今、ブラック校則が話題であるが、身なりの物差しを決めておきたいという事であろうか?
生徒の感性はどこに発揮されるのだろう。
本校の校則は理解出来ましたか?....
これで、生徒達は腑に落ちただろうか?
つまり、失敗を再発させない為に必要なのは頭だけではなく、腑に落ちたかどうか?

 最後に筆者の失敗事例を以下にご紹介する。

問題無し
失敗事例


関連エッセイ:
重力波と文学
理性と感性の往来
年頭所感:ニュートンとフックはなぜ仲が悪かったのか?
相対性理論=双対性理論 愛とは何か?
年頭所感:相対性理論とは何か?
Designer=設計者とは何者か?
年頭所感:数値目標とは? デジタルとアナログの双対関係
立つべき舞台は此処なのか?
デザイナーのジレンマ エンジニアのジレンマ
好きの理由 嫌いの理由
年頭所感:未来予想図
年頭所感:宮沢賢治とダ・ビンチ
年頭所感:双対ということ
関連ページ:
Engineering Art

エッセイ目次に戻る